田原総一朗の過激な青春


田原総一朗といえば、最近は「割と朝までやってる人」(千原ジュニア)というイメージしかないかもしれない。
しかしながら、彼は若き頃、今の放送コードぎりぎりな芸人あるいはアングラ劇団、パンクロッカーなどなどが束になっても敵わないような過激すぎる活動をしていた。しかも会社員時代に。
そんな田原が5月27日に放送された「クメピポ」に出演し、当時のことを振り返っていた。


田原は1964年から1977年まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)でディレクターとして、ドキュメント番組などを制作していた。
「他局がオンエアできないような番組を作ろうと思った」という田原。

テレ東ってテレビ番外地って言われたの。誰も(チャンネルを)12まで回しませんよ。
だからそこで見てもらうためには他の局が絶対やらないようなものをやらなきゃダメ。
しかもね、そりゃ、NHKやTBSは(スタッフも)能力があるのが行ってる。
テレ東はどっちかっていうと能力がないのが多い。
するとね、他が出来ないヤバいことをやるしかないんですよ。

番組では、そんな中でも代表作と言っていい3つのドキュメントと初監督映画を映像つきで紹介していた。
それぞれの逸話は有名なものだが、映像を見たのは多分初めてだった*1ので非常に興味深かった。
どこかに動画が落ちていないか探してみた*2けどなかったので、テキストだけでアレですが、記録しておこうと思う。

ドキュメンタリー青春「バリケードの中のジャズ〜ゲバ学生対猛烈ピアニスト」(1969年)

山下洋輔(当時27歳)を取材すた田原。
山下が「ピアノを弾きながら死にたい」と漏らした言葉に田原は反応。
当時学生運動で暴動が起きていた早稲田大学に山下を連れて行った。
映し出された映像は、ピアノを学内に運ぶ黒ヘルの学生たち*3
「ヘルメットと覆面の中でただ一人無防備の山下洋輔」とナレーションが入るとおり、山下はゲバ棒を持つ学生の前で渾身のジャズを演奏する。
普段は暴動を起こしていた学生たちもこの時ばかりは聞き入っていた、という。
田原は以下のように述懐する。

大隈講堂からピアノを盗みだしてきて、それで、当時学生運動があって、早稲田の法学部には、民清民青*4共産党系ですよ、そこが占拠していた。
そこへ、ピアノを盗み出したのは黒ヘル、新左翼の学生たち。
(彼らが民青の根城に入っていけば)当然、内ゲバになる。
内ゲバの中で山下洋輔が(ピアノを)弾きながら死んでいく。
これ、面白い、と思ったの(あっさり)。
早稲田って変な大学でね、民清民青もみんな来たんだけど、教授たちもみんな来たんだよ。
そしたら(ピアノを)静かに聴いてるんですよ。

ドキュメンタリー青春「がん番号53372〜片腕の俳優高橋英二〜」(1969年)

癌を患った俳優高橋英二から「俺の死ぬまでを撮ってくれないか」と頼まれた田原。
この作品については、田原の著書「私たちの愛」に詳しいのでそこから引用してみる。

高橋英二という役者がガンで半年の命しかないと告白。右腕を切り落とさなければならないと言う。『カメラの前で死ぬまで精一杯演技をしてみせる』と闘争宣言した高橋の行動を追うことになり、まず癌センターで右腕除去手術を撮影。さらに、本人が望むまま散弾銃を持って国会議事堂に向けて発砲するシーンも撮影する。
                   (略)
死の前日もカメラを廻し、高橋を棺おけに入れ、霊柩車で運ばれるまで映像で追った。

国会議事堂に向けて散弾銃を構え、実際に銃は一発発射されたという。
それについて田原は「(本人が望むんだから)しょうがないじゃない」といともあっさりと振り返る。

僕は癌の役者が死ぬまでの可哀そうな映像なんて撮りたくない。
だから、しょうがないじゃない。
なんでもやりたいことやれと言ったんだから。
今なら首でしょうね。

金曜スペシャル「日本の花嫁」(1971年)

「日本の花嫁たちに会いに行く」という企画でヒッピーのカップルが裸で結婚式を挙げると聞き取材に行った田原。
ところが、現場で「ディレクターも裸になって花嫁とセックスしないと取材を許可しない」と言われ、田原はその求めに応じた。

仕事だからしょうがないじゃない(キッパリ)。
学生運動やった連中が結婚する、と。
で、その女性(花嫁)をみんなで仲良くする、と。
「連帯と団結」、これをやると。
それで、それを撮りに行ったら、奥さんがね、
「ディレクターとまずやりたい」と。

何人もの裸の男女が抱き合っているというとても地上波のゴールデンタイムで流したとは思えない映像が流れる。
しかもその中に、田原本人が混じっているというのだ。狂ってる。

映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」(1971年)

テレビ東京に所属しながら制作されたATG映画。

会社にね、2ヶ月間休みをくれって言ったら「ノー」だって言うんですよ。「ダメ」だって。
それで会社に内緒で2ヶ月間休んだんですよ。
仲間達が、僕の代わりに毎日、判を押してくれた。
そして、僕の代わりに、2つ番組まで作ってくれた。

70年代の若者の葛藤を描いた映画。
出演者は石橋蓮司(当時30歳)、加納典明(当時29歳)、桃井かおり(当時20歳)など錚々たる顔ぶれ。
中でもこの作品でデビューした桃井は過激なシーンをものともせず演じきった。

桃井かおりさんにね、裸になってセックスして、って言うと
「なぜ?」って聞くから「実存だよ!」っていうとそれで通じたの、当時は。
「実存だよ!」って。

「実存だよ!」の一言で脱いだ桃井かおりも凄いが、田原総一朗も凄まじい。


過激な青春をまさに駆け抜けるように過ごした田原。
様々な問題をクリアしてこれらの貴重な作品群を是非もう一度日の目を見せてほしい。

私たちの愛
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*1:以前、こちらによると放送作家の植竹公和氏が、これらの作品をイベントで上映できないか、とテレビ東京に打診したが、出演者全部に許可を得なければならないのが現実で、これはもう不可能ということで、保留になってしまったとのこと

*2:映画はビデオ化はされていると思いますが

*3:民青共産党系の学生)の根城に黒ヘル(新左翼の学生)がピアノを持ちこんだ。

*4:はてブコメントでご指摘いただきました。ありがとうございます。