ビートたけしとフライデー事件(7)


■顛末


年が明けると、バランスをとるためか事件のきっかけを作ったとされる石垣利八郎記者が書類送検される。
ここでもこの事件特有の歪みが生じる。
当初は不起訴、もしくは略式起訴での罰金刑が相当と言われていたものの、この事件を政治的に利用しようとした力が働いたと見られ、一時は示談が成立したにもかかわらず、検察にそれが認められず、たけし、石垣双方が起訴され裁判にかけられることになる。

1月7日  大塚署がA子を取材した石垣利八郎記者を傷害容疑で書類送検する方針を固める。
1月19日  たけし、たけし軍団11人、石垣記者が同時に書類送検
1月29日  たけしと「フライデー」で示談成立。
たけしが講談社に謝罪、講談社がA子に謝罪というバーターな示談内容。
のちに、検察庁からこれは示談ではないとされ、たけし、石垣が起訴される一因となる。
3月2日  石垣、たけしを傷害罪で起訴。軍団11名は不起訴。
4月17日  たけし、第一回公判(東京地裁)
5月18日  石垣、第一回公判(東京地裁)
5月26日  たけし、第二回公判。検察は懲役6ヶ月を求刑。
6月10日  たけし、第三回公判。懲役6ヶ月執行猶予2年の判決。
12月22日 石垣、罰金10万円の判決。

裁判は証人として出廷した風呂中編集次長が「これは何を裁くための裁判ですか?」と何度も問うたように、事件それ自体の裁判と言うよりも、「プライバシーとは何か?」「肖像権とは何か?」という報道姿勢を問う質問が相次ぐものだった。
判決後の会見でたけしは「おごっているところがあった。本当にそう思う。判決に関しては重いと思う。しかし、これだけの事件を起こしたのだから、冷静に受け止め、刑に服したい。ただ、6ヶ月もたったことなので、自分の中では解決したのだと思っている。くだらないことをやってしまった」と語った。


たけし謹慎中の番組ではそれぞれの番組で様々な対応が図られた。
スーパージョッキー」では山田邦子が代理司会を務め、「ビートたけしのスポーツ大将」では「たけしの」のクレジットを外し、単に「スポーツ大将」として放映され、たけしの復帰がないまま、1987年3月に番組はいったん終了した(復帰後再開)。留守を預かったのはフリーアナウンサー志生野温夫と事件に不参加のたけし軍団メンバー、つまみ枝豆井手らっきょラッシャー板前だった。
風雲!たけし城」では、たけしくん人形(ラッシャー板前)が影武者として城主の代理を務めた。熱血漢で、一言も喋らないがコミカルなリアクションで大活躍だった。
ビートたけしオールナイトニッポン」では代理パーソナリティを大竹まことらが務めた(その期間の番組タイトルにはパーソナリティ名は無し)。


たけし復帰は、87年6月25日の「たけし軍団オールナイトニッポン(ニッポン放送)」。7月復帰とみせかけて、リスナーはもちろんマスコミ各社も知らされない乱入復帰(翌日、散々叩かれる結果に)。正式復帰は翌週7月2日「ビートたけしオールナイトニッポン」。
テレビ番組復帰*1は7月3日放送の「オレたちひょうきん族」。パロディドラマ「さんまクン、ハイ!」で、鬼瓦権造のいでたちで「王将」を歌った。
12日「スーパーJOCKY」で日テレにもカムバック、その後TBS、テレ朝と続いた。
18日のフジテレビ「1億人のテレビ夢列島(24時間テレビ)」で深夜のトークコーナーに出演。これがタモリ、さんま、たけしの「ビッグ3」誕生となった。
この年、太田プロから独立、「オフィス北野」を設立した。


結局、マスコミ、タレント双方に大きなダメージを与えたこの事件は、その性格ゆえ、そのどちらもから語りにくい事件として歴史の中に埋没されていってしまった。
事件後たけしは「20年もたったら実にまぬけなお笑いの事件になってるよ。こんなことが何で事件になるんだって言う感じだな」と語っているが、20年経とうとしている今も、全く問題は解決されず、まだ笑えない事件のままだ。
                                    (おわり)

*1:復帰した順番は何故か資料によって異なる。収録日と放送日との違いなのかもしれない。ここでは日時までしっかり記載してある「ユリイカ・98年2月臨時増刊号」による

それもある。だがそれだけじゃない。(I)


悪役レスラーは笑う―― 「卑劣なジャップ」グレート東郷 ――
                        著:森達也(岩波書店/定価 819円)

かつて力道山の勇姿に熱狂したことのある人なら「グレート東郷」という名前を聞けば、強烈なイメージを抱くはずだ。ずんぐりとした体型、常にニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、極悪非道の反則攻撃を繰り出す。1962年の「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーとの一戦は、激しい流血戦となり、その模様を見ていた老人が何人もショック死している。白黒テレビの時代に、だ。


1956年生まれの僕は、彼をリアルタイムで見ていないはずだ。にもかかわらず、なぜかその存在が常に気になっていた。第二次世界大戦後のアメリカで「卑劣なジャップ」を演じ続け、悪役レスラーとして不動の地位を築き、そして日本でも「世紀の悪玉」と呼称されながら巨万の富を稼いだ男。リングを降りても「守銭奴」など、常に人々の憎悪を浴び続けながら、東郷は、何を考え、何を思い、何を憎み、そして何を愛したのだろう――

かなり魅力的な本だと思うのだがいまいち話題に上がっていないのは何故?
僕が巡回しているのが格闘技系ブログ中心でプロレス系が少ないから話題になってるのに気付いてないだけ?


まだ途中までしか読んでないのでアレだが、森達也週刊ファイトの採用試験で井上義啓編集長の面接を受けて落とされた、という小ネタから東郷の人物像を読み解く大ネタまで、興味深い話はバンバン出てきます。
プロレスに対する深い知識がないからこそ面白いと感じるのかな? とも思うけど森達也流ドキュメンタリーが好きな人には間違いなく面白いはず!