想い出がいっぱい


あだち充といえば、単行本を2億冊近く売り上げ、「みゆき」「タッチ」「陽あたり良好!」「ナイン」「H2」「スロースッテプ」と数多くの作品がアニメ化、さらには、「陽あたり良好!」「だから青春 泣き虫甲子園」「じんべえ」「タッチ」「みゆき」「ナイン」「H2」が実写化までされている、国民的少年マンガ家だ。
だが、その一方、いわゆる"マンガ読み"を中心として、あだち充に対する評価は過小評価され続けている。(実際、自分も漫画好きの友人達に胸を張ってあだち充ファンを公言するのを恥ずかしいと感じていたりもする。)
しかし、そんな評価も彼は「完成度よりもいい加減さとデタラメさを大切にしてきた」「マンガのレベルを上げるのは他に任せて、僕は横っちょの方で幅を広げる役に徹したい」と意に介さない。
やれ、ワンパターンだ、やれ、顔が同じだといわれようと、「作品が変わっても変わんねぇやというか、この作品じゃなきゃ描けない、みたいなこだわりがない」「登場人物の顔もほとんど同じだし(笑)。劇団みたいなもの」と「あだち一座」を名乗り自嘲する。
クイック・ジャパン (Vol.62)」のインタビューを読んで、あだち充のこの「お気楽だけど、芯にド太い骨がある」感じは、まさに彼の漫画の主人公そのものだと思った。


あだち充は、素人時代から兄あだち勉ともに「COM」に投稿を重ね「群馬の天才兄弟」として有名だった。
先にデビューした兄に連れられ上京し石井いさみのアシスタントを経験したあと、1970年、「消えた爆音」でデビュー 。以後、佐々木守ややまさき十三ら、原作者と組み作品を発表する。
そして、78年「ナイン」と並行して描かれた79年「陽あたり良好!」の2作がヒットすると以後はほとんど休み無く*1驚異的なペースで作品を発表し続けている。
「ここまで続けてこれたモチベーションは、単純に、マンガを描くのが好きだって言うこと。いまだに、ひとりでネームをやっている時に、マンガを描いて食えるなんて、僕はなんて幸せなんだろうと、喜びを噛みしめてしまう」と素朴に語る彼のまっすぐな美しさもまた、あだち漫画そのものだ。


あだち漫画の金字塔をあげるとするならば、「タッチ」や「H2」が挙がるだろうが、個人的ベストは「みゆき」。野球という逃げ道が無いせいもあって、あだち流ラブコメの「微妙なニュアンス」が詰まっていて、それこそ擦り切れるくらい何度も読んだ。

アンチテーゼって程じゃないですけど、「ラブコメ」といわれていたものを読むと、「自分はこうはやりたくないな」というな部分が目についたのも確かですね。自分が気を付けてかいている部分を無神経に描かれると、嫌だなと。


主人公に、これだけは言っちゃいけないだろうというような台詞を無神経にしゃべらせてしまう作品が多かったような気がします。僕はそれをいかに言わないで読者にちゃんと伝えるかを悩みながら楽しんできました。だから、最終回のちょっと前の回を描くのがいちばん苦手なんですよ。今まで言わないで済ませていたことを、いよいよ言わなければいけないわけですから。「みゆき」の結婚式のシーンとか、「タッチ」の達也が南に告白するシーンとか、描いていてすごく苦しかった。ただ、その分、すっきりした後で最終回を描くのは楽しい。

これは自分の読後感と重なる。あの告白シーンは必要ではあるけれど、どうも苦手だった。そして、最終回の何ともいえない雰囲気に、なんでもないシーンのはずなのに涙が止らなくなった。


あだち漫画の最大の特徴が、この最終回に象徴される、台詞に頼らず、行間(コマ間)で語っていくスタイルだろう。「ネームを見せると編集者が不安がるんですよ(笑)。「これはどういうことですか?」と」と言うように、「ことばにできないこと、ことばにしないことが、描かれずに、描かれている」、漫画以外表現できないやり方ではないか。
今、少年漫画には「あだち充」が足りない。

*1:一番休んだのが長い期間が「H2」、「いつも美空」の間のわずか5ヶ月

「総理、そんなところでおしっこしちゃダメ!」

小池百合子の犬の名前は「ソウリ」。
それとは別に関係ないけど、小泉純一郎の後継者として、彼がまたサプライズを狙うとするならきっと彼女ではないかと。