木皿泉を知るためのブックガイド

ゼロ年代もっとも重要なテレビドラマ脚本家のひとりを挙げよ、と言われればまっさきに僕は木皿泉を挙げるだろう。
木皿泉は『すいか』(03年)、『野ブタをプロデュース。』(05年)、『セクシーボイスアンドロボ』(07年)、そして『Q10』(10年)と寡作ながら心に深く残る作品を生み出した。しかし、その重要さの割に、彼らはメディアで大きく取り上げられることは少ない。三谷幸喜宮藤官九郎大根仁岡田惠和ら同時代の脚本家と比べるとそれは明らかだ。
そこで、数少ない彼らが登場した紙メディアをざっくりと紹介したい。

二人の木皿泉---『AERA 2010年10月25日号

木皿泉は和泉務(いずみつとむ=通称:大福)と妻鹿年季子(めがときこ=通称:かっぱ)の夫婦による2人1組の脚本家である。(なお、当エントリーの呼称は、引用部分を除いて、現在使用されている通称=大福とかっぱに統一します。)
その数奇な経歴は『AERA 2010年10月25日号』の「現代の肖像」に詳しい。

(大福は)夫婦で兵庫県警に勤める両親のもとに生まれ、2歳でポリオを発病して左脚が麻痺、歩く時も野球をする時も装具を外せなかった。「人に迷惑をかけるな」が口癖の父は息子を卑下しているようで、遠足には祖母が付き添った。

その最愛の祖母を亡くした年、27歳の時、”キザな和泉”を意味する木皿泉ペンネームにし、NHKの漫才台本懸賞で入選し、漫才作家になる。

(大福)「健全な状態はわかりません。今、こうなっても同じなんですけど。子どもの時は嫌でしたねえ。それを相対化するためにすべてを冗談にするという体質はあると思います、飴をなめてる感じでね。それがお笑いの分野に向かわせたんでしょうね」


大福とは5年遅れで、かっぱは西宮に生まれる。

妻鹿にとっての日常は、幼い頃から途方もなく退屈なものだった。 (略) 両親に愛されて育ったが、短大時代に、多大な影響を受けることになる「大島弓子」を教えてくれた親友と仲良くなるまで、友達を欲しいとも思わず、生きている意味もわからず、自分をナマコのように感じていた。

父のコネで入った商社勤めの間、母に言われるまま11回の見合いを繰り返した。

(かっぱ)「なんだろう、この退屈な感じはとずっと思っていて、でもそれは違うんだってことが年をとって、ある時、わかったんですね。だから、そのことをずっとシナリオに書いてるんだと思います」


やがてシナリオ学校で奇跡的な出会いを果たした二人。当時、大福は学校ではすでに有名な存在だったが、かっぱの書くシナリオに強く惹かれていた。
大福は「一緒に漫画原作で儲けませんか」とかっぱに接触すると、「いつの間にか毎晩のように電話で情報交換し合うようになり、明け方の5時まで喋る毎日」。そして、ついに大福がかっぱのアパートにやってくる。

共同執筆は偶然のように始まった。書きかけの原稿をそのままにして市場に出かけた妻鹿(かっぱ)が家に戻ってワープロを覗き込むと、ギャグが入っていて原稿が活気づいていた。その上に書き足すと、ダレていた物語が面白いように転がり始める。2人、入り乱れて書くようになった。


ある時、かっぱのデビュー作『ぼくのスカート』に酷似したテレビドラマが民放で放送される。
裁判を起こせばこの世界で生きていけないという関係者の忠告も聞かずに著作権侵害の訴訟を起こす。和解勧告も受け入れず、結果、敗訴。2人は長期にわたり仕事を失ってしまう。
スカパーで放送されたイッセー尾形永作博美が主演した『くらげが眠るまで』の脚本でようやく再起動すると、その5年後、日本テレビ『すいか』の脚本に抜擢された。
視聴率こそ低迷したが、熱狂的な支持を集め向田邦子賞受賞の報せが届く。
が、時を同じくして、大福が脳卒中で倒れ、介護生活に突入することになってしまう。
大福の介護のために中古マンションを購入を決心すると、夫婦ならローンを組めるというので、07年1月に正式に結婚した。

(かっぱ)「私はトムちゃん(大福)がいないと書けないし、お風呂にも入らない、歯も磨かない、ご飯も食べないダメ人間。死ぬまで一緒にいるのが夢だから」

だが、かっぱは『セクシーボイスアンドロボ』の執筆中に、うつ病を発症。
逆に大福がかっぱを必死に支えた。看護師は「介護されるだけと思っていた和泉(大福)さんが自分が支える側になって、一緒に脚本書いてるんだという気になられた」と、このころから元気になったと証言する。

3人目の木皿泉---『Otome continue Vol.4

Otome continue Vol.4かっぱのうつ病の症状については『Otome continue』が詳しい。
ずっと涙が止まらなくなり何も出来なくなるのだという。

かっぱ: ウワーッとなっちゃって、そこにプロデューサーから催促の電話がかかってきて「どうですか?」って聞かれるんですけど、「すみません、いま泣いてるんですけど」と言うと「じゃあ。いまから行きます!」って来てもらうんだけど、まだ泣いてて。
私まだ泣きたいのになんでこの人は家に来てるんだろうと思いながら、「薬飲みやー」とかなんとか延々言われながらも、結局1日半ぐらいずっと泣いてて。「大丈夫ですか」って言われて、もう書かないといけないと思って泣き止んで(笑)。

そして、『すいか』以降の木皿泉作品のすべてを手がけるプロデューサーの河野英裕のインタビューでは、彼が木皿作品には欠かせない存在であることが浮き彫りになる。

河野: 神戸に行って、書けるまで8日間、東京に戻らなかったこともあります。「もう書けません。違う作家を至急集めてください」みたいな恐ろしいメールが来て、折り返し電話をしても5時間くらいつながらなかったんです。本当に死んだかと思って、飛び出していきました。神戸にいるときはいるときで、泣きながら電話してくるから「いまどこですか?」と聞いてお迎えに行って自宅まで届けて……。

インタビューではいかに綱渡りでギリギリのところまでお互いに闘いながら生み出されてきたかが、生々しくも淡々と語られている。

木皿泉のことを視聴者は)「なんて純粋で、豊かで、優しい人なんだろう!」と思うだろうけど、僕から見たら真逆(笑)。ものすごくドロドロとしたものを抱えてる

しかし、それでも木皿泉の脚本を待ち続ける河野。「裏切られたことは?」と問われると「ないです」と即答する。
インタビュアーが河野P以外の木皿泉作品も見てみたい気がすると言うと、河野は事もなげに答える。

誰でもできますよ。粘り強さと、「これがやりたい」という意志と、木皿泉と徹底的に付き合うことができる人であれば、良い台本は必ずできるはずなので。

「誰でもできる」という言葉に逆になみなみならぬ誇りが滲み出る。
締切直前にも関わらず電話口で泣かれ、その奥では大福が「もうそんな仕事辞めたれ!」と罵倒されながら作り上げた『すいか』が視聴率低迷で、ドラマ班から飛ばされてしまう。
ようやくドラマ班に戻り再び木皿泉と組めば、また締め切りに間に合わず、彼らが住む神戸の家に貼りつき1枚1枚現場にFAXを送り、当然現場に行けない。かっぱに「死にたい」と泣きつかれながら、大福の介護を手伝い、刻々と現場のスケジュールが削られていくなか脚本をひたすら待つ……。
誰でもできるはずがない。
木皿泉にとって河野英裕は絶対に欠くことのできない存在である。
もはや河野は「3人目の木皿泉」と言って過言ではない。


他にも本書特集では意外なことに木皿の脚本が当て書きであることや、彼らがかなりのテレビっ子でお笑い好き(元々大福が漫才作家だから当たり前だが。)あることなども明かされている。例えば、『Q10』第1話の「助けて」と声に出していえない、というエピソードは『ロケみつ』の稲垣早希から起草されたものだという。

木皿泉のエッセンス---『二度寝で番茶

二度寝で番茶「お笑い」からの影響は彼らの対話形式のエッセイ『二度寝で番茶』でも書かれている。

大福: かっぱさんは「笑い」で復活したんですよね。
かっぱ: そう。もう何も書くことはないなぁと思ってたんですよね。シナリオライターやめようかなと思って。95年頃ですか。その時、朝日放送の漫才の新人賞を見てビックリ、みんなおもしろいんです。で、ゲストの千原兄弟」を初めて見て、こんなことできるんだと。私はまだ何もしてないなぁと反省しました。リリカルな「笑い」っていうんでしょうか。新鮮でした。
大福: その次の日が阪神淡路大震災
かっぱ: そう。壊れるはずのないものが全部なくなったんですよね。学生時代の友人達はみんな被災して、でも何とか生きてて、会って良かった良かった、生き残ったからには好きなことしないとダメだよなぁとか話してました。自分に正直な仕事をしていこうとマジ思いました。

このエッセイは、彼らの創作に対する考え方、物の見方を色濃く語っている。
たとえばこんな感じで。

かっぱ: 我々のドラマは、他の人と比べると、余分なものが多いって言われる。でも、自分達は全部必要だと思って書いてるんですけどね。
大福: その人らしさというのは、余分なものからにじみでますからね。

大福: 何を一番書きたいんですか?
かっぱ: イメージかなぁ。口では説明しにくいんですけど、人とおしゃべりした後に、あー楽しかったとか、何か元気出たなぁとか、ほんわかしたなぁとかあるじゃないですか。話した内容は忘れたけど、なんか良かったなぁ、またあの人に会いたいなぁとか思うこと。そういうイメージを残すようなドラマを書きたいんですよね。

かっぱ: 私達は自分には才能なんてないということを知っている。それが大きな武器になるんじゃないかな。自分を大きく見せようと誰かの借り物で武装してる人は、借り物しかつくれない。でも、自分をダメだと認められる人は、自分を心から肯定できるということでしょう? 自分は自分でいいんだと思えるところからしか、オリジナルなものは出てこないと思う。
大福: オリジナルなものであふれている場所は、人を自由にしますからね。

他にも、あぁ、これはあのドラマのあのシーンに反映されてるんだな、と何度も膝を打つ、具体的なエピソードも多く、木皿ドラマファンはマストのエッセイだ。


木皿泉のやり方---『小説 TRIPPER (トリッパー) 2008年 12/30号 [雑誌]

小説 TRIPPER (トリッパー) 2008年 12/30号 [雑誌]そして具体的なその脚本の書き方がつまびらかにされているのが『小説TRIPPER 12/30号』のインタビューだ。

(かっぱ) 「最初は私の直観で始まるんです。こんな感じの話にしたいという。すると、彼がそれならこういうテーマが使えるとか、こんな世界観でいこうとか、どんどんアイデアを出してくれるわけです。で、あーだこーだと話し合った後、彼はいろんなところからネタを仕入れてきて、資料をコツコツ揃えてゆく。その間に私はゆるやかな骨組を考える。構成というほどカッチリしたものではなくアドリブを挟み込める余地のある枠組。これでいけそうだなと確信が出来たら、私がガーッと書きはじめます。途中、詰まっても原稿は見せない。口で、詰まっているところを説明する。ここが不思議なんですが、彼は原稿を読んでないのに実に的確で思いもよらない突破口を教えてくれるんです」

(かっぱ) 「彼は、ここは面白くなるとか言って、わずか数行に、ものすごく時間をかけるんですよ。言葉をとても大切に選んでゆくんですね。笑いって、こういう地道で繊細な作業がないと生まれないんだと、ものすごくびっくりしました」

(かっぱ) 「私しか書けない内容は、この世にはないんです。でも、私達にしか出来ないやり方というのはあるんだろうな、と思うわけです。それは日々改良を重ねてきた工夫だったり、二人でつくってきた言語感覚だったり、そういうものは教えたくても教えられないものとして私達の体に残ってるわけです。それが個性なのかなぁと思うんですが」
            (略)
(大福) 「いかに人に伝えてゆくか、というのが我々の歴史であり個性です」

本書については「木皿泉がベールを脱いだ」でも取り上げているのでご参照のこと。

木皿泉の関係性---『TEAM! チーム男子を語ろう朝まで!

TEAM! チーム男子を語ろう朝まで!ちりとてちん』『吉本印天然素材』『ルパン三世』『アニメ・おおきく振りかぶって』『傷だらけの天使』『東映特撮シリーズ(仮面ライダー電王)』『アニメミュージカル』『必殺シリーズ』などなどの作品から「チーム男子」の魅力を余す所まで語りつくした『TEAM! チーム男子を語ろう朝まで!』。市川森一半田健人小林靖子らのインタビューに加えて、木皿泉(かっぱのみ)が『アニメ・時をかける少女』の脚本家奥寺佐渡子と対談している。
当時、『野ブタ。をプロデュース』放送直後だったこともあり、その対談の多くは『野ブタ』での主要3人の関係性に割かれているが、それはそのまま木皿泉の2人と河野Pとの関係性を語っているような部分が多く、今読見返してもとても興味深い。

(かっぱ): 『野ブタ』のああいう人間関係の取り方みたいなのは私の一つの理想みたいなものかもしれませんね。存続させることも考えつつ、自分も自由でありたい。気持ちいい場所も押さえつつ、ちゃんとチームのことも考えみたいな。まったく一人ではなくて、そういう気遣いがある。そういう人間関係がすきなんでしょうね。


他には『ドラマ 2010年12月号』で『Q10』第1話〜3話のシナリオ&「作者ノート」、『すいか』『野ブタ。をプロデュース』『Q10』のシナリオブックなど(あとがきなども必読!)があります。
また、CS日テレプラスでは2月21日より連日『セクシーボイスアンドロボ』を放送。かっぱが精神的に一番キテた時の作品です。なお、地上波放送当時、直前に類似事件が起きてしまったため、放送が自粛されてしまった第7話「ハンバーグ屋さん」も放送されますので是非!


最後に『Otome continue Vol.4』での特集の終わりに寄せられた木皿泉の短いエッセイの一部を引用して締めます。

私たちが書いたドラマを「木皿ワールド」と呼ぶ人がいます。正直言って、それがどんな世界なのか、私たち自身、よくわかってません。
                  (略)
箱を開ける前から何が入っているのかわかっていて、それを「どうです?これ、いいでしょ?」と押し付けるような方法で、本当に人の心に届くものをつくれるのかと。
ならばと、私たちが考えたのは、いろんなモノを散りばめた中から、宝探しのように、見ている人に「キュンッ!」とするモノを探し出してもらうというやり方です。(略)そのために私たちは、袋いっぱいに、心に沁みそうな話をこれでもかッ、とぎゅうぎゅうに詰めるのです。