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有吉弘行ができるまで

ひと ブログ

オレは絶対性格悪くない!
有吉弘行の著書「オレは絶対性格悪くない!」で、彼は自身のその興味深い半生を綴っている。


有吉弘行の最初の記憶は、両親などではなく、階下に住む女だった。
有吉が無邪気に走り回っていると「うるさい! 殺すぞ!」と包丁を持って怒鳴り込んでくるような女である。
その恐怖体験が尾を引いて「現在にいたるまでずっと人の顔を窺う」性格になってしまったと本人は述懐する。
結果、3歳で田舎に引っ越すことに。


父は、野良猫のボスを気取ってみたり、大量のカブト虫を保有していたりする息子から見ても謎の人物で、家からほとんど出ることがなかったので、同級生の間では「有吉のお父さんを見たら幸せになれる」という伝説さえ流れる程だった。
その父親の「折り紙を覚えて何の意味がある?」という教育方針で、6歳まで幼稚園に通わせてもらえず、家でウルトラマン怪獣図鑑ばかり読んでいたためカタカナしか読めない幼児になってしまう。
ようやく年長クラスから幼稚園に通うも、急に入って馴染めず、友達が出来ないまま小学校へ進学。
そこでも、幼稚園時代から培われた人間関係が延長していくため友人関係は希薄のままだった。


しかし一方で、有吉は子供らしい可愛らしさを持っていた。
その可愛い顔で親類には溺愛され、両親も有吉を女の子のように髪をのばさせたりもした。
そのせいで「おかまだ」とクラスメイトにいじめられることに。
「かわいい顔」がコンプレックスになり、わざと乱暴な態度を取ったり、ひねくれた口のきき方をするようになってしまう。


小学校でもしばらくは友達がいないままだった。
休憩時間にみんなと遊ぶこともなく、ひとりで粘土遊びをしていた。
空想上の動物や妖怪を作っていくうちに、クラスで徐々に評判になり、「〜を作ってくれ」と依頼を受けるようになった。
これを機に少しコミュニケーションを取れるようになっていく。
3年生になると、「面白い」という理由だけでモテていた同級生を羨ましいと思い、笑いの取れる男になることを誓い、その同級生にすり寄りノウハウを盗む。この頃からすでに「寄生虫」的性質が芽生えている。
そして、1年後。ついに『猫のクソを握り潰す』という大技で『ウンコといえば有吉』という代名詞を得て、ウンコを中心とした奇行を繰り返し、クラスで一番頭がおかしいというポジションを不動のものとする。


中学になると、落語が嫌いなのに、一人でできるからという理由だけで落語家を志す。
高校に進学すると、毎日昼休みに図書室に行き「週刊朝日」と「サンデー毎日」を読むのが日課になっていた。
そんなおり、転がし上手な後輩が現れ、その記事についての意見を求められ始める。それに対し、何の遠慮もない、最低の差別や悪口を言っているうちに傍聴者が増えていき、図書室の小さなカリスマとして君臨するように。
勉強もそこそこできた有吉は大学の推薦を受けれる話もあったが、すでにお笑いを志すことを決めていたため、それを蹴って大阪へ。
同じく奇行を繰り返していた同級生をNSCに誘い、二人で部屋を借りる。


しかし「EXテレビ」のオール巨人の公開弟子オーディションの告知を見て勝手に応募。そして合格。
その同級生は行き場を失い、結局広島に帰ることに。しかし、有吉は家賃は折半でないと困るためゴネにゴネ、半年間にわたり家賃だけを振り込んでもらうことに。
にもかかわらず、弟子生活はわずか7か月で、「常識がまったくない」*1ことで弟子の仕事が満足にできず終わってしまう。


その結果、一度金を貯めるため広島に戻ると、一人で家を借りるのはやはり大変という理由で森脇和成を誘い、上京する。
二人で太田プロのネタ見せに行くと、すぐにライブに出演。
しかし、インパクトもなく人気が出る感じがしなかったことで、奇行を前面に押し出すスタイルへ。


程なくして、太田プロライブに「高校生ブーム」が訪れる。
高校生が学校帰りに制服のまま舞台に上がり、面白くもないのに人気を独占していく。
それに危機感を抱いた有吉は、かつて「可愛すぎる」と溺愛されていたのを思い出し、当時の「ジャージに坊主でメガネで裸足」という外見を捨て、髪を伸ばし金髪にし、流行りのファッションに。すると、急に「かわいい」という声が飛ぶようになり人気を獲得していくことに。
「ライブで3回連続1位を獲る」という太田プロに所属するための条件を、身内をたくさんライブに呼んでクリアすると、その後は順調に各ネタ番組に出演。


そして、さまざまなオーディションでもすべて合格して「ちょろい人生だ」と思っている矢先だった。
電波少年」のオーディションにも受かってしまうのだった。


こうして振り返ってみると、有吉は大人たち悪意に翻弄されながらも、それ以上の意地の悪さで、要領よく飄々と立ち回って生きていたことが伺える。
その時々で発揮される類まれな客観性を武器に、「ちょろい人生」を謳歌していた。
そんな彼が「電波少年」の狂乱の宴を経て、「地獄を見る」ことになってしまう。


その後の奇跡的な復活の経緯は、「有吉弘行が輝きを取り戻した理由」をご参照のこと。

*1:師匠の車をぶつけたり、敬語がまったく使えなかったり、別の弟子とケンカしたり