木皿メソッド


野ブタ。をプロデュース」は今日からいよいよ後半戦が始まりますが、このドラマにおいて見事な脚本を見せてくれる木皿泉は明確な方法論を使って書いているように思います。*1
後半戦を前にこの「木皿メソッド」ともいえる「野ブタ。をプロデュース」の作り方を振り返ってみましょう。

①テーマの「提示」

木皿泉の特徴の一つにこの提示の仕方があります。このテーマに関しては非常に解り易く提示します。端的に言うと工夫がないくらい解り易く。「Aとは○○ではないか?」というふうに。後述しますが、この工夫のないくらいの提示の仕方が全体を見るとよく工夫された方法論なのです。

②テーマを「実証」しようとする行動

そして、そのテーマを実証するための展開を見せます。「野ブタ」の場合、これが非常にスムーズなのは、この行動が即ち、修二(亀梨和也)と彰(山下智久)が信子(堀北真希)をプロデュースする手段になっている為です。

③他者によるテーマの「ずらし」

そして、プロデュースが行き詰ると登場するのが他者の存在です。ここでいう他者とは多くはキャサリン(夏木マリ)、セバスチャン(木村祐一)、ゴーヨク堂(忌野清志郎)や親類たち(宇梶剛士高橋克実)といった「大人たち」です。彼らがテーマに対し「別の視点」(この部分が木皿脚本の見事な部分で、時にテーマとは全く関係なさそうに見えて、やがてテーマに収束させるといった方法をとることもあります)を主人公達に与えます。

④外部との接続による「気付き」

さらに③で終わらせないのが木皿泉作品の見せる「深み」です。ここで、例えば飛行機事故や難民の子供の体操着といった自分達の社会とは違う外の世界を示します。これにより主人公達はテーマに対する自分の立ち位置を正確に知ることになります。

⑤三者三様のテーマの「吟味」

これらの経緯を踏まえ、テーマの答えをそれぞれが吟味し結論を出していきます。例えば第5話では「恋は必要である」というテーマの提示から「真実を見ている人が一人でもいればよい」という視点を与えることで、結論は同じ「恋は必要である」であるけれども中身は全く違うものになっているわけです。また、この三者三様というのもポイントの一つで3人がそれぞれの角度から結論を導き出しているのも「深み」を与えています。

⑥寓話的モチーフ(小道具)による「明瞭化」

ここまでは他の脚本家でも上手い下手に関わらなければ多くの人がやっていることですが、木皿泉独特なのがこの寓話的モチーフの使用です。
猿の手、生霊、ホントおじさんなどですが、これを巧みに使い、⑤のそれぞれの結論を非常にわかりやすい形で示してくれるのです。
ここでポイントになっているのは⑤の時点ではまだ主人公達(視聴者も)は自分の結論を整理しきれていないということです。それを明瞭にするためにこれらが使われるわけです。
このドラマの結論は決して二元論では無いためにやや複雑で微妙な感覚であるのでともすれば伝わりにくいものです。それを冒頭のテーマの提示を解り易くすることと、この寓話的な小道具によって結論を浮かび上がらせるという工夫によって視聴者の心に響く脚本になっているのです。


さて、第5話で重要な伏線を置いたことで、以降大きな転換を迎えることになりそうですが、この全篇を包む「不穏な空気」をどのように活かして物語を紡いでくれるのか、非常に楽しみです。

*1:前作「すいか」でも以下のやり方と同じような作り方をしていますが、「野ブタ」ではより解り易く使っています。