タモリのマトメ#3(全5回くらい)

■■-っ タモリ辞典 ■■-っ


   =な=


【名古屋バッシング】
名古屋が嫌いというのをネタにしていた。
が、NHKのレギュラー番組はそれが原因で降板。
他、嫌いなことを公言しているのはミュージカル、小田和正さだまさし
「等身大」「自分探し」「〜系」などの言葉。


【ネクラ】
実はタモリによる造語。また、タモリ自身の幼少時代の性格。


   =は=


ハナモゲラ語】
実在の自然言語のように聞こえるけれども全く意味をなさないインチキ外国語。
名付け親は坂田明
浪人時代、外国語放送を聞いていたことからその創作が始まる。
初CM出演のキャノン「100EDデートマチック」でも
「今晩は。春はハナモラゲ。いま…」と披露。


【春子さん】
タモリの奥さん。タモリとは二つ年上。
保険外交員時代の同僚で交際を始め、1970年結婚。タモリは当時25歳。
子供はいない。猫を飼っている。名前はキムヨンスン、パトラ、ペペ、ミー。
タモリ曰く「仕事とセックスは家庭に持ち込まない」。


フェラチオ・ボッキーニ】
オーダーメイトのスーツに勝手につけたオリジナルのブランド名。


【船好き】
船乗りになるのが夢だった。船に関する映画は全て見ていると公言している。
が、恋愛映画は大嫌いで一番見るか迷ったのは「タイタニック」。
一級小型船舶試験のため「いいとも!」を休んだことも。
ボートに乗ろうと東京湾の岸壁からボートに足を踏み入れたところ
普段は固定されているはずのボート止めが外れておりタモリは真冬の東京湾に転落。
スーツの上に着込んだコートが水を含み身動きが取れずとっさに
衣服を脱ぎ捨て自力で泳いで陸に上がったということも。「死ぬかと思った」。


【ボーリング】
大ブームの頃にボーリング場の支配人に。


ボキャブラ天国
92年10月14日放送開始。いくつかの変遷を経てゴールデンタイムにも進出。
「バカパク」「シブ知」などの言葉を生み出し、
ネプチューン爆笑問題などをブレイクさせた。


【牧師】
中学時代、教会の日曜学校に通っていた。
その時、牧師を“芸人”のように見ていたという。
これが後に、年末の「いいとも特大号」のオープニングの
牧師ネタにつながっているのか?


  =ま=


【負けず嫌い】
どんな小さなゲームでも大人気ないくらい真剣に勝負する。


【右目】
子供の頃、倒れた電柱から針金が出ていたところを通りかかり
それに気付かず覗き込み針金が右目に刺さり、失明
奥さんのブラックジョークに「タモリはご飯もカタメが好きだから」
なんていうのがあるらしい。


【密室芸】
その多くが赤塚宅居候時代の呑み仲間からのリクエストに答えて披露したもの。
「オリジナルを発案するのではなく誰かが発案したものを商品化する天才」と評される。
TVの放送コードに抵触するようなキワドイ芸(皇室、宗教関係)も連発し
「恐怖の密室芸人」と呼ばれる。
「四ヶ国語麻雀」「北京放送」「陶器の変遷」「天気予報」「株式市場」
中国語講座」「新日本紀行」「ハナモゲラ実況中継」「教養講座の大学教授」
「現代詩の夕べ」「劇団ごっこ」「中洲産業大学助教授」
寺山修司竹村健一、野中昭如、大屋政子、ワニ、ハエ、イグアナ、ナマケモノ
コンドルなどの形態・声帯模写
中国、韓国、アメリカ、ドイツ、アフリカ、ベトナムなどのインチキ外国語などなど。


ミュージックステーション
86年10月24日より放送開始。通称「タモリステーション」「タモステ」


【無責任】
高校時代、生徒会の副会長を務めるも先生から「おまえは無責任だ」と言われてしまう。
が、この無責任さが現在のタモリのスタンスを決定ずけているといえるだろう。


【目黒の豪邸】
86年完成。トイレはふたつ。