博多大吉が見上げる世界

選ばれし者は26歳の時に時代を掴む」という説はご存知だろうか?
ダウンタウンは『ガキの使い』を、とんねるずは『おかげでしたおかげです』を、そしてウッチャンナンチャンは『やるやら』を始めたのが26歳だった。さらに志村けんも、明石家さんまナインティナインもまた時代の幕開けをつげる出来事は、みんな26歳の頃に起きているという。

これは都市伝説の類ではない。これまでの人間が総出で編纂してきた「歴史」という名の書物から導きだした、動かしようのない「結果論」である

博多大吉がそこまで言い切るこの法則こそ「年齢学」である。
博多大吉が本を出版すると聞けば、大半の人が「イケてない」中学時代を中心としたエッセイを書くんじゃないかと、想像するし期待するだろう。しかし、あえてそのキラーコンテンツを封印してまで彼はこの「年齢学」にこだわった。大吉の筆は走らすよう駆り立てた「年齢学」とはいったいどんなものなのだろうか。

年齢学序説
年齢学序説
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博多 大吉
幻冬舎
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【以下、ネタバレを含みます。本書はこのようなネタバレで魅力が落ち込むようなものではありませんが念のためご注意ください】
博多大吉はつぶさに様々な人々の「26歳」にスポットを当てて、その説を証明して見せる。
特に年齢をキーワードにしつつ語られるお笑い論、バラエティ番組論は、お笑い芸人としての視点、視聴者としての視点をそれぞれ織り交ぜ、生き生きと大胆に、それでいて繊細に描かれており、説得力も抜群だ。
しかも語られる範囲はお笑いにとどまらない。漫画、音楽、スポーツに到るまで、膨大な事例と確かな分析で、その説を強固で立体的なものに仕立て上げていく。
なによりも驚くのは、この強引ともいえる論を、巧みな誘導と、すり替えや飛躍を効果的に駆使し、極上のエンターテイメントに昇華させる技術*1だ。
僕たちは、そりゃ無理があるだろ、と心のなかでツッコミつつ*2も、最後の決め台詞のように置かれた「そのとき26歳だった」の言葉に、ある種のカタルシスを感じるまでに至る。
そして、大吉は、この類まれな語り口で、ある結論を導き出す。

選ばれし者は26歳の時に時代を掴み、38歳の時、革新的な一歩を記す。


しかし、本書はこれだけでは終わらない。
唐突に「51」歳というキーワードを持ち出し、綾小路きみまろのエピソードを語り始めるのだ。
「年齢学」を語る本書において、この不意に始まったきみまろ論は、(確かに51歳という年齢にスポットを当てているとはいえ)、本書の中で少し浮いているように感じる。
もちろん、ここで語られる綾小路きみまろの話はあまりにも魅力的だ。
きみまろは、「潜伏期間30年」というキャッチフレーズと共に突如として、テレビでも大ブレークを果たした。
その長すぎる「潜伏期間」という言葉は、どうしても過酷な下積み生活という暗いイメージを持ちがちである。
しかし、現実はそうではない。
当時、きみまろは大物演歌歌手の専属という形でコンサート司会をしている。
いわば、安定した仕事と収入を得られる「安住の地」にいたのだ。
しかし、きみまろはそこで満足はしなかった。
彼は、高速道路のサービスエリアで休憩している観光バスに、ネタを吹き込んだカセットテープとチラシを自ら配布するという地道で過酷な営業活動を始めたのだ。

この時のきみまろさんは安定した生活が約束された、40代後半の芸人さんである。
失礼を承知で書くが、そんな立場にいた人が、「売れる」ということを諦めてはいなかったのだ。
もちろん、年齢など関係なく芸人は誰もが売れたいと思っている。しかし、テレビに出て全国区の人気者になるということは、キャリアや年齢を重ねるほどに難しくなるということを、当事者は他の誰よりも知っているものなのだ。心の底から売れたいと思いながらも、頭のどこかで醒めている。

それでもなお、きみまろを高速道路のパーキングに足を運ばせたものは何だったのか。
それは「ビートたけしの存在そのものではないだろうか?」と大吉は考察する。
きみまろとたけしは、芸人としてほぼ同期の関係にある。芸人にとって「同期」というのは特別な意味を持つ。

前例のない売れ方をしたきみまろさんについて、たけしさんは照れくさそうに「だって、きみまろちゃんは昔から面白かったからね」と評したのだ。その頃から認めていたということは、それだけの関係性がお二人の間には存在したということだ。(略)
お互いが「悔しいけど、面白い」と、芸人として認め合えるような、そんな相思相愛の関係を同期として築いていたのだ。だからこそ、きみまろさんは上を見続けることができたのだろうし、そしておそらく、どれだけ自分の立場が変わろうとも、たけしさんの頭の中からきみまろさんの記憶は消えなかった。(略)だからこそ、きみまろさんは安住の地にいながらも行動を起こし続けていたのだろう。


そして、最終章に至り、ようやく博多大吉本人の話が本格的に語られていく。
読者の戸惑いとともに始まったきみまろの話は実は、最終章に不可欠な前フリだったことを*3僕たちはこの後知ることになる。
博多大吉は26歳の頃、いったい何をしていたのか。
一般的に知られているのは、コンビとしてのターニングポイントである。博多華丸が、あの児玉清のモノマネを始めたのが26歳だった、というものだ。
一方、博多大吉はその時、実は、芸人としての活動を休止していた
当時、博多華丸・大吉は既に福岡において芸人としての「安住の地」を手に入れていた。
芸歴2年目でテレビ番組の司会業を与えられた彼らは、もはや、福岡のローカル番組には欠かせない大きな存在となっており、それを脅かすようなライバルもいなかった。
しかし、博多大吉本人は、そんな中でももがき苦しんでいた。
現状を打破したい。このままでダメになる……。

なんとかしなければいけない、という思いは制作者側も一緒で、何度も何度も打開策を話しあった。そこで僕とスタッフが辿り着いた結論が「僕がいなくなる」ということだった

想像出来るだろうか。いくら自分の置かれた状況が閉塞感で満たされているとはいえ、安住の地を既に手に入れた彼が、その立場を捨て「いなくなる」という選択肢を選びとった心境を。
前述の大吉の言葉を借りれば、まさに、そんな立場にいた人が、「売れる」ということを諦めてはいなかったのだ。

その具体案がまとまったところで相方を始めとするメンバーに事情を話し、僕は2月の終わり頃、番組内で高らかに「アメリカ行き」*4を宣言した。しかしその数時間後、事態は急変する。事の経緯を知った福岡吉本の事務所から連絡が入り、有無を言わせぬ「中止」が告げられたのだ。

前向きに踏み出した一歩は、歯車が狂い始める。
これを契機にもともと良好ではなかった番組と事務所の関係が修復不可能となり、番組は打ち切り。大吉は「アメリカ行き」を番組で宣言した手前、そのままテレビに出続けることを本人が良しとせず、そのまま謹慎のような形で芸能活動を休止した。
その後、バイト生活を経て、事務所の勧めもあり、インドへと旅立つ。
このあたりの詳細は本書を実際に手にとって読んで欲しい。
事実を淡々と描写する静かな語り口が、よりいっそう、その深い想いと情熱を感じさせてくれて感動的だ。
やがて、博多大吉は唯一無二な「芸人としての自我」を掴む。
その時、大吉はもちろん、26歳だった。

*1:ここらへんは活字プロレスや水道橋博士の『お笑い男の星座』などの手法を思わせる

*2:あとがきで本人も「ひとつの年齢に絞って著名人を調べ倒せば、何かしらのことは絶対に起こっている」と書いている。即ち、たとえば「選ばれし者は30歳の時に時代を掴む」としても問題はないのだ。

*3:というよりも本書の全体が、この章の前フリになっており、きみまろの章がその重要なアクセントになっている、というほうが正確かも知れない。

*4:長期間のアメリカ留学に行き、その模様をドキュメントすることで、司会から姿を消すこと