あの頃の有吉弘行はいかにして心のバランスを保っていたのか

今年の「24時間テレビ」では、有吉弘行が、なぜか「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク2009」で「お世話になったインドの恩人にもう一度会いたい!」として再びヒッチハイクの旅するようだ。


ところで、ずっと気になっていたことがあのブームの頃、有吉はどのように心のバランスを保つことができたのだろうか、ということだ。
いまや開き直り、そのひねくれた性格を過剰にさらけ出し、時に偽悪的ともとれる振る舞いを見せている。
しかし、「電波少年」による「猿岩石」ブームでは逆に偽善的な感動ばかりを求められてしまっていた。
一見、彼の性格がひねくれたのは、そのブームと世間の手のひら返しによるものかと思われがちだ。しかし、自身の著書「オレは絶対性格悪くない!」によれば、その生い立ちや家庭環境が、彼の性格形成に大きく影響していることがわかる。(参考:有吉弘行ができるまで )
従って、あのヒッチハイクの旅は始める頃には、その性格は*1すでに出来上がっていた。


だから僕は、ずっと疑問だった。
彼ほどの批評眼があればあのブームの時の自分を客観的に見ていたはずだ。
そしてあの性格である。求められているのはそれとは真逆だ。しかもそれが長く続くわけがなく、それが終われば、「芸人」としてのイメージ、実績はゼロ。いや、むしろマイナスになるのが目に見えている。
普通であれば心のバランスを崩し、壊れてしまっても不思議ではない。
だから当時の彼の心境がどのようなものだったのかがずっと気になっていた。


そんな当時の心境を著書「嫌われない毒舌のすすめ」で振り返っている。

僕はといえば、ブームの最中から冷めていました
「こんな人気なんて、絶対に冷める」と確信してました。
だいたい、僕の身近にいた連中は、
「何であんな詐欺みたいなことをしてんだ?」とか、
「本当は感動してないだろ?」とか、
「歌なんか、本気で歌う気ないのに、よくやってるよな」とか、
みんな、もともとの僕を知っているので、本音の吐き合いというか、ストレートに本当のことを言いますから、僕に対しても毒舌を吐いていました。
世間的には大変なブームだし、アイドル的な人気でしたけど、周りの人間は、僕が旅したり、歌ったりしてることに対して、
「ペテン師」だとか、
「ウソつくな!」とかツッコんでくるので、逆にいえば、僕としては楽でした。
「お前らを笑わせるために、ああやって、ニコニコ笑顔でやってんだよ」っていう言い訳が立つし、「あえてやってんだ」っぽく振る舞えたから。
それがもし、周りの仲間にも、
「すごい感動したよ!」
とか言われちゃったりすると、さすがの僕でも、
「本当の自分はそうじゃないのに!?」とか思っちゃうかもしれないけど、「まぁ、身近な人間は分かってくれるからいいや」みたいな。
つまりは、「世間を欺いてるんだよ」っていう感じでいけたから、それで心のバランスが保てたと思うんです

有吉は、「本当の自分なんてないんだ」という信念を持っている。だから無駄なプライドは躊躇なく捨てた。

普通は、「自分にプライドを持て!」とか言いますもんね。
「プライドをなくした人間は最低だ!」とか言うし。
だから僕、最低の人間なんです。
でも、それでいいと思っている。
プライドは持っていないけど、「僕は最低の人間ですよ!」っていう、人間としての根っこの部分だけは、キチンと持ってますから。それさえしっかり押さえておけば、何をやっても平気だと思うんです。


<関連>
有吉弘行ができるまで
有吉弘行のブレイク論
有吉弘行が輝きを取り戻した理由

*1:もちろん、それをテレビで活かす毒舌芸人(というより僕は「批評芸人」と呼びたい)として第一線に躍り出ることができたのは、ブームを去った前後をしたたかに生き抜いた経験が大きい。(参考:[http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20080629#p1:title=有吉弘行が輝きを取り戻した理由:bookmark])