立川談志が明かす「笑点」誕生の裏側

11月10日に放送された「SMAP×SMAP」で、立川談志爆笑問題に伴われて「ビストロ・スマップ」に出演していた。そこで、中居正広に「なんで『笑点』をテレビでやろうって(思ったのか)?」という問いに、その誕生の経緯を語っていた。

その頃ね、(夜の)11時からテレビを見る人なんてのはいなかったの。
それ(この時間帯の番組の企画)を頼まれたの。
それじゃあ、どうしようかと。
家庭にいる奥様方にご亭主はどんなところにいるか、酒場を映して、クラブを映して、呑んで、そこでダンサーが踊ったり、いろんな会話をしたりするのをやったの。
それと、演芸みたなのを。
それで、片一方(前者)が「11PM」という番組になった。
で、こっち(後者)が、「金曜夜席」っていう番組になって、それを「笑うポイント(点)」(と名付けた)、あれは柳原良平って人のアイデア*1。今までは「日曜演芸会」とか「火曜名人会」とかだったのを、「笑点」ってぶっ切ったのも成功なの。
それで、座布団の運びっていうあれはね、刑務所の発想なの。昔の牢屋。
牢名主が沢山積んでるじゃないですか。あの発想なんです。
最初は(大喜利の司会を)円楽にやらせて、俺は円楽を売ろうと思ってましたから自分は作家でいたわけ。でもあんまりにも下手糞なんで、私がやった(笑)。

「漫才」を「MANZAI」と呼び変えたことが、漫才ブームのきっかけといわれているが、これと同様の発想の転換が、これだけの長寿番組を生んだのだと思うと非常に興味深い。
番組前半に演芸コーナー、後半に大喜利という番組構成、良い答えに座布団を運ぶルール、大喜利冒頭にメンバーが名前以外に一言添えて挨拶するというスタイルは、すでに番組スタート当初に出来上がっていたというのだから凄い。


参考>>ウィキペディア「笑点」

*1:一般的には、三浦綾子の小説「氷点」をもじって談志が名付けた、とされている。