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淀川長治が教えてくれた

映画 ひと ブログ


NHK教育に、「あの人に会いたい」という番組がある。大抵「トップランナー」終わりにそのまま眺めることになるのだが、この番組がまた侮れない。
NHKが持つ豊富な映像素材を活かし、様々な人物の貴重な肉声を聞かせてくれる。
5日に放送されたのは、映画評論家淀川長治
自分の生い立ち、映画から教わったこと、チャップリンとの思い出、サヨナラについて、淀みなく語っていました。
やっぱり、彼の、最高に美しい音楽のような口調は、心地良く、それだけで感動してしまう。
この口調ごと再現してみたいが、僕の能力ではとても無理なので、彼の声を思い起こしながら脳内補完してお読みください。内容も素晴らしいから。




私純粋でね、非常に頭がアミーバみたいだからね、もう映画っていうのには、全体的に全力的に好意持ってるんです。
で、お客さんがみんな手を洗ってご飯済んで風呂から上がって座ってる時に「今日の映画はバカみたいだ」言えないのね。やっぱもういらっしゃるんだからね、座敷に。だからいいとこ探しますね。あのこのクッションがいいんですよ、このあのマンションのデザインが綺麗ですね、何でもいいのね、何かいえますね。なぁんか、私好きですね、映画のなかのどんなもんでも映画のなかのもんは好きですね。


(母親の陣痛が起こったのが映画館の中だった)
恥ずかしいですねえ……。
あのぅ、ちょうど臨月、私が生まれる前の日に、前の晩に父親と一緒に映画館に参りましてそして、あのぅ、陣痛、お腹痛くなってきたから、これ、生まれるかもわからない、そう、母親が申しましてね、「一緒に帰ろ」って言ったら、活動写真、当時の。明治42年ですから、それが、おもしろくて。楽しくて。父親はね「お前先、帰れ」って言って自分は残ったんですよねぇ、酷い人だ。
そして母親は人力車、当時人力車で、それで家へ飛んで帰りまして、あくる日の朝の10時に私が生まれました。

お母さんのおっぱい吸いながらね、横目で活動写真をね、見ていた、いう印象はもう、かすかにあるくらいで、母に聞いたら「ああ、あんたをずぅっと抱いて連れて行った」って。「もう家に置いて行くのが可哀そうで連れて行ったんだ」なんていって……、酷い家庭でした。

父親も母親も私に、映画。芝居。まぁダンス、舞踏ですねぇ、なんでも舞台のものとか活動写真は欠かさず欠かさず、見せてくれましたがね、これが、私に、ほんとぉの、つまり、親の教育ということやなくて、親が、かわりに、そういうもので、私を無意識に教育してくれた。結果においてそう思いますなぁ。
親がね、これ見なさい、とかね、これは読みなさいとかね、この映画だけは見なさいとかね、生まれてこの方聞いたことがないんです。ただひじょーに自由だった、ということね、いろぉんなものを見せてくれた、ってこと、一流のものをどんどん見せてくれたことは、今考えたらとっても親に対して、感謝しなくちゃいけないと思います。


私がどぉして、映画ゆうものに魂を奪われたか、幼年が、少年が。それは映画を見て、真、っ暗の中で見て、みんなが見てるときに……、こちらにいらっしゃるのはどぅ見ても大学の先生だな、と思いました、で、向こうにいらっしゃる方はどぅ見ても蕎麦屋のお兄ちゃんだな、思いました。こちらはおばあちゃんが二人きとる。
年齢、身分……身分言ったら変ですけど……、そういうみんーな違う人が一緒になって一つのもんを見てる、いうことがわたくしをひじょーに喜ばしました、いいなと思いました。
そしてあるとき「ハリケーン」、ハリーケリーという人の西部劇見たときに電気がついた時に、隣の二人のおばあちゃんが煙管で煙草吸ってた。煙草盆があったんです、座敷場に座りながら見てました。そのおばあさん二人が「ねえ、西洋の異人さんの人情も日本とおんなじやなぁ」と言うのを聞いて、いいなぁ、と思いました。
映画こそが、国との垣を取るな、という気持ちになって、私が映画とともに生きたいなぁと思いましたのが、10歳、11歳、12歳くらいのおませ、そんなおませな頃でした。私はいろーんな人生を映画から得ました。電車も自動車もそれから家のシャンデリアも学校も、ぜぇんぶアメリカの今日のもの、フランスの今日のものが見られるいう、この映画は、なぁんて面白いものなんだろう、といまだに飽きなくて楽しんでいます。そして私は映画から人間勉強しております。けど、私をいちばぁん元気にさせてくれたもの、私が映画というものがいかーに、いいか、ということを身にしみさせてくれた、私の師匠がいます。
それは、チャーリー・チャップリンです。
チャーリー・チャップリンは、私にとっては人生の舵ですね。生きること、働くこと、食べること、愛すること、けど、それだけではダメだ、明日という希望を持つこと。泣いたらいかん、笑うこと、絶対自殺するな。それを私はチャップリンの映画からぜぇんぶ、しみこませてもらったんで、今日があります。で、これはライムライトのセットのシーンですが、このセットの前で私はチャップリンに会いました。
もうチャップリンの短編から、ずぅっと見てましたからこれ見たときにチャップリンが髭そりまして、頭は白い。で、私はチャップリンがまだマイクの下で*1、まだ映画というものにしがみついてやってるな、しかもこの時アメリカは「独裁者」それから「殺人狂時代」で(チャップリンを)マークしました。こいつはいかん、あんな映画作るから、アメリカが赤化するかもわかんないので、ほりだそう(放り出そう)としている時の孤独なチャップリンでした。
それで私は「チャップリンかわいそうに、けど、偉いな偉いな」とみて涙ぽろぽろと落としましたときにチャップリンはこの場面で「時というものは偉大なものだ!けれども時は立派な作家だ」「time is great auther、タイムイズグレイトアーサー」いうんですねぇ、そういうのを私はじかにここで見ておりました。
そして私は涙が出てきます。そしたら(チャップリンが)そばに寄ってきて「why? 何故泣くの?」って言ったら私は「……ふぅふぅ」ってやって(言葉に詰まりながらも)「マイク!」と言ったんです。それでチャップリンわかりました。サイレントの王様がマイクの下でしゃべってるんだ、「かわいそぉに」とか「偉い」とかみんーな、そういう気持ち、すると今度私は「タイム!」と言った。
「マイク」「タイム」……、「time is great auther、時は偉大な作家だ」、、「タイム」チャップリンの髪が白くなってる、「マイク」「タイム」、そしてあんたの「ホワイトヘアー」と言ったら、チャップリンは「オーライ、オーライ」とわかってくれて、私に抱きついて、この本にサインをしてくれました。
そのチャップリンはもう亡くなりましたが、私の生涯の人間の勉強の先生です。人生の私の神様です。


えー、私はね、サヨナラと言う言葉がとっても好きなんです。
サヨナラの中に「いずれまたお会いしましょう」という含みがあるような語感を感じるのでサヨナラというのが、私、好きなんですねぇ。
映画の時もENDのマークが出たときにサヨナラ、という気がするんですね、つまり、サヨナラはそれまでに何かあった、何か見た、何か楽しんだ、泣いた、いうようなものがあって、やがてサヨナラいうもんがあるような気がしてねぇ……。
はい、みなさん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。と申しときましょう。

*1:サイレント(無声映画)の王様チャップリンが時代の流れのなかで、トーキー映画ライムライトを製作していた