山崎邦正が憧れた狂気


以前、「山崎邦正の狂気」というエントリで、彼が「時計じかけのオレンジ」のレイプシーンを見て、ピアノを始めたといエピソードを紹介した。
雑誌「本人」の吉田豪によるインタビューでその頃の心境について明かしている。、


彼が、「時計じかけのオレンジ」を見たのは23歳くらいの頃だという。
ちょうど軌保博光とのコンビTEAM−0が東京に進出し、解散することになる頃、山崎邦正にとって大きな転機となる時期だった。
TEAM−0はその少し前、一つの大きな選択をしていた。
それは『天然素材』と『ガキの使いやあらへんで!!』との二者択一だった。
天素』のプロデューサーから「『天然素材』はリーダーとして残ってほしい。ただ『ガキ』はやめてほしい」と選択を迫られた二人は、それぞれ軌保は『ガキ』、山崎は『天素』を選ぶ。最終的には、演出家との対立もあり、軌保に従い『ガキの使い』を選択し、東京進出を果たす。


しかし程なくして、軌保が解散を持ちかける。
結局、「アホするのがつらい」と言われ説得を断念した山崎は解散を決意する。
「TEAM−0が解散してポーンとひとりになったし、何をやったらいいのか分からないから、もうとりあえずなんでもやろう、と。あのときはほんま死んでもいいと思いましたもん」と述懐する。
そんな時、お笑い芸人にとって「狂気」が必要だと考えた山崎は「僕の中の狂気を自分で確かめたかった」と思いたち探り当てたうちのひとつが「時計じかけのオレンジ」だった。


しかし、ジミー大西のような本物の狂気と対峙することで悟る。

正直な話、僕の狂気は……残念ながら標準でした(あっさりと)。

狂気に憧れた山崎は、しかし、自分が普通であることを知り、それを武器にするしかないと思いなおす。だが、それ故に迷い、読書であったり音楽だったり、心理学、プラモデル、木彫りと次々に中途半端なまま*1、その興味の対象を変えていく。
そうやって自分の行く道を懸命に模索しつつも、以前「狂気」を無理矢理見出そうとしたような背伸びはせず、肩の力が抜けたように見える。

いまでも職業病で、ハゲてもいいと真剣に思ってますから。
(それくらいハゲたい?)
いや、ハゲてもいい。
ハゲたいって言ったらまた違うんですよ。
自然に受け止めますってことですね。神様に与えられたことは何も抵抗しないですよ。芸人に重要なのはサービス精神だと思いますから。

今は落語をはじめた山崎。
落語には今までにない手応えを感じているという。

落語は結局、僕の仕事になるから。糧となり、武器となり、すべてですから、これは飽きるとかじゃないですね。飽きたらこの世界やめてるみたいなことやから。

しかし山崎はそれでも4、5年後に落語を続けているかどうかは「分かんない」と自然体で笑う。

いつも自分に裏切られるから(笑)。

*1:以前インターネット上などでパソコンの高度な資格を持っているなどという記述があったがそのような事実はないそうだ。