萩本欽一とビートたけしの「浅草」

昨年*1フジテレビで放送された『テレビを輝かせた100人』では萩本欽一が大物ゲストとして番組途中に出演して、自身の知られざるエピソードを語っていた。
そんな中、その最後にガダルカナル・タカとやり取りが交わされた。
タカは言うまでもなく、たけし軍団の一員として常にビートたけしと行動を共にしてきた芸人である。

タカ: 色々な萩本さんの笑いのセオリーの中で「下ネタをやらない」っていうのがあると思うんですけど、たけしさんを含め我々はずーっと下ネタオンリーみたいなところがあって(笑)、それを萩本さんはどんなふうにご覧になっていたのかな?って。すれ違う瞬間、楽屋が近くにあってもご挨拶出来なかったりしたので。嫌われてるんじゃないかなーとか。そういうのもあったんで。
萩本: あ、そういう他の人が(下ネタを)やってるなんて全然なんともないし、現に私だって、裸の劇場で下ネタやってるところでやってましたから。ただ、僕の師匠の東八郎さんがたったひとつ教えてくれたのが、「笑いやってて芸人疲れてくると下ネタに行く。下ネタはよくウケる。だから下ネタをやるな、じゃない。それが出たら疲れてると思え」ってアドバイスがあったのよ。だから東さんがやってる限り、(元気で)やってるよっていう意味でも(下ネタはやらなかった)。(師匠への)恩返しみたいな。だから全然、相手がやるのは気にしてない。

そして萩本欽一は優しくタカに微笑み言う。

萩本: だから(たけしに)言っておいて。「大好き」だって

これを聞いたタカは感極まり、最初こそ泣くのを堪えていたが、司会の今田耕司に話を振られると、耐え切れずに涙をこぼしたした。
当然、軍団として間近でたけしの萩本欽一への深く複雑な思いを肌で知っているからこその涙だろう。
それは欽ちゃんとたけしの関係性を知らなかった僕には少し意外だった。
しかし中山涙が上梓した『浅草芸人 〜エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史〜』を読んでその疑問が氷解した。  


『浅草芸人』は、演芸の街である浅草の明治以来の150年史を綴った書である。
著者の中山涙は、お笑い系ブログ界のビッグネーム「死んだ目でダブルピース」(id:karatedou)としても活躍。本書では浅草にまつわる芸人たちやその周辺の栄衰、希望、苦悩がイキイキと描かれている。
もちろん、萩本欽一ビートたけしも例外ではない。

萩本欽一の狂気

萩本欽一の浅草での修業時代についてこう書かれている。

初めはあがり症のためセリフが言えず、演出家から「やめたほうがいい」と諭された萩本だったが、先輩の池信一と東八郎が、「あの子の『はい』という返事だけはいい」と言ってくれたおかげでクビにならずに済んだ*2

その後、ドラムの練習を始め、それを習得すると一気にそれを克服したという。

足りなかったのはリズム感と自信だったのだろう。

やがて、坂上二郎とコンビを組んだ萩本は浅草のフランス座で「火の出るようなアドリブ合戦」で爆発的な人気を得て、テレビに進出して行く。
このコンビ、コント55号の異常性を著者は以下のように解説している。

このコンビが異様なのは、ツッコミの萩本が変人で、ボケの坂上二郎のほうが常識人というところだ。
萩本は設定だけを考えて、それを舞台の直前で坂上に教えた。したがって、二人のやりとりは、ほぼアドリブである。
萩本は、坂上に何かの行動を強制する。坂上は素直にやってみせる。萩本は、その行動にいちゃもんをつけ、何度も何度も同じことをやらせる。かつて萩本が東洋劇場で東八郎から学んだ技術である。本来、理は坂上のほうにあり、萩本が口にしているのは言いがかりにすぎないのだが、その偏執狂的なしつこさが爆笑を呼んだ

ビートたけしの愛憎

一方、ビートたけしは新生フランス座の座長に就いた深見千三郎に師事した。

たけしは、芸風から服装、ものの言い方まで、すべて師匠のまねをしていた。というより、自然に影響を受けていったのだろう。乾いた砂地が水を吸い取るように、たけしは深見の芸や考え方を吸収していった。

深見とたけしほど濃密な師弟関係はなかった、という。
しかし、たけしは同じフランス座の仲間だった兼子二郎(にろう)に誘われ漫才を始める。

たけし自身は、まったく漫才に興味を持っていなかったが、浅草でのぬるま湯のような生活に飽きかけていたのと、二朗の勧誘があまりにもしつこかったので、その話を了承する。たけしから、フランス座を離れると聞かされた深見は顔色を変えて怒り、その後しばらく、たけしが訪ねてきても、決して会おうとしなかったという。

やがて、ツービートを結成してテレビ界を席巻していくことになるビートたけし
彼にとっての「浅草」は複雑な愛憎の思いが渦巻いている。

たけしの浅草への思いには、売れずに浅草でくすぶり続けている芸人たちへの申し訳なさと、もどかしさが入り混じっている。また、師匠である深見千三郎が持つ舞台芸に対する憧れや、自分には追いつけないという劣等感も絡みついている。

萩本欽一ビートたけし

先に引用したとおり、萩本欽一の師は東八郎である。

実は、東(八郎)がロック座にいたとき、こうした(萩本に教えた)芝居を一から教え込んだのが深見千三郎だった。そのため、深見にとって萩本は孫弟子に当たる。

つまり、深見千三郎の孫弟子に当たるのが萩本欽一であり、深見千三郎の最後の弟子に当たるのがビートたけしなのだ。
物語は複雑に絡まりながらつながっている。
それを丁寧にほどき、一本の線に紐解いてくれるのが本書である。
著者は「あとがき」で以下のとおり書いている。

笑いは多様化すると同時に、間違いなく進化している。それは過去に、命がけで笑いという文化を守ろうとした人たちのおかげでもある。
昔の文化を過剰に懐かしがるのも間違ってるし、無意味なものだと切り捨てるのも間違っている。温故知新と「昔はよかった」は絶対に違う。歴史を学ぼう。過去の芸人さんが生み出した笑いを知ろう。そうすることで、21世紀の笑いについて、現代の芸人さんの気持ちについて、少しでも理解できるようになるのではないか。僕はそんなことを考えた。


冒頭に引用した『テレビを輝かせた100人』の二人の対話にはその前後に以下のようなやり取りもあった。

タカ: 同じように(たけしさんに)萩本さんはどう思われます?って聞いたことあるんですよ。「笑いの取り方も違うし、センスも何もかも違うだろ。俺はあの人とは違う所にいるよ」って言って、最後に「でもあの人がバラエティの道、切り開いってくれたんだよ」ってポツリと言ったんですよ。「ゴールデンで司会できるのはあの人のおかげだよ」ってたけしさんは言ったんで。やっぱりリスペクトしてるんだなって。
萩本: そうそう、浅草で僕のすぐ下の後輩がたけしだからやっぱり自分の弟みたいな気がしてる。

そして萩本は「たけしによろしくな!」と微笑みながら、涙ぐむタカと固く握手した。

*1:2011年7月9日

*2:前述した番組『テレビを輝かせた100人』では小堺一機がコメントを寄せ、極度に緊張して上手く出来なかった小堺に萩本が「俺、あがらないヤツは嫌いだから」と言ってもらったというエピソードを明かしている