「あいつには頭あがんねえよ」と、たけしは言った。


「あいつには頭あがんねえよ、なんだかんだ言ったって結局よ、あいつが漫才ブーム創ったんだからよ」と、当時の漫才ブームを振り返ってたけしは言っている。
この「あいつ」とは一体誰なのか?


本格的な漫才ブームの到来は80年からである。
それ以前の「あいつ」は大阪でくすぶっていた。
そんな時、所属する吉本興業の重役から声がかかる。
「漫才はぎょうさんおるからお前ら集団でドリフみたいなのせい」
ビールスセブンと名づけられたこの集団のメンバーは、のりおよしお、B&Bザ・ぼんち、そして明石家さんまという今思えば豪華なメンバー。
程なくして、たまたま大ウケした舞台を見ていた「ヤングおー! おー!」の林プロデューサーが彼らの起用を決める。
遂に大きなチャンスを手に入れたはずだったが「あいつ」のコンビだけはずされる*1。理由は「できるだけ若いほうがいい」というだけで。


失意の中だったが、ラジオ大阪の公開演芸番組で当時東京で人気ナンバー1だったセントルイスと共演するというチャンスを得た。
そしてこの日、爆笑を獲得し、後から登場したセントルイスはその余韻でざわめく客を相手に苦しむ結果となった。
これで自信を得ると、大阪にこのままいても頭打ちだ、という思いで吉本興業を辞め東京の戸崎事務所に移籍。浅草・松竹演芸場を主戦場に選ぶ。


そして後に漫才ブームの発火点といわれるようになる「激突! 漫才新幹線」でセントルイスやすしきよしと共演を果たし一気に知名度を上げることに成功する。
そしてブームを決定づける「THE MANZAI」が始まる。ツービート、やすしきよしB&Bザ・ぼんち紳助竜介、のりおよしお、やすこけいこ、セントルイスサブローシロー、おぼん★こぼん……。この番組に出演していることこそブームの先頭を走っている証だった。


さらに同時期スタートしたのが「お笑いスター誕生」である。
この登龍門的番組は出演規定こそプロアマ問わずだったが、挑戦者はおおむねテレビ初顔の新人やマイナー芸人だった。
が、この中にもうすでにトップ集団を走っていた「あいつ」が出演する。
このハイリスクローリターンの挑戦にもちろん事務所の社長は猛反対する。
「お前らはもうスターじゃないか!」
「そうじゃないよ、社長。プロはこんなに面白いんやということを見せつけてやったらええやないの」
と、あいつ=島田洋七はきっぱり反論した。
こうしてB&Bは10週ストレートで初代チャンピオンを獲得する。
この狂気ともいえる挑戦で、B&Bは名実ともにブーム集団のトップに立ったのだ。
かっこいい大人とはこういうもんだ。


とこのエントリーを書いているさなか「お笑いLIVE10!」にB&Bが登場してびびった。して、洋八の何ともいえない老け方にまたびびった。

*1:変わりに抜擢されたのは紳助竜介