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ぼくらの知らないケンドーコバヤシ


クイック・ジャパン (Vol.76)」では、ケンドーコバヤシが「『本当の自分』を語る」と題して20,000字のロングインタビューを受けています。
この内容が非常に面白かったのでごく一部を引用して紹介します。


特に印象に残ったのはこの話。

学園祭の出し物の脚本を頼まれて、書いたことはありましたね。「ワニはなぜ仲間を食うのか?」みたいな内容で。結論は「(全体を)減らしたってんのや!」みたいなもので。多分、人類の口減らしをテーマにしたような本を読んだからだと思いますよ。でもシュールで哲学的な作風のものになるのがイヤで、観ている人にはそんな理屈がわからんような、ドタバタのコメディにした覚えがありますねえ。

これは、何気にケンコバの芸人としての根幹を成すようなエピソードではないかと。


他にも、興味深い話が満載。

小学校に上がるくらいの時には、手塚治虫の漫画はだいたい全部読破していましたからね。僕にとって、プロレスや漫画は全然"サブ"ではなかったんですよ。むしろファッションとかトレンディドラマとか、みなさんにとってのメイン・ジャンルが、僕にとっての"サブ"でしたね。

僕は少年時代から一貫して今もそうなんですけど、女が嫌いなんですよ。でもゲイではないんですよ。女の肉体は好きなんですけど、女は好きになれないんです。


心から愛したアイドル、女性の有名人は、今までひとりもいないかもしれませんね。「女って、嫌なヤツが多いな」って小学生の時に気づくじゃないですか。「性格悪いな、基本」って。僕はそう思ってたんですよ。だから今まで彼女がいたこともありますし、こいつと結婚するんちゃうかな? って思った人もいましたけど、最後の最後までは心を許してなかったんじゃないですかねえ。今から思えば。

同期で僕がまともに評価していたのは、中川家ぐらいでしたから。中川家って正統派漫才ですけど、やっぱり他の連中からは明らかに飛び抜けてたんですよ。なんというか、サブとか異端とかに自分から擦り寄っていくようなところは、僕にはまったくないです。どんなものであれ、他とは違うものを持ってる人に目が向くんですよね。そんがたまたま、世間では異端と呼ばれることが多いだけで。
(姿勢は「反逆」ではないんですね?)「反逆」ってことは考えたことないです。

とにかく僕の場合は全部、めんどくさいってところから発想が始まってます。そして、めんどくさいことを避けるためなら、どんな犠牲も惜しまないという自己矛盾がありますね(笑)。

笑いを取ることなんて、めっちゃ簡単ですから。たとえば、かわいい赤ちゃんや動物のドジな仕草を見ても、人は笑うんですよ。でもそれは決して「面白い」ことではないでしょ。面白くないことでも、人は笑ってくれるんです。笑いなんて所詮あいまいな感情だから。(略)「お笑い」ってものは、「面白い」ってことの一面の現象に過ぎない

Mはね、「やられる側」だとみんな思ってるじゃないですか。そうじゃなくて、「やる側」なんです。なにを「やる」かというと、他人への奉仕です。

美学と哲学だけでやってるようなもんですからね、僕は。プロとしては三流やな、と自分で思うんですけど、美学と哲学だけはアマチュアにないものを持ってるな、と自負してますね。


どうですか? もう至極の名言が次から次へと出てきます。
他にもコントと漫才の違いと、ケンコバがコントを選んだ理由や、バッファロー吾郎らへの仲間意識と芸風の分析、モストデンジャラスコンビへの思い、幼少期おばあちゃんからつかれたウソ、ケンコバが今、すごいと思う芸人、そして自身の将来像まで本当に色々と面白い話ばかりです。


最後に最初に引用したエピソードと同じく、ケンコバの本質をついたような言葉を。

大切なのは、ウソをつかないことですね。


いや、僕はウソつきって人からよく言われますけど、本当のところではウソをついていない。自分を曲げてはいないんで。みなさん、ちょっと悪い人の振りをしたり、良い人の振りをしたり、良い人の振りをしたりするからつまづくんですよ。