『1989年のテレビっ子』重版決定!

みなさまのおかげ様を持ちまして『1989年のテレビっ子』重版が決定しました!!
また、3月5日放送の『王様のブランチ』「文芸書ランキング」でも紹介していただきました!

ちなみに現在「cakes」でまえがき(前半後半)と第1章の冒頭ダウンタウンの章の一部が公開されています。試し読み的に是非!


様々な反響を頂いてありがたい限りですが、それをこちらにまとめてみました!
matome.naver.jp
その中からごく一部ですが著名人の方々の反応を中心に抜粋します。


まず水道橋博士さんからはうれしすぎるツイートの数々。





なんと『1989年のテレビっ子』前半の主人公のひとり、島田洋七さんに!
さらに後半の主人公のひとりである土屋敏男さんにも!


先の博士のツイートにあるように、ちょうど同時期に「一緒に並べろ!」と言わんばかりの装丁と同じ厚さ&熱さの本『酒井若菜と8人の男たち』を出版した酒井若菜さんから。
1989年のテレビっ子|酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Amebaameblo.jp



東野幸治さんは2度にわたってInstagramで紹介してくださいました!
www.instagram.com
www.instagram.com
そして、ナインティナイン岡村隆史さんも!
www.instagram.com



さらに作り手であるテレ東・佐久間さんやTBS藤井さんから芸人のスピードワゴン・小沢さん、ダイノジ大谷さん、アルコ&ピースの平子さん、鬼ヶ島・和田さん、アル北郷さん、落語家の立川吉笑さん、ヨーロッパ企画の中川さんやプロレスラーのマッスル坂井さん、サンボマスターの山口さんといった様々なジャンルの方々に反応していただきました!ありがたい!











さらにサンボ山口さんは、インスタでも熱烈な感想を寄せていただきました!
ちなみに、多くの方が好意的に誤解されているので心苦しく訂正するのも野暮かもしれませんが、僕は結婚を機に妻の地元であるいわきに10年近く住んでいただけで「出身」というわけではありません。(本には「住んでた」としか書いてないので誤解されるのは当然だと思います)ややこしくて申し訳ないです。
他にも様々な方々が反応してくださっているので、こちらを御覧ください。


また、Exciteニュースの「エキレビ!」では井上マサキさんが書評を書いてくれました!
www.excite.co.jp
さらに、3月3日の『すっぴん!』(NHKラジオ第1)の「本、ときどきマンガ」というコーナーで米光一成さんが『1989年のテレビっ子』を紹介してくださるそうです!
www.nhk.or.jp
(※国会中継等でコーナー自体がなくなることもあるそうです)→(追記)国会中継で中止になりました。残念…。


そんなわけでまだまだ読んでいただきたい本なので引き続きよろしくお願いします!
小沢さんのツイートにもあるとおり、発行部数ゆえ、本屋さんへの配本が行き届いていないと思いますので、お近くの書店にないという場合は、Amazonなどのネット書店等でお買い求めください!

『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由

しつこいようですが、いよいよ明日『1989年のテレビっ子』が発売されます。
都市部の大型書店では既に書店に並んでいるようです。

繰り返しになりますが本書は「1989年」を中心(70年代の終わり~90年代のはじめ頃)としたテレビバラエティについて書いたものです。
といっても、どんなことが書いてあるのかイメージ出来ないかと思いますので、その一部を箇条書きにしてみたいと思います。
僕がこの本をイチ読者として読んで何か記事にするとしたらこんなタイトルにするなぁというイメージで。あえてネットニュース風に。

オレたちひょうきん族』を終了させる決断を誰がくだしたのか。そしてその理由は何か
ビートたけしが「あいつには頭あがんねえよ」と語った“マンザイブームを作った男”とは誰か
「西の郷ひろみ」と言われた明石家さんまの大阪時代
B&Bの漫才を“パックった”島田紳助の戦略とその勝算とは何だったのか
花王名人劇場』は元祖『エンタの神様』だった? 澤田隆治が使った演出法とは
横澤彪を変えた出版業界の大物「ベストセラーづくりの神様」神吉晴夫との出会いとその言葉
THE MANZAI』のほとんどが吉本芸人で占められていた理由とは
明石家さんまが「自分がキテる」と感じた意外な瞬間とは
ビートたけしオールナイトニッポン』はなぜツービートではなく、たけしひとりだったのか
ひょうきん族』でディレクター陣を喜ばせた「一番良かった」システムとは
ひょうきん族』の『全員集合』以外の意外な障壁
「女性アナウンサー」から「女子アナ」が生まれた瞬間
「マッチ、セットを壊しながら歌い続け、最後に死ぬ」という台本
志村けん」という芸名にこめられた思いとは
志村けんドリフターズ“脱走”事件の真相
ビートたけしが「フランス座」に入った理由
萩本欽一が「コメディアン」以外に思い描いた職業
ほぼすべて“新ネタ”“アドリブ”コントだったコント55号。なぜそんなことができたのか
志村けんが“殺した”ドリフターズの笑いの形
ひょうきん族』の撮影法を可能にした技術革新
とんねるずが起こした『ザ・ベストテン』乱闘事件の真相
なぜ石橋貴明木梨憲武を選んだのか
とんねるず」の命名をした井原高忠とんねるずに果たしたもうひとつの大きな役割
「キミたち、つかこうへい好きでしょう?」秋元康とんねるずの出会い
落ちこぼれテレビマンだった石田弘が一発逆転を果たした番組
とんねるず「カメラ破壊事件」の思わぬ影響
オリコン初登場121位で「お祝い」をする秋元康の尖すぎるヒットの嗅覚
『みなさんのおかげです』は石橋貴明の“一番偉い人へ”の直談判から始まった
知られざるフジvsTBSの「東大・日大戦争」
“お嬢”“タカ”“ノリ”と呼び合うとんねるず美空ひばりの“友情”
ダウンタウンって誰やねん?」松本人志が自らツッコミを入れた日
島田紳助が初めて会ったNSC生時代のダウンタウンにかけた一言
松本人志浜田雅功をくっつけた“運命の壁”
いまだ果たされていない松本人志と大崎洋の“約束”
まったく同じ年にできた東西の若手芸人の聖地とは
なぜあのときダウンタウンは人目もはばからず「号泣」したのか
ダウンタウンでもウッチャンナンチャンでもない。『夢で逢えたら』のキーマンとは
東京芸人の真の“リーダー”とは誰か
全国放送に昇格した『夢で逢えたら』のテーマとはなんだったのか
瀕死の日本テレビバラエティを救った男
菅賢治土屋敏男ダウンタウンの衝撃的な出会い
ガキの使いやあらへんで!!』というタイトルの意外な由来
土屋敏男日本テレビが命じた『電波少年』ばりのムチャぶり
土屋敏男石橋貴明に渡した「名刺代わり」の一手
ダウンタウンのために浜田雅功高須光聖に頼んだこと
ダウンタウンが東京進出の際にくだした戦略とは何か
日テレ・土屋敏男とフジ・吉田正樹とのウッチャンナンチャンをめぐる因縁
明石家さんまの数少ない「低迷期」にはなにが起きていたのか
「日テレには出ない」と言っていたさんまの心を溶かした策略
テリー伊藤ビートたけしで撮りたい部分とは何か
ビートたけし松方弘樹に漏らした“本音”
フライデー事件によってもたらされた思わぬ副産物とは何か
「1989年」を契機にはじまった現在もテレビ界に続く“ブーム”とは
『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由


と、挙げていけばキリがないのでこれくらいにしておきますが、こんな感じのことがたっぷりと書かれています。
おそらくお笑いやテレビが好きな人は、ひとつひとつのことについては「知ってるよ、そんなこと」と思うかもしれません。が、この点と点が「線」につなげていき、さらに青春群像として「面」にしていくのその風景がまた違って見えてくるはずです。それが『1989年のテレビっ子』なのです!
そんなわけでぜひともお買い求めください!

 

『1989年のテレビっ子』いよいよ今週2月17日発売!

いよいよ今週の2月17日(書店によっては16日には並ぶところもあるかも)、新刊『1989年のテレビっ子』が発売になります!
「1989年」を中心に、80年代初頭に興った「マンザイブーム」前後から90年代初頭を舞台にした青春群像劇です!
現時点での僕のある意味で集大成的な作品になっているはず!


そんなわけで、担当編集が書いてくれた渾身の帯文を紹介します。なんか泣けます。

それは『オレたちひょうきん族』が終わり、
ガキの使いやあらへんで!!』が始まった年。
それは『ザ・ベストテン』が、裏番組の
『みなさんのおかげです』に追い落とされた年。


テレビに出る人、作る人、見る人。
誰にとってもテレビが青春だった
「1989年」を巡る、
僕や君や彼らのための
群像劇。


膨大なる資料の海、積み上げられたVHSの山、唸りをあげるハードディスク、尋常ならざる視聴体験とその記憶。
芸人やスタッフのテレビでの発言や、雑誌でのインタビューを丁寧に拾い上げ、ひとつひとつを織り込んでつくり上げた、作者渾身のテレビ賛歌。
僕らは、テレビを信じる。自分の人生と、同じくらいには。

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ちなみにこの帯には、本書に引用した言葉が細かーい文字でびっしり引用されてます。

とんねるずが来たらネットが荒れるから!」「行くぞ、殴りこみだ!」「荒れろ、荒れろ!」「俺のやり方に半年間付き合ってくれ。半年経っててもし結果が出なかったら、俺が間違っている」「落語vs漫才の異種格闘技にツービートは勝った。ノックアウトでね」「一流の制作者になるためには、自分が少年のように感動して、他人にこれを伝えたいと切望し、自分に賭けるピュアな心が絶対に必要だ。しかし、それだけでは成功しない。もうひとつ、商売人のたくましさが必要なんだ」「漫才じゃなくて、メッセージだよ。あなたたちのメッセージを若いお客さんに向けて発信してくれればいい」「どんどん先を走ればええ。俺はお前らが息切れして倒れたとこに、ゆっくり行かせてもらうわ」「この番組はですね、ナウいきみたちの番組ではなく、私の番組です!」「ぼくが企画書です!」「どうせ昼間の俺らの番組なんて会社の上層部は観てないだろう」「マッチ、セットを壊しながら歌い続け、最後に死ぬ」「人生の中で平凡じゃなくなるキッカケってのは、ほんの一瞬の出来事なんだ」「紳竜は終わった。十年もつと思うたけど五年やったな。終わった」「俺はどこへ行ってしまうんやろう? 俺の居場所はどこに今度あるんやろうか?」「そろそろ次の時代の『ひょうきん族』を模索しなければならない」「『夢で逢えたら』という名をつけたのは、この番組に込められた私の思いを物語るものだった」「若いのにダラダラ歩いてきてすみませんね、しんどいんです」「どうせ偉い人たちは但様だから、火曜日の深夜2時10分なんて起きてないだろう」「それは一生の問題だ。すぐ車を戻して。内村と相談しなくては」「視聴率なんかとらなくてもいい。そのころテレビに対して抱いていたストレスのようなものを、とにかく全部ぶつけてやろうという気持ちだった」「自殺するか、しゃべるか」「でもさぁ。オレだけは、たけしさんの哀愁以外だけを演出したいんだよぉ!」「まあ、自分に飽きててね、お笑いに。だから、『ちょっとシリアスなことでも』っていうのが、ホンネ」「あの日、3月11日、ツイッター上ではライブができなかったレイザーラモンRGが一晩中ひたすら“あるある”ネタをツイートし続けていた」「日本のバラエティに乾杯!」

誰の言葉かすぐに分かるのも、分からないものもあるかと思いますが、こんな感じの超いい言葉をじつに170を超える引用元から本書に引用し構成しています。


というわけで、本書に登場する人物を(全員ではありませんが)挙げておくと以下の様な人たちが出てきます。(50音順)

赤尾健一、明石家小禄明石家さんま赤塚不二夫秋元康東八郎荒井注いかりや長介、池信一、石田弘石橋貴明、磯野泰子、居作昌果逸見政孝井上陽水井原高忠今喜多代植竹公和内村光良内海桂子内海好江おあずけシスターズ、大岩賞介、大崎洋大島渚大竹しのぶオール巨人オールナイターズ岡崎正道小川菜摘、荻野繁、奥山侊伸、奥山和由おニャン子クラブ景山民夫片岡飛鳥片岡鶴太郎、桂邦彦、桂三枝桂雀々、桂文也、桂文珍加藤茶上方よしお亀渕昭信、河本瑞貴、神吉晴夫、北野幹子、木梨憲武木村政雄久世光彦熊倉一雄久米宏倉本聰栗原美和子、栗山順子、黒柳徹子小林信彦、小牧次郎、小松純也、坂上二郎坂本龍一佐藤義和里見まさと澤田隆治鹿内春雄島崎俊郎島田紳助島田洋七島田洋之介島田洋八清水ミチコ志村けん、詩村博史、笑福亭鶴瓶笑福亭仁鶴笑福亭松之助菅賢治、鈴木豊久、SMAP太平サブロー太平シロー高木ブー高須光聖高田純次高田文夫高平哲郎竹中功タモリ土屋敏男出川哲朗テリー伊藤てれびのスキマ常田久仁子所ジョージ、冨井善則、ナインティナイン永峰明中邨秀雄仲本工事南原清隆西川のりお野沢直子萩本欽一爆笑問題、秦野嘉王、浜田雅功林正之助、林誠一、ビートきよしビートたけし日枝久深見千三郎星野淳一郎ぼんちおさむ前田政二、柵木眞、松方弘樹松村邦洋、松本明子、松本人志松本竜介美空ひばり港浩一三宅恵介三宅裕司森昌行、安岡力也、山縣慎司山田修爾山田邦子山村美智子横澤彪横山やすし吉川潮、吉川圭三、吉田くんのお父さん、吉田正樹吉本隆明ラサール石井レイザーラモンRG、渡辺正行……。

「え、なんでこの人が出てくるの?」とか「誰?」って人もいるかもしれませんが、それは是非、本書を手にとってお確かめください!
何卒ッ!!

1989年はテレビバラエティの転換期だった! 「1989年」テレビ年表

今月2月17日、ついに新刊『1989年のテレビっ子』双葉社より発売になります!
正式には「たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるずウンナンダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記」という長ーいサブタイトルが付きます。

ページ数400ページになる単行本です。
内容はそのタイトルどおり、1989年をめぐるテレビに出る人、テレビを作る人、そしてテレビを見る人のノンフィクションにして、青春群像劇です!
つい先日、担当編集とともに約12時間におよぶ完全なる徹夜の最終ゲラチェックを終えましたが、改めて読み直しても「面白い!」と胸を張って言える自信作です!
それだけにこれが売れないと僕が路頭に迷う結果になってしまうので、是非とも買ってください!

1989年年表

「1989年」は、『オレたちひょうきん族』が終わり、『ガキの使いやあらへんで!!』が始まった、そして『ザ・ベストテン』が裏番組の『とんねるずのみなさんのおかげです』に追い落とされた、そんな年。
元号が「昭和」から「平成」に変わったのと同時に、テレビの世界も大転換を迎え、文字どおり「平成バラエティ」が産声を上げた年です。
そんな「1989年」のテレビを中心とした簡単な年表を作ってみました。

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立川吉笑はなぜ「お笑い芸人」ではなく「落語家」になったのか

先日、「水道橋博士のメルマ旬報」の忘年会がありました。
二次会には他の忘年会が終わって落語家の立川吉笑さんも駆けつけてくれました。
吉笑さんは処女作『現在落語論』が完成したばかりとあって上機嫌。その場で、その本の編集を担当した九龍ジョーさんからできたてホヤホヤの本を初めて渡され感激しておられました。僕も初めて自分の本ができたときの感動を思い出し胸がいっぱいになりました。
二次会も終わり、その後、九龍さんに率いられ僕らはゴールデン街に移動。
そこで“事件”は起きました。


隣のお客さんと喋っているうちになぜか変な空気になり、「落語を見せてくれ」という流れになってしまったのです。
プロの芸人に素人が簡単に芸を見せろという例のアレです。
吉笑さんはそれでも落語家の矜持からか、少し長めの小噺を披露したのです。
それはとてもよくできた小噺で面白かったのですが、既にあまりよくない空気になってしまっていたので、端から笑う気なんてなかったのでしょう。スベった感じになってしまったのです。
そのお客さんが帰った後、吉笑さんは次第に気持ちが昂ぶっていき泣いてしまいました。
それははたから見ればカッコ悪い光景かもしれませんが、僕にはそうは思えませんでした。
あまりにカッコ良かったのです。
「面白い」ことで笑わせたい、そんな思いがほとばしっているように思えました。

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ご報告と大事なお知らせ

突然ですが、かねてより念願だったTOKYO MXが見れるようになりました!
これで『5時に夢中!』とかが見れる!
ついでにスカパーしか見れなかったアンテナを新調してBSも見れるようになりました。
ありがたいことに、TVKチバテレビテレ玉も受信感度良さ気なので、理想的なテレビ環境ができあがりました。


というわけで、先週、福島県から東京に引っ越しました!
タモリは「東京」を「ほとんどが地方のカケラで作られた巨大都市」と形容していますが
僕も「地方のカケラ」のひとつになりました。
なので、仕事が増えないと大変困ったことになってしまうので、仕事ください!
もちろん、本も買っていただけると幸いです!
今後とも引き続き、ひとつよしなに!

1981年のタモリ

『ヨルタモリ』についてまとめたエントリを書いた翌日に『ヨルタモリ』終了のニュースが飛び込んできて動揺していますが、本日8月22日はタモリさん、70歳の誕生日! 古希! 希望です。昨日のエントリを読んでもらえば、この終了が悲観するものではなく、またタモリさんが自由に新しいことを始めるのだなと確信が持てて、希望が湧いてくるのではないでしょうか。littleboy.hatenablog.com
また、先日発売された『タモリと戦後ニッポン』がべらぼうに面白く、よりいっそうタモリさんの新しい展開が楽しみになってきました。
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タモリ「ちょっとね、生年月日、僕は言いたくないんですよ。だって、昭和20年8月22日生まれでしょ。ということは、昭和19年の秋、敗色濃い日本で、僕の両親は一体何を考えてんだということになりますから(笑)」(『NHKスペシャル』「戦後70年ニッポンの肖像」より)

と、タモリ本人が語るように、タモリは終戦の1週間後、1945年8月22日生まれ。だから当然、終戦70周年の今年、70歳の古希を迎える。

タモリ「戦争の前後1週間以内に生まれた人は、ぼく、ともだちには、いないんですよ。だから、ぼくは、『戦後にいちばん近い』っていう……。『戦後の象徴的な人物だ』と、自分では思っているんだけど、ま、誰も、そんなこたぁ、思っちゃいないですね」(ほぼ日「タモリ先生の午後2006」)

そんな「タモリの足跡を通じて戦後ニッポンの歩みを振り返る」というコンセプトで書かれたのが、8月20日に発売された近藤正高による『タモリと戦後ニッポン』だ。

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)
近藤 正高
講談社
売り上げランキング: 131

これは、「ケイクス」にて連載されていた「タモリの地図---森田一義と歩く戦後史」を元に、新たな取材や資料などを踏まえ大幅に加筆修正されたもの。
僕の『タモリ学』をはじめ、あまた出たタモリ関連の書籍としては後発ではあるが、「結果的に、企画が出遅れたおかげで、関係者の新たな証言などを存分に参照し、検証を重ねながら連載を進めることができた」と著者が「おわりに」で書いているとおり(実際、僕の名前や著書が「おわりに」や「参考文献」のみならず本文中にも何度も出てきて恐縮でした。しかも書籍や大タモリ年表のみならず、ブログ記事にまで言及されているのには驚きました)、タモリ史を巡る本として決定版ともいえるだろう。
だから今からタモリのことを詳しく知りたいという人は、タモリ史についてはこの『タモリと戦後ニッポン』を、タモリの哲学については『タモリ学』をまず読んでもらうと間違いない(あつかましく宣伝)。

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