赤塚不二夫が語るタモリの居候生活


タモリがデビュー前、赤塚不二夫宅に居候をしていたことは有名な話だけど、こちらに書かれているように、「笑っていいとも!」でもその秘訣を明かしている。

「卑屈になるな」
「こいつはもしかしたらすごい奴なのかもしれないと家の人に思わせる」

これを実践し、タモさんは、赤塚から小遣いとして月20万をもらいながら、我が家のように生活していた。


スカパーのテレ朝チャンネルの「徹子の部屋classic」で、1981年に放送された赤塚不二夫がゲストの回で、当時のタモリとの生活について語っていた。

徹子 「タモリさんにアナタ、おうちを乗っ取られてたじゃない?」


赤塚 「1年ぐらい(笑)」


徹子 「アナタ(が逆に)、こそこそ居候のように。スタジオの隅で寝たりして」


赤塚 「僕は仕事場で寝てたりしてね。自分の洋服取りに行くときにね、電話かけたりしてね。『今からいってもいいでしょうか?』なんていってね(笑)。それで、自分の服とりに行ってたりしてたのね」


徹子 「タモリさんは奥さんと一緒にあなたの家に住んで*1


赤塚 「そうですね。(タモリの)友達がいたりしてね。部屋へ行くとなんか、よその家に来たみたいに。急いで洋服持って、『失礼しました』って出て行っちゃったりしてね(笑)
あのー、タモリのね、僕は才能に惚れたんだよね。当時は誰も知らないわけでしょ。で、色んなテレビ局、一番最初ここ(テレビ朝日?)に連れてきたんですよね。「土曜なんとか」*2っていう。それで番組に出したでしょ。あれが初めて。で、出たあとあなた(黒柳徹子)から電話があって「あれ、誰よ、誰よ」って。
あの時まだタモリっていわないで、森田一義っていう本名で出したんですよ。
『あがるなよ、絶対あがっちゃだめだぞ』って言ったら堂々と本番になったら全然あがんないのね。これはいけるな、とびっくりしましたね。


タモリがああいう風にフレッシュでいられるのは、同業者とあんまり付き合わないで、色んなジャンルの人間といつも一緒にいれば違う世界のアイデアが入ってくるでしょ。それを自分の世界で生かすっていうね、それがすごく大事だと思う」

*1:タモリが居候を始めて9カ月後奥さんも東京に呼ばれた。

*2:詳細不明