太田光、先輩三谷幸喜への屈折した想いを語る。


昨日放送の「スタ☆メン」に「有頂天ホテル」の宣伝のために三谷幸喜がゲストに訪れた。
実は三谷と爆笑問題とは大学の先輩後輩という関係。
番組冒頭、太田は「色々私には三谷さんに対して複雑な思いがあるんですよ」と切り出すと、阿川や田中が「古畑任三郎」について語るのを静かに聞いた後、その愛憎入り混じった感情を吐露し始める。



太田『日大芸術学部演劇学科ってところなんですけど、僕が1年生の時に三谷さんはもう4年生で、その時既に有名だったんです、学園内で。劇団つくってたでしょ、小劇団……、なんでしたっけ? 東京サンシャインボーイズ? いや、ちょっとその前がありましたよね?
…で、そこで、ぼくらが学生で悶々としてるときに三谷さんは、僕のイメージでは「常に絶賛されている人」なんです、周りから。
僕なんかは捻くれているから当時から人の悪口ばっかりいって学校に嫌われて、友達にも嫌われてっていうなかで(その頃は)芝居をやりたかったんだけど、要するに、何をやっていいのかわからないってい、悶々とした状態、あるじゃないですか。
ところが、三谷さんは常にトップにいたんですよ。日芸のヒーローだったんですよ!
で、僕らの同級生とかも全然、東京サンシャインボーイズに入ってたんですよ、僕はどうやって芝居やっていいのかわかんなくて、その連中が今度芝居見てくれよって東京サンシャインボーイズのチケットを(持ってくるわけですよ)。
こっちはもうひねくれてるから、「いかない!」ウケてんのはわかってんの、見てないけど、面白いのは分かってるの。
だけど、そんなもんみるか!と。見る必要ねえじゃねえか、と。お前らのやってることなんてクソなんだ、と散々いってたわけ。なーにが三谷幸喜だ、バカヤロウ!っていってたわけですよ。
行かなかったのはもし行って面白かったら、もう俺生きていけないんじゃないかと(思ったから)。
だから三谷さんは常に僕にとってそういう存在なんですよ。
で、それがあって、三谷幸喜なんてどうせそのうちダメになるんだ、って散々言ってたんですよ、面白いのは分かってたけど。見てくれって言われてたけど、絶対見ないって言ってたわけ。
それがこういう仕事し始めて、僕は三谷さんのおかげで演劇を諦めたんですよ。

三谷 「ああ、じゃあ良かったですね」

で、お笑いやってテレビで生きて行こうとなったときにこっちは先にテレビに出ました。ね、だけど、ある時期テレビからプッツリ仕事が来なくなった時期があって、そしたらこの男が、「やっぱり猫が好き」を始めて「あれ?三谷幸喜ってあの三谷幸喜か?」と、こっちは焦るわけですよ。
その後、ゴールデンの「振り向けば奴がいる(振り返れば奴がいる)」かなんかのをやって、それもウチで見てて面白いんですよ、コレが、哀しいことに。それで「まいったなあ、俺は、気がつくと俺は何もやってない」と。
三谷幸喜はどんどんどんどんきちんとちゃんとしたことをやっていくわけですよ。ちゃんとした仕事を常にやるんですよ、この人は、ね。
見てくれ、見てくれって言うのもいまだに変わってないんですよ。この間の「有頂天ホテル」もコレ見てくださいって自信満々に持ってくるんだよね、でも、俺は見たくないってわけ! 面白いの分かってんだから…。
ひがんでるって、そんな一言じゃすまされないんだよ! 俺の想いってのは。

三谷 「今の話は星飛雄馬に対する花形みたいな感じじゃないですか?」

そんないいもんじゃねえよ! 左門豊作だよ、アンタは!

三谷 「花形には花形なりの悩みがあるんですよ

俺はね、「有頂天ホテル」を夕べ見たときにその学生時代の感覚が甦ってきたんですよ。
学生時代、俺はね、教授とかの悪口とか散々言ってね、嫌われもんだったと。三谷幸喜はきちんとした芝居をやってたと。それが今20年たってね、「有頂天ホテル」見て、どうしても俺は…、ことごとく面白いんだよ、「有頂天ホテル」は。だけど、それが気に入らないわけ! 全部粗探しするわけ、俺は…、そうしてる時の……、、、
(太田の暴走を止めながら阿川「泣きなさい私の胸のなかで」)
アンタの貧弱な胸で泣けねーよ!
俺はね、昨日の夕べ、これって20年たって俺のやってることちっとも変わってねーじゃねえか、と。
学生時代と、結局三谷幸喜と俺の関係って、ここまで経ってもかわんねえんだって思ったとき、愕然としたんだよね……。』

三谷 「てゆうかね、これからもずっとこの関係が続くと思うけどね。悪いけど!