超能力少年と呼ばれて


清田君が大麻で逮捕されてしまい、そうなると当然、こういうふうにすべてが否定されて報道されてしまう。あの時のように……。残念。
実は以下のエントリは最近また徐々にメディアに露出をし始めた清田君を見て準備していたもの。そんな時にこんなことになってしまうとは。




1962年、寿司屋を経営する清田喜徳、せつ子夫妻の間に生まれた長男が、後にエスパー清田君と呼ばれることになる清田益章である。
少年清田は「こりゃあ精神科行きかな」と心配されるほど、両親から見ると「とんでもない嘘つき」に見えた。
何かが部屋の中にいるとか、誰かが入ってきたとか、そんなことばかりしょっちゅう言っていたという。
しかし、程なくして彼は両親を次々と驚かせていく。
例えば部屋をぐちゃぐちゃに散らかした時。母親が「片付けろ」と怒る。すると、ものの5分も経たないうちにすっかり綺麗になっていたというのだ。
「玩具とかさ、例えば部屋の隅にあったものが手許まで来ちゃうんだよ」と清田は言う。「でもさ、ガキだからそれが不思議なことって俺にはわからないんだよ。そういうもんだと思ってた」
なんと、その現象は、他の部屋にある玩具にまで及んだという。
他にも、小遣いを渡してないにもかかわらず自販機からジュースを持ってきてしまったり、後ろを歩いているはずなのにいつの間にかいなくなって駅に先回りしたりして、両親を困惑させた。


そして、ユリ・ゲラーが来日してきた時に、彼の運命が劇的に動き始める。
ユリ・ゲラースプーン曲げをテレビで披露すると、清田は「あれなら僕にも出来る」と事も無げに言うと、あっと言う間に曲がった。*1
しかし、母親はすぐには信用しなかった。
すると清田は、(寿司屋の)カウンターの上にスプーンを置いて、少し離れたところから、手も触れずに曲げて見せた。


この頃から、清田益章は「超能力少年・清田君」としてテレビ界を席巻するようになった。
当時、同様にスプーンを曲げる少年達が多く現れテレビに出演したが、清田の能力は明らかに別格だった。
「ずっと俺は、自分のためにスプーンを曲げてきたんだよ。ガキんときかは成功するたびにみんなが喜んでくれるのが嬉しかったしさ、色気づいてきたら女にもてるぞなんて思って必死に曲げてきたよ。*2テレビにいちばんよく顔を出していた二十代の頃はさ、俺、車何に乗ってたと思う? ポルシェだぜ。真っ赤なポルシェ。高級マンションに一人で住んでさ、すっかりスター気どりだったもんな」
しかし、それも終焉を迎える。


1984年、清田はフジテレビの超能力スペシャルに出演する。その番組で彼は、隠しカメラに映し出されたトリックを突き出されて、トリックを使ってスプーンを曲げたことを認めた。
「確かにあの番組の収録のとき、俺がトリックを使ったことは事実だよ」と清田は回想する。「やっちまったことは事実だからさ。その責任は負うつもりだよ」
その頃、日本は何度目かのスプーン曲げブームが到来しており、当然、清田のもとには、取材の依頼が殺到していた。しかし清田は「ちょっとしたスランプ」だった。
その日も、スプーンはなかなか曲がらなかった。
そこで、番組プロデューサーと放送作家に告げられる。
「このまま曲がらなかったら、おまえは番組の制作費を弁償できるのか」と。


当時、大学生だった清田は、そうした状況の中で*3、トリックを使ってしまう。
「でもさ、やっぱりこれは言訳なんだよ」と清田は言う。「結局のところ俺がそういう不正行為をしたのは事実なんだから、やっぱり今頃になってこんなこと言うべきじゃないんだよな。とにかくいちばん我儘で勘違いしていた頃だからさ、スタッフからも恨まれていたと思うんだよ。俺だってあの頃の自分にもし今会っていたら3分でぶん殴っていると思うよ。やっぱりどう考えても悪いのは俺なんだよ」


もし日本中の人が清田はイカサマ野郎だと断言したらなんと弁護するか、という問いに父親はこう答えた。
「……正面きっての弁護はしません。でも、私たち夫婦は知っていますから。多勢に無勢で正面からの反論はできませんが、きっと小声で言い返しますよ。おまえたちは何もしらないくせにって」


職業欄はエスパー
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森達也
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本記事の大部分はこちらの著書によるものです。

*1:彼がよくスプーン曲げを行ったカウンターではそこだけ磁場が狂ったように方位磁石が回転するという。

*2:高校時代には好きな女の子のためにフォークをハート型にまげたりもした。

*3:ただしプロデューサーはこの発言を否定している。