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ビートたけしとフライデー事件(6)

特集 たけし 事件 ブログ


■報道


「事件のあった日は仕事にならなかったです」と「フライデー」のスタッフは語る。たけしファンからの抗議電話が殺到し、編集部は対応に忙殺された。「中には電話の相手と怒鳴りあっているものもいて、傍らから見ると滑稽な光景だったんじゃないですか」
この事件で、それまでくすぶっていた写真週刊誌批判が一気に爆発し、この機会にと、政府までもがこれに介入する動きを見せた。
その結果、事件前写真誌5誌*1で計460万部の発行部数を誇ったが、2ヵ月半で、計370万部、つまり2割近い落ち込みを見せた。
さらに、事件後5ヵ月後には「エンマ」が廃刊に追い込まれた。
これまでは、主にテレビとたけしに焦点を当てて見てきたが、今回はいかに紙媒体がこの事件を報じたのかを追ってみる。


まず、事件当事者の「フライデー」はもちろんたけし批判を論調の中心に置きながら、テレビ批判も並行して行った。事件の第一報は「本誌編集部で集団暴行した『一部始終』」というものだが、写真は殴りこみ現場のものではなく、釈放され車に乗り込むたけしの姿。記事も事件数日前にたけしがラジオで語った別の暴行事件について書かれていた。その後、たけしが早期復帰すると、横山やすし研ナオコが5ヶ月、志村けん、仲本工事が1ヶ月の謹慎だったことを引き合いに出し「いかに視聴率をかせぐ男とはいえ多くの子供たちが見ている番組に、暴行、傷害をくわだてた芸人を登場させる無節操さにはアゼン」と批判。たけし会見後には「芸人だから仕事をくれればやる」の発言に「一介の芸人に身を落としての発言は、自分の立場を"ワイ小"化しすぎてないか」と疑問を呈している。また、この号の巻末には、同誌に対する批判の高まりを受けて改めて、自分達の立場を宣言する社告を掲載している。
「プライバシーや人権問題については、慎重にとりあつかい、一般市民の私生活はこれまでにまして配慮をはらうようにつとめ」るという自粛表明に加え「今後も暴力に対しては、断固たる態度をとっていく」と結んでいる。


では、競合他誌の「フォーカス」らはどう報じたのか? もともと女性週刊誌の流れを強く持っており編集方針を異とする「タッチ」はこの事件とは距離を置いたが、他の3誌はほぼ共通していて、たけしに対し、愛人をつくっていたことへの批判というモラルを問う形(即ち、取材の対象自体は間違っていないという主張が見て取れる)。そして「フライデー」とは一緒にして欲しくないと同誌に対する取材方法への批判をし自分達との違いを強調した。この事件の原因をあくまで「取材の失敗」と断罪し、「フライデー」が「言論の自由」を持ち出したことに対し、この自由は「こんな安っぽいドタバタとは無縁のもの(エンマ)」とし「やがて言論・出版の自由がおびやかされ、人権が踏みつけにされる事態を招来する(フォーカス)」と批判した。
これらに同調して報じたのは上記写真週刊誌を発行している出版社系週刊誌*2。写真週刊誌のあり方について故意ともいえるほど言及しなかった(ただし、それまでたけしの連載を抱えて「週刊ポスト」だけはたけし同情論を展開。)。


これに対し新聞や新聞社系の週刊誌*3はそれぞれの切り口で写真週刊誌の問題点を書いている。また、月刊誌*4も同様のスタンスで報じている。


たけし自身の動向を中心に報道したのは芸能誌*5。傾向としてはたけし批判よりも同情的なトーン。これに対し女性誌*6は愛人問題に対する切り口で報じた。だが、意外にもこの件について断罪した写真週刊誌よりは寛容なトーン。本妻幹子さんが可哀そうというスタンスが目立つ。


そして、「今回の事件で儲かったのはスポーツ紙だけ」とたけしが語るように、この事件の一挙手一投足を連日のように追い売り上げを大幅に伸ばしたスポーツ紙。


そんななか独自色が出ているのが、もともとマスコミ批評がコンセプトになっているような雑誌(「朝日ジャーナル」「広告批評「創」噂の真相」「ダカーポ」ら」)。
たけし事件を素材に本質的問題を浮かび上がらそうと試み、かなりの質量で特集を組んでいる。また、問題を写真週刊誌だけにとどまらせず、マスコミ全体のものと捉えて批評している。
これらの特集の中では様々な著名人がこの事件について論じているが、これまでの写真週刊誌の是非やたけしの「良し・悪し」で語られるのがほとんどだった中、独自の意見も出されている。
例えば、作家の筒井康隆
「なぜこんなに「良い」「悪い」ばかりにこだわり、きめつける」のか、と疑問を呈し、「そんなものは法律に任せておけばいい」とする。一つの論点であるにも関わらず、このようなスタンスで論じたものは、この事件ではほとんど無かったので紹介しておく。

ビートたけしは芸人でありお笑いタレントであり、それによって人気を得たスタアである。排他的な日本の社会ではタレントというだけですでに「異人」であり、本来ならば排除されるべき人間であり、したがって、排除しないかわりにいくらでも馬鹿にしていい存在だということになっている。(略)ビートたけしの場合は自分の醜悪を見せてひとの優越感に訴えるお笑いタレントではない。攻撃的なお笑いタレントである。「良い」「悪い」など無視して他人を攻撃するのであり、その反社会的な独自性で人気を得た。「異人」としての人気である。普段は「異人」として笑い、内心では排除すべき反社会的な人間として馬鹿にしていながら、いざ私生活でこんな事件を起こした時に限って日本の社会人としての良識を求めるのは肉屋で大根を求めるのに等しいのだ。
 いわゆる良識をもって「良い」とされていることが本当に「良い」ことなのかどうか、「悪い」とされていることが本当に「悪い」ことなのかどうか、(略)そういう根本的な疑問を世間に投げつけて人びとを吃驚させ、硬直した良識に冷や水をぶっかけることが芸人の、特にお笑い芸人の社会的役割だった。
(中略)
「そんならプライバシーを犯されても平気だろう。どうせお前らまとまな人間じゃないんだから」と言って追い回したって、そうした論理さえ通じないのが彼らなのだ。そういう場合には彼らは彼らなりの突拍子もない手段で報復に出るだろうくらいのことは覚悟しておかねばなるまい。またその報復手段が「面白いか面白くないか」ではなく「良いか」「悪いか」で論じていたのでは、せっかく彼らを異人といしてこの社会に存在させる意味がなくなるのであり、このおおらかな時代のわれわれとしては、彼らへの懲罰などは法律に任せ、むしろその言動の現代的意味を考えるとか、少なくとも面白がるくらいのことはしてやらねばなるまい。
(中略)
いちばんのアホは法律家でもないくせに勝手に判断を下してビートたけしをおろしたテレビ局だ。本来ならばビートたけしが自分の行為をどう弁解し、開き直り、反撃するかといういちばん面白い時期なのだ。(略)ビートたけしの報復としては「おれを最後までホしたテレビ局には出演しないぞ」と宣言すればいいのではないか。ビートたけしの本来の敵は「フライデー」だが少しくらい的外れであったほうが面白い。(後略)
(「噂の真相」87年3月号「マスコミ日記」より)


このように報道をそれぞれの媒体で見ていくと、当然のように浮き彫りになる利己的な理論である。
写真週刊誌はテレビやたけしを批判し、テレビを系列会社に持つ新聞社は写真週刊誌を叩く。
写真誌を出版する出版社系雑誌は写真誌を擁護しつつも、どこか一緒にされたくはないという気持ちが見え隠れする。だが、彼らが写真誌を批判できないのは実際に、出版社の売り上げを支えていたのが紛れも無く写真週刊誌だったためだ。過酷な労働条件に身を寄せる写真誌の編集部員の犠牲なくして出版社がなりたっていかないことに見てみぬ振りをしてきたのだ。
結局事件は問題点を浮き彫りにしただけで、何も解決しないまま、終息に向かっていく。
                                       (つづく)

*1:フライデー、フォーカス、フラッシュ、エンマ、タッチ

*2:週刊新潮」「週刊文春」「週刊ポスト」「週刊宝石

*3:週刊朝日」「サンデー毎日」「週刊読売」「週刊サンケイ」

*4:「世界」「文藝春秋」「中央公論」「正論」「ボイス」「新潮45

*5:アサヒ芸能」「週刊平凡」「週刊明星」

*6:「週刊女性」「女性自身」「女性セブン」「微笑」