土田晃之にトラウマを植えつけた二人の芸人
こちらでも書いたとおり今年度の年末年始の番組屈指のバカ番組「鶴瓶カレンダー2009」。
もう無茶苦茶だった印象しか残っていないですが、そんな中で土田が鶴瓶をロケ地に連れていく車中で明かした話も興味深かったので書き留めておきたいと思います。
鶴瓶に「ピンになったときの不安ってなかったの?」と問われた土田は「ありましたね」と振り返る。
土田: 「いろもん」が一番地獄だったんですよ。
鶴瓶: せやろ。
土田: 過去10数年の仕事で。呼ばれて嬉しかったんでもの凄い気合いをいれていったんですよ。
で、絶対にしゃべろうと思ったらオチに行く前に今田さん東野さんに話をかっさらわれるんですよ。
二人がまたパスで話して…。
鶴瓶: だから俺一時いうたもん。お前らちょっと聞いたれ、と。
土田: まあ、むこうも勝負だって気持ちももちろんあったでしょうし。
僕、ビデオ撮って、5年くらい見れなかったんですよ。
それで、「明石家マンション」で今田さん、東野さんとお会いしたときにその事言ったんですよ。「あん時はホントに…」みたいに話したら、「いや、お前、そんなことなかったで」って言って下さって、「ちょっと見てみ」って言われたんですよ。
で、家帰って見たら、自分が思ってたよりは酷くなかったんですよ。
鶴瓶: それはようバランス知っとんねん。
土田: で、改めて今年見たんですよ。そしたら、「あ、俺が下手なんだ」って(気づいた)。
僕はその当時、今田さん東野さんのパスが速くて見えないと思ってて、こんな間には入れないと思ってたけど、今見ると、今田さん東野さんもそんなに本気ではやっていないんですよね。僕ら若手が下手なんだなぁ、て思って。
「いろもん」の司会がウッチャンナンチャンから今田・東野に引き継がれたのは、98年10月。
もちろん当時も今田耕司・東野幸治は、既に若手芸人としては、トップクラスの数えられていたものの全国区のトーク番組の司会となるとやはり土田が言うように「勝負だって気持ち」が強かったのでしょう。
いまや若手の良さを引き出す司会者だけど、この頃はまだ、そのフリは(もちろん受け手の力量も関係していますが)威圧感の方が勝っていたようです。
土田にトラウマを植え付けたこの時の映像*1、改めて見てみたいです。
ちなみに以前「アメトーク」で土田は二人の凄さを伝え、そのうえでこうも語っています。
「ひな壇の元になってるのは(今田耕司)。ボクはマジな話で、今田さんと東野さんが出てる番組、一時期片っ端から録って、コメントとかツッコミとかを全部ノートに書き出した。で、素人と絡む時にそれと似たような言葉使ってみたりとか、ずーっとビデオを見て間を研究したりとか。ホント、今田さん東野さんがいてくれなかったらボクの今はないと思う」
*1:多分、リアルタイムでは見ていたと思うけど