山里亮太・天才の公式(前編)


いよいよ、間近に迫った『M-1グランプリ2009』決勝。
その進出メンバーに返り咲いたコンビの中に南海キャンディーズがいる。
山里亮太の著書『天才になりたい』は、よく「売れなかった芸人本」としてネタにされるが、それとは全く関係なく、中身はとても素晴らしいものだ。


「山ちゃん、時々おもしろいこと言うからお笑いやってみたら」
山里亮太が親友にそう言われてお笑い芸人を志したというのは、よく本人から語られることだ。
普通人は「時々おもしろい」と言われたからってプロになろうとは思わない。
しかし、山里は、その「時々」をよりどころにすることで、自分にその才能を信じ込ませた。

そんないくつかの「時々」を集めてできた「偽りの天才」のの製作作業、こいつはすごい。なにがすごいってたいして自信がないものでも、周りからポロッと出た誉め言葉などで小さな自信を張っていってもらったり、些細なことをそこに結びつけたりすることによって、結構立派な張りぼてってつくってくれるものなんです。僕はそれを「張りぼての自信」と考えた。

そうはいっても、テレビ画面に映る山里亮太を僕らが見るとき、その新鮮な言語感覚や語彙の豊かさに何度も驚かされる。それは「天才的」とも言えるくらいに。
しかし、山里は自分は「本当の天才」ではない、と言う。

僕はひたすらネタを作りまくった。ただ何がおもしろいかをあまりわかってなかった。どうして作っていっていいかわからず、とりあえず自分の好きな芸人さんのネタをひたすら書き起こすことをやってみた。
ひたすら書きまくった。浪人時代の癖で、わからないものはひたすら書いて体に覚えこますという方法、たとえば当時、爆笑問題さんをテレビで見て、そのしゃべりを必死に書いてたりとか。
                  (略)
「必死」「一生懸命」この単語が似合わない世界、「本当の天才」が創るべき世界で、自分がすごくおもしろくないやつだと思われているのもわかっていた。でも、必死に一生懸命に、張りぼてを立派にしていくことしかできなかった。

自分が「天才」だと周りに思われたい。山里はそんな思いが強かった。

僕は奇抜なことをしようと思ってする、一方、天才は、したことが奇抜ととらえられる。ここは埋められない大きな差である。しかしこの二つとも見ている人には同じ奇抜なことなわけです。ここで重要になってくることが一つ、僕たち凡人の「しようとしてる」を見せないようにする、この努力が必要になってくる。

周りに「天才」とだと思わせることができれば、自分自身が自らを「天才」だと思い込める。その思いこみは、挫折をした時の自分を守る盾になる。
NSCの同期には、キングコングがいた。入学当初から際立ったスター性とお笑いセンスで頭角を現していた彼らは、山里に劣等感や挫折感を与えるのに十分な存在だった。
そして、本当の天才を目の当たりにして焦った彼は間違った方向に向かってしまう。
「自分を高めることをせずに相方のあらを探し、そこを攻めることにより得る優越感」を優先してしまった。
結果、卒業間近には、キングコングは別格としても、それに次ぐ存在になっていた山里と水上のコンビは、水上の「もう許してくれ……」の一言で、卒業を迎えることなく解散した。
新たな相方を迎え「足軽エンペラー」となっても、山里は自分の「天才性」を証明するために必死だった。

そのときのネタは、僕は自分でやっていて楽しいものではなかった。そのときはそれが当たり前だと思っていた、楽しいはずがない。仕事なんだから、と。
というのもその当時のネタはこだわりのない、公式を考え、そこにそのとき流行っている単語を当てはめるというものだったのだ。クリエイティブとは程遠い作業だった。
             (略)
ただそれがある程度はうけてしまう、だからまたそこを一生懸命作ろうと考える、だめなループだった。

例えば当時、彼らがやっていたネタはこのような公式で作られていた。

富男 すみません、風邪をひいてしまいまして。
山里 冷やしたほうがいいな、じゃあこれおでこに貼って
富男 なんですか?
山里 【寒いとされている芸能人】の写真です。

この【 】の部分に、みんながおもしろがっているキーワードを当てはめる。そのキーワードを探すことに一生懸命だったという。


程なくして、足軽エンペラーは当時の人気番組「ガチンコ!」への出演のチャンスが舞い込む。
そこでも、山里の戦略が練られることになる。
「富男君はお笑いをなめてる人になって」と、「ガチンコ!」オーディションにあたってコメントの返答例まで作ってキャラ作りをさせる一方で、自分はストイックなキャラになりきった。
それが奏功したのか、見事オーディションに合格。
当然のように実際の番組収録でもキャラクターを作る。

富男君のスタンスは「俺らだけがおもしろいと思っているネタをやればいい」というもの、で、僕は「お客様あってこその芸人だろ」というスタンス。いい役は僕という生粋の器の小ささを披露、そこでの僕のセリフは、
「俺たちは壁に向かって漫才しているんじゃない!」

山里のこの戦略は成功をおさめ、「ガチンコ!」で優勝を果たすことになる。
しかし、同時に自分の限界を感じるようになってくる。

はっきりとではないが頭をよぎるものがあった、それは僕の中に「これがやりたい」という気持ちがないということだった。「こうすれば人が笑う、この有名人を使えばうける」という考え方ばかりしてきた弊害、ネタが書けなくなるということだった。
必死で、今まで使ってきたものの配列を変えて使いまわす、そんなネタ作りになっていた。

ガチンコ!」優勝特典で与えられた単独ライブでわずかに光明は得たものの結局はもとに戻ってしまう。

「A×B、このAとBのリンクがおもしろい、AとBの距離が離れているほど斬新に見せることができる」
斬新に見せる=天才と見せられる、こんな公式だった。これも僕の中では一つの発見だったが、まだここでは決定的に足りないものがあった。
それは自分がおもしろいと思ってるという気持ち。

そして、これからという時に、相方が山里との主従関係にキレて解散を余儀なくされる。


山里亮太の歩みを見ていると公式ともいえるあるパターンが見えてくる。

(1)[過去の自分をいい部分を寄せ集めて自信に変える] +(2)[現状を見つめ戦略をたてる]=(3)[ある程度成功をおさめる]
(4)[3の実績を自信に変える] ×(5)[過信する]=(6)[後悔、挫折、落ち込む] ※(1)に戻る

相方を失い、芸人としての方向性も見失った山里。
そして、遂に彼の転機となる出会いが訪れる。


(長くなったので後編に続きます)

天才になりたい (朝日新書)
山里 亮太
朝日新聞社
売り上げランキング: 133274