母親も語る麻生久美子の過酷な少女時代


hon-nin vol.03』の、吉田豪による「hon-nin列伝」(「hon-nin列伝 セキララなオンナたち (本人本 2)」にも収録)で、麻生久美子本人からあっけらかんと語られた壮絶な少女時代の貧乏話。
その話を裏付けるように彼女の母親のインタビューが「週刊現代」2月26日号(2月2日発売号)に掲載されていた。
それを読むと、麻生久美子自身が語った、その濃すぎる内容は、それでもまだ実際の生活よりは薄くしていたのだということが判る。


例えば「『また同じの着てる。あいつん家、貧乏だからしょうがねえよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど。」と本人が語った文字どおり"石を投げられた"イジメ話は、母の記憶では、さらに命の危険にも及ぶ。

久美子はただ貧乏だというだけでよくイジメられてたの。石を投げられたり、突然、道路で押されて、車に轢かれそうになったりね。さすがにそのときは私も怒って、相手の親のところに行ったわよ。「叩いても蹴ってもいい。でも、頼むから道路で押さないで。押したら死ぬから。必死に育てた娘の命にかかわることだけはやめて」って言ったの。


麻生が「お父さんとはほとんどしゃべったことがないから(笑)」「あとは親の喧嘩ぐらいしか記憶がなくて」という父親については、やはりその妻である久美子の母は詳細に語っている。

ダンナのカネ遣いが荒くてね。麻雀にハマってる時には一晩に20万も使っちゃって……。その上、ゴルフもやってハデに暮らしてた。生活費なんて1円も入れないし、借金もあったからね。当時は目を瞑ったから、おカネのことばっかり考えてた。家に誰かが来たら、もしかして借金取り? って、いまだに思っちゃうもん。あなた(記者)が来たときも、一瞬そう思っちゃったわよ(笑)。
           (中略)
ダンナとケンカして、私が暴力を振るわれて泣いてると、いつも間に入って庇ってくれてね。「お母さんを殴らないでよ!」ってボロボロ涙を流しながら、私を一生懸命助けてくれたの。その後、「お父さんは家におカネ入れてくれないんだから、もう別れていいよ」なんて、弟と一緒になって言うのよ。でも、借金で別れたって思われるのはイヤだったから、全部返してから離婚したの。


そして「え、みんな(ザリガニは)食べないですか?」とさらりと言い放ち「美味しかったですよ。だから「ザリガニ釣りに行こう」って言われてみんなで行くのが嬉しくて。友達はちゃんと水槽に入れて飼ってたけど、ウチは鍋に入れて(笑)。美味しいんですよ!」と熱弁する、本人のご馳走の記憶を母も裏付ける。

家に帰ったら、ザリガニもご馳走だったのよ。家の近くの川に行って、みんなで糸にパンの耳とか、ザリガニの尻尾をつけて釣ると、誰よりも久美子が一番上手かったんだよ。持って帰って来たザリガニを鍋で茹でてあげてね。エビみたいに真っ赤になって、プリプリして美味しいのよ。


ザリガニだけじゃなくて、道に生えてる雑草……といってもスカンポっていう山菜の皮むいて、塩振って食べたりね。ススキとか椎の実とか、私が美味しいよって教えると久美子も「本当だ〜」って喜んで食べていたのを思い出すわ。久美子は「もし何にも食べ物がなくなっても、これで久美は生きていけるね」なんて感動してたっけ。

子どもたちには、「これは貧乏じゃないんだよ。いいことなんだよ」って言い聞かせてね。心の中では、こんの食べさせてゴメンねってずっと謝ってた。