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宮崎駿、大いに語る。


随分古い話になるが、2月27日の「生活ホットモーニング」に宮崎駿監督が出演*1
ジブリ美術館を案内しつつ、そこで上映されている新作短編3本の紹介を中心に、映画について大いに語っていた。


この新作は、音楽や効果音を一切使わず、それらを全て人間の声(タモリ矢野顕子)と文字だけで表現した「やどさがし」、水の中で暮らす水グモを主人公。水面を軽やかに泳ぐアメンボの女の子への恋心を通して水の中の世界を描いた「水グモもんもん」、星の種をかった少年(神木隆之介)がそれを育てながら自らも大人へと成長していく物語の「星をかった日」の3本。
 (参考リンク)・公式
       ・この番組での紹介映像
       ・矢野顕子インタビュー

■新作について語る。

面白いか面白くないかはわかんないけど、これやってみたいからやってみたという映画。
例えば「星をかった日」は、ここの(入館客の年齢)対象からすると、上です。中身そのものは。理解するにはもうちょっと年齢を重ねなきゃいけない。はっきりはずれてるんです。自分で小さい子供のために作るんだ、って言ってる割には平気ではずすんですけどね。でもあるシーンは、わかんないけど面白がってみてくれるんじゃないか、だからやっちゃおうっていう。
(というか)子供たちは(実は)恐ろしいほど解ってくれるんですよ。ただ、それを言葉でまとめたり、理屈を喋ることが出来ないだけです。だから、小さな子供のための映画だから易しい内容の映画にしなきゃいけないなんてことはないんです。

「やどさがし」は女の子の映画です。それで「星をかった日」は男の子の映画、それで「水グモもんもん」は男と女が出会ったらどうなるか、っていう映画。


「やどさがし」は「もっと自由に出来ないのか」という、問題意識を持って作った作品。
キャラクターを決めて舞台を決めて、こういうパスペクティブのラインがあって向こうから歩いてくる、とかそういう風にやらざるを得ないんですけど、「好きにやろうよ」っていう。
水だから、白っぽい線使わなくちゃいけない、とかね。「黒でいいじゃな〜い」っていうね。
原っぱで、ホントの原っぱだけ描けばいいって。向こうに山が日本ならあるはずだ、とか、雲は色々季節によって変わるとか、そういうこと全部捨てて、とことん絵を単純化すると今まで自分達が軽く見ていた部分の、動きの弾力とか、粘り気とか、そういうものが自分達のアニメーションに不足しているということが解りました。

宮崎駿とジブリ美術館
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■原体験

ホントは、ビデオとかDVDとかで自分達の作品をずーと繰り返し見て欲しくないんですよ。その間に遊んで欲しいじゃないですか、表行って。
何度も観るのと1回しか見なかったのとどっちがいいか、と。その子の体験にとって。1回しか観られないっていうのはいろんなもの観ますからね。観たものが頭の中で育つんですよ。こんだけのものが、記憶だったんだけど、それが自分の中で反芻していくうちに段々育つんです。だから、これだけの(小さな)ものがこんなにも(大きなものに)なったりするんです。人間の心の働きってそういうものですよ。
いっつもこれしか(繰り返し)観ていたら、これだけです。段々小さくなっていくだけです。消費しちゃうんですよ。

■嘘のレベル

何に使えるか解らないけど、こういうシーンを作ってみたいって言うのはいくつもあるんですよ。忘れてしまっているものもあるけれども、こう何かがあると使ってみたいっていうのを、チャンスがあると引っ張り出してきて嵌めようとするんだけど、嵌るかな?って思うんだけど、やっぱ入らないから、またしまうという。
そういうときにうまく嵌ると嬉しいですよね。
(例えば)「千と千尋」の海の上を電車が行くシーンなんかはああゆうものを作りたいと思ったけども、どこにも嵌らない。嵌るはず無いんです、「もののけ姫」に入るはず無いんです。それはその映画によって嘘のつき方の水準が違うからです。「トトロ」の場合だったら、確かにトトロみたいなのは出てきますけども海は突然出てきたりはしない。雨が降って海が出来ますよ、っていうふうにはならない。それはだから「嘘のレベル」っていうのは作品によって、こう決まるんですよ。だからそれもあって、なかなかうまく嵌らない。嵌った時は嬉しい、それだけなんですけども。

■憶えて描く

観察したものそのまま描くんじゃなくて、憶えて描くんです。
憶えた段階で、いろんなもの落っことすんですよね。
ロケハンにも行きますよ。でも建物とかスケッチしないんです。こうやって、観てるだけです。帰って描くとちゃんとデフォルメーションされちゃうんですよ。面倒くさいものが、うんと簡単なものになってるんですよ。だからほとんどうろ覚えでやってます。
僕はねえ、散歩に行って、とても面白い景色だった、っていうんで職場に戻って描いていたことがあったんですよね、こんなところがあったんだって。そういう風景だと思い込んでたんです。で、2度目に行ってみたら全然違うんですよ。それで2度目帰ってきてから、また思い出して描いてみたんです、実はこうだったって。3度目行ってみたら……また違うんですよ(笑)。実にいい加減に印象だけで観てるのかが解りました。

この手の話を裏付けるドキュメンタリーがこちら。

「もののけ姫」はこうして生まれた。
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■子供たちへの視線

(子供たちへの視線は)しょっちゅう、忘れるんです。しょっちゅう、見えなくなるんです。ホントに。
だけど、結局自分の根源なるものは何か?
人に喜んでもらうと、自分に存在する意味があると感じられるという……、ぐらいしか思えないけど。
そこをほじくってもあんまり意味ないですけどね。
喜んでもらえて、しかも自分が結構真面目に一生懸命やった。つまり乗せようとか、騙そうとか、そういうのも含めてですよ、そういう色々やった挙句、でも子供が喜んでくれたら、僕は存在しててもいいんだな、っていう多分この辺で繋がっているんじゃないかと思います。
そんな、前向きにね、人生を健やかに明るくするために僕はいい映画を作ってるんです、なんて僕は思ってないです。そういうこと言う奴は大っ嫌いです。嘘つきだと思います。
もっとほじくっていくと、例えば映画を作りたいっていうのは自己主張したいとか、そういうどちらかというとなんかこういかがわしいというか、もっとひっそりと生きていればいいんですよね。目立たないで。
だって子供ってすぐつまんない大人になっていくんですよ。子供はそのまま大人になるんじゃなくて、子供っていうこの範囲を通り過ぎていくんですよ、いつも通り過ぎるんです。いつもここ(子供っていう範囲)にいるんですけどもどんどん動いていくんですよ、刻々と。僕らはその5分間とか1時間をちょっと面白いものにすることが出来たらそれでいいんですから。
ずーっと付き合おうとは思ってないです。その人たちは思春期になり大人になっていくわけですから。
5歳の子の1時間は僕らの10年と同じですから。そこにちょっかいだしてちょっとドキドキさせることが出来たら結構面白いんじゃないかと。

■世代を超えた支持

(世代を超えて支持されているけど)いや、そこら辺は過大に評価しないほうがいいと思います。
自分はそうですけど、映画を見て良いと思った、でも、数年後にはその映画はつまんない。なんていうナルシズムだ、とかね。なんて、センチメンタルなんだ、とかね。
僕は子供の頃見てた漫画を懐かしがって読んでる大人を信用できないんですけど、何でこんなものが面白かったのだろう? という経験をたくさんやってきた人間なので。
ようするに、自分が恩義を受けてきた作品を、随分無礼に扱ってきた人間ですから、自分もそういう目にあうだろうと思っているんですよ。それが当然なんだと思うんです。

■世界の評価*2

(アカデミー賞ノミネートなんて)そんなことは全然関係ないことです。日本は1億2千万人いじょういるでしょ? 子供が少なくなってきたとはいえ、これだけの観客を持っているというのは、僕らが成り立っている理由なんです。韓国の若者達はアニメーション作りたくっても4千万か5千万でしょ?少ないんですよ。
その点日本はどこにも売らなくても、実際面倒くさくて売らなかったんですから。とにかく日本のお客さんが支持してくれるだけで僕らはやっていけるっていうことでね、国際化する必要なんて無いんですよ。
だからアメリカの観客なんて絶対「もののけ姫」なんてわかりっこないですよ。自信を持っていいますけど。千と千尋」だって解んないと思いますよ。それにあわせる必要は無いと思います。国内で賄えるんだから、自分達は。これホントに幸せな条件なんだから。


泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート ユリイカ 2004年12月号 特集 宮崎駿とスタジオジブリ ジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」 宮崎駿の雑想ノート

*1:「[http://d.hatena.ne.jp/yAm/:title=頭の中で何かがかちんと鳴る]」さんのところで、直前に知って見逃さずにすみました。

*2:ちなみにこの放送はアカデミー賞発表前です