星野源の共感と羞恥
このクソッタレな時代に、同じようにソングライティングをもって格闘しているなら、仲間として “その剣の使い方、どうなの?”というような種類の話をしてみたい(『TV Bros.(2012年10月27日号)*1』)
と佐野元春が2009年から始めた『佐野元春のザ・ソングライターズ』も現在はシーズン4を迎えている。
11月2日と9日のゲストは星野源だった。
たたきあげの笑顔
星野源は学生時代のことを問われこう答えている。
暗かったですね。自分の気持を素直に表に出せなくてそれを音楽とか演劇をやってなんとか消化してたというか。普通に同級生と自分の気持ちで話せなかった。
(最初に曲を作ったのは)中学3年生か高校1年の時。オリジナルの一番最初の歌詞は確か「人の関係」っていう歌だったと思うんですけど「人の関係がわからない」って感じで「わからない」っていっぱい書いてあった。自分のことながら落ち込んだ覚えがありますね。
そんな学生時代のことを星野は徳井義実とともに出演した『ゲストとゲスト』ではこう振り返っている。
小学校の頃から学校に行く度に「顔が暗くなっていった」って親が言っていて。あんまり記憶が無いんですけど。いわゆる社会的な場所に馴染めなかったんですよ。で極めつけは小3の頃にうんこを漏らしてあだ名が「うんこ」になって……。(『ゲストとゲスト』)
その“事件”については設楽統、若林正恭と鼎談した『ボクらの時代』に詳しい。
体育の時間に白い短パンはいててマラソンの授業中で校舎に行くんですけど辿りつけなかったんですね、ヘトヘトで。
で、下駄箱のところでさーっと出てきちゃって、これはまずいと思って手ですくって投げたりとか、とりあえずパニック状態で何したらいいか分からなくてバーンって投げたら壁にナイキみたいなマークでうんこがついたりとか(苦笑)。とりあえずトイレでどうしようって思ったら授業が終わって、同級生がトイレに入ってきたら「くせーぞ!」「源がうんこ漏らしたー!」ってなって。それで担任の女教師にホースで身体を洗われたんですよ。「ペニスを出しなさい」って言われて。「へ?」と思って、でも友達は見てるわけですよ。みんなが見てる中、パーっと洗われて、アメリカの刑務所みたいな(笑)。(『ボクらの時代』)
今でこそ「笑顔がステキ」などと言われることが多いが、自分では「一体誰のことを言っているんだ?」と違和感をおぼえるのだと言う。
あんまり感情みたいなものが出なくなって。
中学の頃にあまりに笑えないから無理矢理笑ってやろうと、とにかくウソで笑ってたんですよ。そしたらだんだん気持ちが追いついてきたのかだんだん笑えるようになったんですよ。(『ゲストとゲスト』)
と、その笑顔が「たたきあげの笑顔」(by徳井)であることを明かしていた。
そして決定的な転機になったのは映画『69 sixty nine』への出演だった。
そのオーディションでその「うんこを漏らした」話をしたらたまたまその役が「うんこを漏らす役だったから(笑)」見事合格。自分のトラウマが仕事に繋がったのだ。
恥ずかしさを学べ
佐野元春は星野源の詞の最大の魅力を「『語り部』的な部分」だと言う。
物語が好きだというのが強いと思います。あと、単純に自分の気持を歌う、いわゆる「俺の歌」ってするのは単純に「恥ずかしい」というか「そんな器じゃない」って気持ちにどうしてもなってしまって。だからその自分の気持みたいなものを物語に織り込ませるとそんなに恥ずかしくないし、自分の歌にならずに人の歌になってくれる。物語を歌うと、物語の主人公とか登場人物とか風景に自分を投影したりとか感情移入したりできるんじゃないかなと。で、「その人の歌」になってくれるんじゃないかなっていうふうに思って。
『ボクらの時代』で星野は「音楽やってる人って『恥ずかしさ』に対して無自覚な人が多すぎるんですよ」と語っている。
音楽って自分の心をストレートに出すことが良しとされるっていうか、それが恥ずかしかろうが恥ずかしくなかろうが良いんだっていう。
僕は高2の時に初めて松尾スズキさんと会って、授業を受けたんですよ。一番最初に教えられたのが「恥ずかしさを学べ」。ここからここまでやったら「恥ずかしい」。で、とにかく俺たちがやっている表現って全部恥ずかしいんだ、人前に出るっていうのは恥ずかしいことなんだよっていうのを、まずすっごい教わったんですよ。授業的にはいきなりSPEEDの「BODY&SOAL」を全力で踊らされたんですけど(笑)。恥ずかしいと思いながらやれ、と。それを音楽に当てはめた時にあまりにも恥ずかしいって思っている人がいないっていうか。それにずっと違和感を持っていて。(『ボクらの時代』)
「日常を歌おうというよりヒントがとりあえず近くにあるので身近な歌になってしまうというのが多い」という星野は「入れ歯」*2とか「禿げ」*3など「歌にならなそうな言葉」をいかに違和感なく真面目に歌うか、ということを考えるという。
僕は「老人」をテーマにした曲が多い(「老夫婦」「喧嘩」「茶碗」「布団」「グー」)んですけど、ラブソングを書きたいんだけど自分のこととか同い年のこととして歌うとちょっとこっ恥ずかしいというか。でも老人が主人公だとちょっと距離ができるじゃないですか。だから恥ずかしくないというか。単純に自分にとってすごくスルっと言葉が出てくるテーマなんだと思います。
共感はいらない
星野は自分の曲を聴いて「共感してほしくない」と言う。
共感って同じ事を経験している、同じ事を思っている人だけじゃないですか。だけど若い人が老夫婦の歌を歌っていて自分のことを投影するっていうのは共感とは違うと思うんですよ。だって経験してないわけだから。それは共感というよりもっと“いいもの”なんじゃないかって。人間は「ばらばら」だと思うので、一人ひとり。たとえば、双子でもぜんぜん違うだろうし、やっぱそれは共感っていうものでつないでしまうとすごくもったいないんじゃないかなって。それぞれが孤立したまま自分っていうものを持ったまま一緒にいる、みたいなことができないかなと。
星野源の代表曲に「ばらばら」という曲がある。
世界はひとつじゃない / ああ そのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない / そこからどこかにいこう
と始まる歌である。
この歌詞は7年くらい前に壮絶に好きな人に振られた時に書いたものだと明かす。
前からずっと違和感があった「世界はひとつ」って言う言葉。全然それは否定しないし、いい言葉だなとも思うんですけど、「地球はひとつだけど世界はいっぱいあるのになぁ」って思ってたんですね。
ふられたときに絶望的な気持ちだったんですけど、「世界はひとつになれないんだ」っていう前から思っていたこととその時の気分が重なってこの曲がわーっとできたんですけど。すごく偉そうに感じたんですね、歌詞が。お前はどの立場から言ってるんだ、と。
で、そう思った時に最後に何かちゃんと解決策を見出さないとダメだと思って、それでずーっと考えて、たとえば赤色と青色があった時にこの2つは絶対ひとつにはなれないけど重なった時にひとつの色ができる。それはどっちかが色を変えているのではなくて、ただ重なっているだけだ、と。それは人間関係でも言えるんじゃないか、と。「君と僕はひとつだ」なんて「嘘つき!」ってずっと思ってたけど「君と僕はふたつだ」って言われるとそうだよなって。でもその「ふたつ」は「ひとつひとつ」とはまた違うじゃないですか。それぞれがちゃんと孤立して自然と重なることでなにかひとつのものがそこに生まれるんじゃないかって。
番組の「ワークショップ」のコーナーでは星野が作った短いメロディに学生たちが歌詞をつけるという講義が行われた。
そこで星野源は自らも参加し、その曲に歌詞をつけた。それが「もりそばは 出されたら早く食べないと 固まってしまう」ともうひとつ、
「みんな死ね みんな死ね 殺してやりたい この僕の次に」だった。
ストレスが「う〜〜!」ってなった時にそれをぶつけてやりたいってなった時に、これを(そのまま曲にして)流してお客さんが聴くと嫌な気分になっちゃうかなって思うと作れなくなっちゃう。僕がよくやるのは一回バーンっとぶつけてみる。で、ちょっと工夫すると普遍的なものになったり、(略)違う見方ができるんです。
「ばらばら」は最後にこう歌って終わる。
あの世界とこの世界 / 重なりあったところに
たったひとつのものが / あるんだ
世界はひとつじゃない / ああ そのまま 重なりあって
ぼくらはひとつになれない / そのままどこかにいこう