山里亮太・天才の公式(後編)


(前編)はこちら


そんな時、出会った笑い飯と千鳥が山里の運命を変えることとなる。
最初は「ガチンコ!」で優勝した足軽エンペラーをバカにしている奴がいるという噂だった。
その噂で反発心を抱いていた山里だが、彼らが、自分も尊敬していたバッファロー吾郎主催の『ホームラン寄席』に出演したという話を聞き、興味を抱くようになった。
そして、実際に目の当たりにした彼らのネタは「正直すごかった」。
実際には、観客の受けはそれほどでは無かった。むしろスベってるくらい。しかし、山里は「おもしろい」と思った。

おもしろいと思う人から、おもしろくないと思われている情けなさ、それを痛感した。ただこの圧倒的な敗北感が、僕には宝になった。

山里はこれまででは考えられない行動力を発揮する。その敗北感を原動力に。
なぜおもしろいのか、を本人たちに直接聞くために、先輩の仲介で酒の席を設けてもらったのだ。「どうしたらああいうネタができるんですか」と。
彼らは言う。「自分が客席にいたとし、その自分が見て笑うものをやってるだけ」と。
「僕が考えているものには、いつだって自分はいなかった、お客さんは何を言ったら笑うのか?ばかりを考えていた」という山里の意識が大きく変わっていった。


そして、現在の相方であるしずちゃんに出会う。
南海キャンディーズ結成当初は、彼女の個性を持て余し、なかなかうまくは行かなかった。
しかし、うまくいかなかったおかげで、悩む時間はたっぷりあった。

自分は、なぜ相方にしずちゃんを選んだのか? この命題がすべてを解決してくれた。
答えはすぐ出た。「おもしろいボケだから」。そう、おもしろいボケだから組んだ、なのに、自分はそのおもしろいボケを伝えるのではなく張り合おうとしていた。「張り合おう」から派生して、変わったことをやろうということに必死になっていた。
忘れていた。自分がおもしろいと思うことをやる、それが変わってるというのが天才なんだ、全く天才ではない僕のような凡才でも、自分がおもしろいと思うことをやらなきゃおもしろくないんだ。その大前提を完全に見失っていた。
そのことに気づいたとき、いっきに選択肢が広がってきた。じゃあ自分は何をしたらいい? ボケである相方の足を引っ張ってるスタイルをやめたらいい、ボケを際立たせるための存在になればいい、突っ込みになればいい。答えはシンプルにしてでかいものだった。

こうして、自分が天才だと見られたい思いから解放されて「おもしろい人の隣にいる人」というポジションを得た山里は、「自分が楽しい、自然な状態」を保つようになれた。飾らない自分を表現することが出来るようになっていく。

僕は「生み出す力」はあまりないと思う。この世界でそれを堂々と言うのはどうだろうかと思うが、自分の立ち位置、弱点を把握することによって見えてくる自分の武器、そこの特化への着手ができると考えることによって弱点が相殺された、もしくはされたと思うことによって一つの安心を持った。


そしてついに、あの「M-1グランプリ2004」の決勝に進出し、知名度が飛躍的に高まっていく。
それまでとは比較にならない量の仕事が舞い込み、同時にプレッシャーが重くのしかかっていった。

おもしろいと言われたい、その感情がいつしかおもしろくないと思われたくないというものに変わっていった。足元は真っ暗 だった。誰かに悩みを打ち明けると、そこから「あいつは自信をなくしている」と思われるのではないかと、それが怖くて、打ち明ける人もいなかった。しずちゃんにも悟られたらいけないと思っていた。だから誰にも言えなかった。
みしみしと聞こえてくる心のきしむ音、うけたときにも「お客さんは雇われてきている笑い屋さんだから」と考えたりするようになった。


しかし、そんな壊れかけた心を救ってくれたのは、やはり芸人仲間だった。
初めての全国レギュラー番組「落下女」に出演するも、自分の力が全く発揮出来なかった。

さすがに自分は才能がないなと、また負のスパイラルの入り口に立ちそうになった。すると周りの先輩が、僕のだめなコントをおもしろく放送する方法を大喜利方式で話し始めた。
ドキュメントタッチで「ある芸人の心が折れるとき」というタイトルでNHKで放送しようとか、お蔵入りになったことを何一つ悪く言うことなく、さらにもう一段高いところで話をしていた。
恥ずかしいという自分の悩みが一番恥ずかしかった。

ようやく先輩たちの優しさで立ち直り始めた頃、2005年のM-1グランプリでも決勝に進出する。
しかし、結果は無残にも最下位だった。

もう終わったと思った。控え室に帰ると大笑いで僕らを迎える人がいた。片山マネージャーだった。
死にそうな僕を捕まえて、げらげら笑いながら「おもしろいなぁ山ちゃんは」と言ってきた。頭がおかしいんじゃないかと思った。そこに片山さんは続けて言った。
「ここで最下位取るところがおもしろい」

出た結果に悩んでいても仕方ない。悪い結果が必ずしもマイナスだけとは限らない。それをなんとかしてプラスに変える。そう考えると道が開けてきた。


山里は新しい公式を発見したのではないか。
たとえ悪い結果や悪い状況に陥ったとしても、仲間たちのいじりや自虐をかけあわせれば、プラスに変えられる、と。
思えば、この本自体もまさにその公式によって書かれているように思える。
決して天才とは言えない彼が、徹底した客観性を持った視線で自分を見つめ直し、自らにツッコミを入れつつ前進する姿はとてもカッコいい。
それはとても「天才的」な芸人の姿だ。

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