ビートたけしとフライデー事件(序)


たけしが11人の軍団を引き連れ講談社の「フライデー」に襲撃すると、マスコミ各社はたけしの実家に押し寄せた。
「あんなどうしようもないのは、死刑にでもしてください!!」
母さきは一喝してみせた。
一番たけしを庇うべき存在の自分がこき下ろしたことで、マスコミを黙らせたようとしたのだ。



事件が起きたのは1986年。たけしは当時39歳。テレビのレギュラー番組だけでも週8本を抱える、まさに全盛期を迎えていた。
まだ小学生低学年だった僕はこの事件のことをよく知らない。もちろん事件については伝聞という形では知っているが、残念なことに当時の報道等は記憶には無い。 ただ印象に残っていることといえば「たけし城」で謹慎中のたけし人形だけ。ネットで調べても何故かこの事件について詳しく書かれたものがほとんど見つからない。
そんなわけで、書籍等を中心に僕の知らないこの事件について調べてみた。


事件の余韻が醒めぬ時、マスコミは競って多くの芸能人、文化人にもコメントを求めた。
その中にはもちろんビートたけしと親交のあった有名人も含まれていた。
ワイドショーのマスコミに囲まれたタモリは厳しい口調で言う。
「もし俺がたけしに何か言いたい事があるなら、会って直接話をする。
 だいたい、友達同士の大事な話を校内放送でするヤツはいないだろう。」


はたして、フライデー事件はどのような経緯をたどって起きてしまったのか? 
                                    (つづく)

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