ナインティナインがチャンスをもぎ取った時

ナインティナインが飛躍的に知名度があがり、全国区の芸人になったのは93年に放送された「ねるとん紅鯨団」がきっかけだった。先週放送された「オールナイトニッポン」に乱入したとんねるずともその当時の心境を語っていたが、今週の放送でも、さらに詳しくその当時の思い出を語っている。

岡村:でも、今やからいいますけど、爆笑とった「ほなね」とか「なんでや!?」とかはね……、考えてたんですよ。


矢部:ハッハッハ。


岡村:告白タイム行く前になんか残していかんとって思って。もう充分、途中から手ごたえは感じていたんですけど。


矢部:へへへへ、やらしいこと言うてんな。15年後に。
ただ「あばよ」に勝たないといかんから。


岡村:やっぱり(柳沢)慎吾ちゃんがね「あばよ!」って言って爆笑したっていうのを、僕ら素人の時見てて、「ねるとん」で「あばよ」っていうのは名言やと思ってたもんですから。で、とりあえず一番最初はね、体操の池谷(幸雄)くんが凄いハマってたんですよ、自己紹介の時に。


矢部:あぁ、そうやったっけ。


岡村:なんかバク宙したりして盛り上がってて「あ、しまった。ここは何とか目立たな」って思って必死にやってて途中からですかね、どんどん岡村カメラやないですけど、カメラが一個ずっとついてきたもんですから「お、しめたもんや」と、ずっとこっち主導で全部、益子さん連れて行って「あれ乗りましょう」「これ乗りましょう」言うて、バシバシ、ハマってる感じがあったんですよ。


矢部:アッハハ、手ごたえ感じながら。


岡村:まだ、駆け出しですよ、右も左もわからないけど。でも、とんねるずさんが何しろハマってくれてたから。これは根こそぎやらな、と思って。で、告白タイムの時なんか言わなと思って、「あばよ」っておんなじようにやってもしゃーないしなぁ、大阪から出てきたし、あ、「ほなね」だな、と思って。ふられたら「なんでやー!」って叫んでやろうと思ってたら、ちょっと(叫ぶタイミングが)早い、食い気味でちょっと行った感は否めないんですけど、手ごたえがあったのは覚えてますねぇ。どえらい褒められたわ。


矢部:ハッハッハッハッハ。


岡村:褒められたこともね(なかったから)……、嬉しかったんですよ。


矢部:ほんま、褒められたことないしな。


岡村:そう! 誰もそんな褒めてくれないやん、意外と。


矢部:天然素材では、どっちかっていうたら干されてたほうやし(笑)。ネタあんまり出来ない方やったんで。


岡村:吉本の養成所もクビになったくらいやし。で、吉本の偉いさんに「お前ら、消したらぁ」って言われて消されたこともある人間ですから、褒められるってことがなかったですから、すっごい嬉しかったのを覚えてるんです。


矢部:しかも、東京の、とんねるずさんの、ゴールデンタイムの番組で。


そしてこの番組の直後、再び大きなチャンスが訪れる。
それが「たけしのお笑いウルトラクイズ」の出演だった。そこで岡村は「人間性クイズ」の仕掛け人に抜擢される。

岡村:続いたんねんな、「ねるとん芸能人大会」と「お笑いウルトラクイズ」というのが、ポンポンと。


矢部:そうそう。


岡村:あんときも、何にも知らされてなかったから何にもできへんかったんな。たけしさん、(他の)みんなも初めてやったし、何にもできへんくて……。


矢部:無力さ、自分らの無力さを痛感してたなぁ。


岡村:そう、何にも出来なくて、「金粉ダジャレマラソン」とかも、金粉には塗ったものの一つもダジャレ言えず。
で、その夜、宴会があって普通にごはん食べてたら、なんか向こうのカメラがずっとこっち向いてるなぁ、と思ったんですよ。なんか撮られてるなぁ、ずっとと思ってたら、宴会終わった瞬間に何かスタッフの人に呼ばれて、「人間性(クイズ)やるから」言われて、「えぇっ!俺ッスか」みたいな。そっから打ち合わせして、出川さんドッキリやみたいになって、もう失敗できへんから、出川さんを鞭で叩かなあかんのやけど、失敗できへんから……、みんながモニターで観てるのはわかってましたけど、受けてるっていうのもわからへんから、ボッコボコしばきあいして、出川さんミミズ腫れみたいなのできてるけど、俺、加減もわからへんし、こんな大舞台で失敗したらあかん、と。しかもたけしさん観てると思うと、失敗できへんからビッシビシしばいて……。


矢部:必死やったな。


岡村:で、終わってからディレクターに「面白かったよー!」って言われて、「たけしさんも結構いじってくれてたし、凄い良かったよ」って。「そのかわり出川さんがすごいミミズ腫れになってるから挨拶だけ(行って)」って。で、行ったら、もう全身ミミズ腫れになってて、俺もう「ホントすみません」言うたら「いや、全然いいよ、面白かったからいいよ」って。「でも、すごい痛かったよ」って言われて。


矢部:後から聞いたら出川さんも必死やった、って。


岡村:うん、お互い必死だった。


矢部:それが面白い方にね、映ったんですよね。


岡村:あんときも褒められたわぁ。日テレの人に。よくやったって。
覚えてるの(この)2回くらいやわ、褒められたっていうと。

これらの番組がきっかけになり、このあと、二人は次々とチャンスをものにし、一気に全国区のスターへと上り詰めていくことになる。
その一方で、彼らも述べているように「天然素材」でも格下の存在であったうえ、「関西で人気が出てから全国へ」という順番を踏まずにアイドル的な人気になったことで、他の芸人からの妬みやお笑いファンからもやや色眼鏡で見られるようになり、ますます屈折せざるをおえないようになっていくようになる。
しかし、この2つの番組出演の成功がなかったら、彼らのブレイクが何年遅れたか分からない。
そういったことを考えると、岡村が自慢話と揶揄されても、これだけ熱く思い入れたっぷりに語るのもよく分かる。


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