ご報告と大事なお知らせ

突然ですが、かねてより念願だったTOKYO MXが見れるようになりました!
これで『5時に夢中!』とかが見れる!
ついでにスカパーしか見れなかったアンテナを新調してBSも見れるようになりました。
ありがたいことに、TVKチバテレビテレ玉も受信感度良さ気なので、理想的なテレビ環境ができあがりました。


というわけで、先週、福島県から東京に引っ越しました!
タモリは「東京」を「ほとんどが地方のカケラで作られた巨大都市」と形容していますが
僕も「地方のカケラ」のひとつになりました。
なので、仕事が増えないと大変困ったことになってしまうので、仕事ください!
もちろん、本も買っていただけると幸いです!
今後とも引き続き、ひとつよしなに!

1981年のタモリ

『ヨルタモリ』についてまとめたエントリを書いた翌日に『ヨルタモリ』終了のニュースが飛び込んできて動揺していますが、本日8月22日はタモリさん、70歳の誕生日! 古希! 希望です。昨日のエントリを読んでもらえば、この終了が悲観するものではなく、またタモリさんが自由に新しいことを始めるのだなと確信が持てて、希望が湧いてくるのではないでしょうか。littleboy.hatenablog.com
また、先日発売された『タモリと戦後ニッポン』がべらぼうに面白く、よりいっそうタモリさんの新しい展開が楽しみになってきました。
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タモリ「ちょっとね、生年月日、僕は言いたくないんですよ。だって、昭和20年8月22日生まれでしょ。ということは、昭和19年の秋、敗色濃い日本で、僕の両親は一体何を考えてんだということになりますから(笑)」(『NHKスペシャル』「戦後70年ニッポンの肖像」より)

と、タモリ本人が語るように、タモリは終戦の1週間後、1945年8月22日生まれ。だから当然、終戦70周年の今年、70歳の古希を迎える。

タモリ「戦争の前後1週間以内に生まれた人は、ぼく、ともだちには、いないんですよ。だから、ぼくは、『戦後にいちばん近い』っていう……。『戦後の象徴的な人物だ』と、自分では思っているんだけど、ま、誰も、そんなこたぁ、思っちゃいないですね」(ほぼ日「タモリ先生の午後2006」)

そんな「タモリの足跡を通じて戦後ニッポンの歩みを振り返る」というコンセプトで書かれたのが、8月20日に発売された近藤正高による『タモリと戦後ニッポン』だ。

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
近藤 正高
講談社
売り上げランキング: 131

これは、「ケイクス」にて連載されていた「タモリの地図---森田一義と歩く戦後史」を元に、新たな取材や資料などを踏まえ大幅に加筆修正されたもの。
僕の『タモリ学』をはじめ、あまた出たタモリ関連の書籍としては後発ではあるが、「結果的に、企画が出遅れたおかげで、関係者の新たな証言などを存分に参照し、検証を重ねながら連載を進めることができた」と著者が「おわりに」で書いているとおり(実際、僕の名前や著書が「おわりに」や「参考文献」のみならず本文中にも何度も出てきて恐縮でした。しかも書籍や大タモリ年表のみならず、ブログ記事にまで言及されているのには驚きました)、タモリ史を巡る本として決定版ともいえるだろう。
だから今からタモリのことを詳しく知りたいという人は、タモリ史についてはこの『タモリと戦後ニッポン』を、タモリの哲学については『タモリ学』をまず読んでもらうと間違いない(あつかましく宣伝)。

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タモリにとって「ジャズな人」とは何か---70歳の『タモリ学』

明日、8月22日をもってタモリさんは、70歳の誕生日を迎えます。古希!
というわけで、昨年も誕生日に合わせて「大タモリ年表」を更新しましたが、今年も一部修正を反映した上で、この1年を追記して更新しています!matogrosso.jp
この年表を見ても分かる通り、タモリさんは実に精力的です。
『いいとも!』が終わって少しはゆっくりするのかと思いましたが、ますます元気。特に69歳になって以降の働きっぷりには驚かされます。
https://41.media.tumblr.com/8aafeaf19545864ba3b089b66c9311c6/tumblr_nsa1wdxgay1qkivfoo1_540.jpg
中でも特質すべきはやはり昨年10月から始まった『ヨルタモリ』と、今年4月から新シーズンが始まった『ブラタモリ』でしょう。
とりわけ『ヨルタモリ』は「タモリ史」を語る上でも極めて重要な番組ではないかと思います。

「あの人(タモリ)は32年間聞き続けてきた。もう飽々したんだよ。今度はオレのことを聞いてよって。32年間聞いたんだよオレは、昼間からって」

タモリ扮するジャズ喫茶の店主「吉原さん」はそう言っています。
『ヨルタモリ』でタモリさんは常に誰かに「なりすまし」しています。だから、今まではあくまでもゲストを迎える「聞き手」でしたが、「なりすまし」して自分ではないからこそ、逆に自分の考えや話を積極的に話してくれるようになりました。
それらの話を聴いていると、おこがましいことを言えば、『タモリ学』に書いたことの答え合わせをしているかのような感覚に陥ることがよくあります。

(以降、引用部分はタモリさんが誰かに「なりすまし」した上で語ったものが大半ですが、タモリさんの発言として引用しています)

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永野の“メジャー志向”

最近、テレビで永野をよく見ます。
ほんの少し前まで「カルト芸人」などと言われ、テレビ向きではないなどと評されていたとは思えない活躍っぷりです。
最近ではスマホゲーム「剣と魔法のログレス」のCMにまで抜擢されました。
また、7月21日発売の写真週刊誌『FLASH』(8/4号)では、「あなたはキモ芸人・永野を知っているか?」と特集も組まれる勢いです。

(※画像をクリックすると「『FLASH』捧げる歌」動画に飛びます)

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テリー伊藤が看破した恋愛バラエティの弱点

8月2日の早朝に放送された『はい!テレビ朝日です!』はテリー伊藤をゲストに迎え、「これからのバラエティ番組」をテーマにしながらも、テリー伊藤がテレビの世界に入ったきっかけや『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』などの制作秘話を語っていた。
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『TV Bros.』で星野源さんにインタビューさせていただきました!

本日、7月1日発売の『TV Bros.』にて、なんと!なんと!
星野源さんにインタビューさせていただきました!!


TV Bros.

特集1
テレビブロス28周年記念特別企画 星野源のテレビ ときめきメモリアル
星野氏と<テレビ>の関係を中心にインタビュー。聞き手は、本誌でもおなじみ、てれびのスキマ氏。これまでテレビの外側からテレビのことを書いてきたスキマ氏が、初めて聞き手に回るという、これまたメモリアルなインタビューに。

人生初のインタビュー取材!
なので「なんで俺が?」「俺でいいの?」と思いお引き受けするのに逡巡しました。
なにしろ、インタビューしたことがないのだから。
僕はこれまで(これからも)「テレビの外側から」テレビについて書くというスタイルでやっていたので、正直、インタビュー取材には消極的でした。(もちろんインタビュー取材したからといってスタンスが変わるわけではありませんが)
そもそも、依頼のあった日程は普段予定などない僕には珍しく「その時間、飛行機に乗っている」という完全なる予定が入っていました。
インタビューへの苦手意識、自分のスタンス、日程上の問題…とお断りする言い訳は揃っていました。
しかし、詳細を聞くにつれ、これは断ったら絶対に後々後悔する、人生で何度もない断ったらいけない仕事だ!などと大袈裟にも思い抱くようになりました。
そんなわけで予約していた飛行機をキャンセル、便を変更してお引き受けすることにしました。
僕のインタビュアー童貞を捧げるのに星野源さんはこれ以上ない相手だと思ったのです。


そしてインタビュー取材当日。
やはり僕がインタビューするからにはそのテーマは「テレビ」だろうと思い『ブロス』側に提案すると、当然編集部も同じ考えでした。
僕はこれまでタモリさん内村光良さんを題材にした本を書いてきましたが、星野さんもそのお二人には並々ならぬ縁のある方です。ですから、自然とそのお二人についても伺うという流れになりました。ついでにレイザーラモンRGさんについても。(なにせ、僕と星野源さんの最大の共通点が「RGが好きすぎる」だと思うので。)
こうして振り返ると星野さん本人に対する質問よりも他人について話を聞いた感じになってしまってますが、これは「他人について語る言葉こそ“自分”があらわれる」という僕の持論があるからです。実際、今回のインタビューでもそれが実証されているのではないかと思います。
緊張&はじめての経験&そもそも苦手ってことで辿々しく質問する僕にも、星野源さんは丁寧に答えてくれました。それどころか、こちらの質問の意図を先回りしたかのように、ここ突っ込んで訊かなきゃなって思っていた質問をする前に、その答えを語ってくれたりもしました。
おかげさまで星野さんの核になっているような部分を含め、いい話が聞けたのではないかと思います。


インタビュー取材の後の、原稿の構成も当然僕が担当しました。
「僕はきっとインタビュー原稿の構成の仕事は好きだろうな」と事前に思っていましたが、その予想通り、とてもやりがいがあって楽しかったです。
インタビュー自体はまだまだ苦手意識はありますが、インタビューの構成だけの仕事ならいくらでもやりたいくらい(笑)。
そんなわけで『TV Bros.』、是非お読みいただけると嬉しいです。


インタビュー終了後には僭越ながら自著3冊もお渡しできたのも良かったです。
そこで星野源さんから驚きと嬉しさで爆発しそうなありがたい言葉をいただいて天にも昇る幸せな気分に。
本当に、やって良かった! という仕事でした。

3人目のキャイ~ン あるいは『笑う犬』を始めさせた男

6月3日に『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』が発売されました!

ラインナップは以下のとおり。

序章 内村光良「怒り。」前編(書き下ろし)
一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
三章 タモリ少年期
四章 中居正広SMAPの時計
五章 早見あかりももクロの背中
六章 博多華丸・大吉の“来世”
七章 レイザーラモンの人生すごろく
八章 キャイ~ンが泣いた日
終章 内村光良「怒り。」後編(書き下ろし)

書き下ろしは「ウッチャン」をテーマにしたものですが、これを書き上げた時点で、当初ラインナップに入っていなかった「キャイ~ン」の回をどうしても入れたくなりました。その理由は、本書を通して読んでいただければわかると思います。


1997年の年末、内村光良はある特番の打ち上げに参加していました。
そこで悪酔いした男が絡んできました。

「うーい、内村ぁ、やらなくちゃだめだよぉ」

その男こそ、ウド鈴木です。
当時、コント番組をやっていなかった内村に対し、「コントをやれ」と迫ったのです。
泥酔したウドはしつこく内村に絡んでいたそうです。
すると、別の方向から声が飛んできました。

「なんでやらないんだよ、この野郎!」

その声の主は、本来ならウドを制止しなければならないキャイ~ンのマネージャー(当時)の矢島だったのです。矢島マネージャーはウドに追随するように内村に絡んでいったのです。

「やりますから許してください」

内村は逃げるようにそう言って場を収めますが、その二次会では同席していたプロデューサーの吉田正樹に自ら宣言します。

「コントをやりたい!」

そうして始まったのが『笑う犬の生活』なのです。


その矢島マネージャーは、キャイ~ン結成当初からキャイ~ンと苦楽を共にした名物マネージャー。
いわば「3人目のキャイ~ン」と言っても過言ではないほど信頼関係が結ばれていました。
しかし、彼はキャイ~ンと離れざるを得ない悲劇に見舞われてしまいます。
コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』の「キャイ~ンが泣いた日」では、ウドと天野の絆、キャイ~ンと矢島マネージャーの絆を中心に書きました。そこから『ナイナイのANN』でもたびたびネタにされていた『MEGAうま!ラジオバーガー!!』最終回での天野号泣の理由も浮かび上がってきます。


さらに告知です!
来たる6月20日(土)、福岡でイベントが開催されます!twipla.jp
に呼んでいただきました!
福岡です。
福岡周辺にお住みの方、あるいはたまたまその近辺に福岡を訪れる方々、是非お越しください!

日時:6月20日土曜日18時~20時
会場:書斎りーぶる
   福岡県福岡市中央区 天神4-1-18 サンビル2階
参加費:1500円
参加希望の方は poprocker@outlook.jp まで


また当日はイベントにちなんだTシャツ販売も行います。
2000円で販売いたしますので此方もお楽しみに!
因みにTシャツ付イベントチケットは3000円で販売いたします。
ご希望の方はメールにその旨明記してサイズ(XS~XL)をお知らせください。

僕へのご質問や「この人について聞きたい!」等、ご要望がありましたら、お申込みの際などに添えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします!