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タモリの“高尚”な趣味

いやー、暇です。日にちの感覚がまったく分からず困ってますよ、これ。

というタモリの一言から始まった 6月13日放送の『タモリオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)。

起きる時間もまちまちで、朝走って朝飯食って、そろそろ行かなきゃいけないと思って、32年間そのくせがついていまして、「あ、行かなくていいのか」って思った瞬間に何していいのか分からず…。
最初の頃は朝からビール飲んでこんないい生活送れていいなと思っていたんですが、1週間で飽きましたねえ。
人間ってのは憧れてるものはたいしたことがないっていうのが分かりました。
それから何していいのか分からず、人との約束は色々入ってくるんですけど、3回間違えましたかね? 「タモリさんの言っている日にちと曜日が合いません」っていうのがあるんですよ。
世間の皆さんもおかしいのが「タモリさん、1週間くらい取れますよね?」って言うけど、私は引退したわけじゃないんですよ。他の番組もやってますから、そんなに取れないです。取れて 4日ぐらいなもんですから。
起きる時間が様々。夕方くらいに飲んでて眠くなって 8時位に寝ちゃって 2時に起きたり、遅く寝ると7時ころになったり、もうむちゃくちゃです。
2ヶ月位経ちますがいまだにペースが掴みきれておりません

と、『いいとも!』終了後の生活を振り返りつつ、「耳の穴が小さくてイアフォンが耳からすぐ落ちる」とか「高い周波数が聞こえない。若い頃は1万くらい聞こえていたが、7000以上が聞こえなくなってる」「ウィスキーは“ドリンカー”」など“タモリトリビア”や「だいたい女性は『何になるの?』が口癖なんですが、私、人生何になるために生まれてきたわけじゃないんです」とさり気なく“タモリ名言”を挟んで、ゲストが辛坊治郎ということもあり、「船」の話へと進んでいきました。

ちっちゃい時から船が好きで。ヨットの前にとにかく船が好きだった。
中学になって自由に自転車でどこでも行けるようになって、小学生の頃は無理でしたけど、暇があると港の方に行って色んな船を見てたんですよ。

この辺りについては、僕がまとめた「大タモリ年表」では以下のように記載していました。

1957年(12歳)~ 中学生時代
▼南区の福岡市立高宮中学校に入学。
            (略)
▼暇があれば港に行き、貨物船などを見る。またヨットの小説を書き始めるが3行で終わってしまったという。

で、今回の『オールナイトニッポンGOLD』でこの頃のことがより詳しいディテールが語られていました。

それでずっと見てて、そのうち煙突にマークがあって、船会社があるんだっていうことが分かってきて。船の形も、今でいう「ばら積み船」だとか…。そのあと、ヨットっていうのを見るんですよ。中学2年くらいに。俺は帆だけで走るって思ってないですからね。当時は。

そのとき、目が止まったのは「Aクラスディンギー」。(※参考:イメージ検索

それがちょうど貸しボート屋にあったんですよ。船を見に行くところの横に。よく見るとなんにも(動力が)付いてない。風だけで走るんで、これは凄いなと思って、それからいろいろ調べたら、クルーザーもあるし、でかいのもあるし、帆船もあるって分かって。
いつかはこれに乗ってみたいと思ったんですよ、中学生の時。
それで大学に入って、僕はモダンジャズのクラブだったんですけど、上の上の人(先輩)にヨットが好きな人がいたんで、その人に教えてくれって言ったら、その人は鎌倉まで行って乗りに行って、そこでスナイプ(※参考)ってやつに初めて乗ったんですよ。
こんなに早くて凄いのかって。それで尻もちつきながら(乗って)、なんにも知らないですからね。ホントに色々教えてもらって。

というわけで、この辺りを年表に追記するとしたら以下のようになるでしょうか。

1957年(12歳)~ 中学生時代
▼暇があれば港に行き、貨物船などを見る。2年生のころになると、貸しボート屋の「Aクラスディンギー」が目に止まりヨットに興味を持ち始め、船の種類を調べいつか自分も乗ってみたいと思うようになった。またヨットの小説を書き始めるが3行で終わってしまったという。
           (略)
1964年(19歳)~ 大学生時代
モダンジャズ研究会のヨット好きの先輩にヨットについて指南を受け、鎌倉でスナイプに乗せてもらう。


タモリは紆余曲折を経て1975年に芸能界デビュー。それからわずか3年後の1978年、33歳の頃にドラマ『三男三女婿一匹』(TBS)の第2シリーズで森繁久彌と共演することになった。年表にはこう書きました。

1978年(33歳)
▼5月16日、ドラマ『三男三女婿一匹』(TBS)の第2シリーズ放送開始(~10月10日)。タモリは「ヤモリ」というアダ名の、病院に勤める暗い薬剤師「八六(やろく)」役で出演。共演した森繁久彌の「権威を利用して笑いを取る姿」に感銘を受ける。またヨット好きということで意気投合、その趣味を大切にするよう進言された。

当時のことをタモリは『オールナイトニッポンGOLD』で以下のように振り返りました。

この世界に入ってまず森繁さんが船が好きじゃないですか。それで森繁さんと僕は森繁さん主演のドラマでほんのちょい役で出たんですよ。それでどういうわけか、森繁さん、本読みって台本読むときに隣の席だったんです。森繁さん、訳のわからないこと言いながら入ってくるんですよね。夏なんかね、汗かきながら(森繁のモノマネで)「いやァ、暑いねッ、暑い。オイ、タオルはないのか? あのネ、タモリ、夏は黒い車はいけないネ」って(笑)。わけわからないんですよ。
台本よりも船の本をいつも持ってきて読んでるんですよ。それを見たくて、見たくててしょうがない。「すみません、読み終わってたら…」って(言うと)森繁さん、パッと見て「オイ、お前、ヨットに興味あるのか?」って言うから「はァ、僕は正直言いますけど、ヨットを持つことが夢です」「お前ねェ、パンツ一枚でなんだ、イグアナかァ?」よく観てるな、この人(笑)。「まあいい、仕事だから、何やっても。でもね、趣味だけは高尚なものを持たなければいけませんよ。ヨット、いいじゃない。なァ! いい趣味だよ。お前、分かんないと思うけど、夕暮れに向かってねェ、ずうっと、沖に出すんですよ。ああ、そうすると夕陽が沈むねェ。その頃になるとねェ、もう女は貞操観念ありませんよォどこが高尚な趣味なんだよ!(笑)。

このことは、1985年の山藤章二との対談(『対談「笑い」の解体』収録)でも語っています。ちょっと長いですが引用します。

タモリ: 森繁さんていえば、あのひととドラマを一緒にやったことがあったんだけど、面白いんですよ。自分の権威を逆に利用して面白いことをいうんですよ。
山藤: ン? どういうことですか。
タモリ: 自分がオッといえば、ほとんどの人がハッといって聞くな、っていうことを計算して逆手にとるんですね。ある時ね、あの人ヨットが好きでしょ。オレもすきなのね。ヨットを持つっていうのが小さな頃からの夢で、子供の頃、ヨットの小説書いたことがあったんんですよね。三行で終わっちゃったけど。
山藤: ハハハハ……。
タモリ: ドラマの台本読みやってたんですよね。ちょうど森繁さんの隣の席に座ったんです。テーブルの上にヨットの本が置いてあったんですね、森繁さんの。オレ出番が少なくてセリフも何行しかないんですよ。で、暇だから「すいません、その本ちょっと見せてくださいますか」っていったら、「ン?」て、こう横を向いて見るんです。イカンかったかなァと思った。まだオレはペエペエですからね。僭越だったかなァと思ったけど、「いいよ」っていうから、手にとって見てたんです。すると森繁さんフッと振り向いて、(眉間にしわを寄せて森繁の口調で)「お前、船が好きか」「ハッ、もう小さい時からクルーザーを持つのが夢でした。で、だんだんとその方向に近づきたいと思ってます」「フフーン。ま、いいことだよ、それはね。お前みたいなバカなことやってねェ。この前も見てたぞ」って、結構知ってんですね(笑)。「なんだ、アレは。ま、おかしいことはおかしいけどねェ……」。
山藤: ハハハハ……。おかしいことはおかしい、っていうのがいいなァ。イグアナの真似かなんかを見てたのかな。
タモリ: (引き続き森繁口調で)「バカなことやって、それはいい。仕事だから、なにやってもいい。でも、趣味だけは高尚なものを持て。ヨットは最高の趣味だぞ、お前。男にとっては、なァ。だからそうやって目標を持ってヨットを買うんだぞ。やんなさい」っていうから、僕は「ははァ」って、まわりの人もシーンとして聞いている。「お前、ヨットはいいぞ。夕陽が向こうに沈むねェ。ヨットをスーッと出して行くんだよ……。沖に出て、この辺でいいかと思った時に、静かに錨をおろす……」あ、やっぱりすごいなと思って「はァ」って。「そうした時に……、わからんだろうけどね、もう、女は貞操観念ありませんよォ」(爆笑)。
山藤: そこでストーンと……。
タモリ: 落とすわけですよ。つまりその長い森繁節のフリを聞かせるっていうのは、自分の権威でしょ。普通のじいさんだったら、ナニいってんだよってことになるけど、森繁さんだからみんな一応緊張して聞いてる。「夕陽が沈むねェ」「はァ」なんて、そっちの手の方向見たりしちゃう(笑)。凄いですよやっぱり。
山藤: 自分の地位や力を十分に承知して、ビルの十階くらいまで持ちあげといて、ストーンと落とすんだから破壊力は凄いわけだ。
タモリ: 権威を身につけっぱなしじゃなくて、それを利用して落とすっつうのは、意外と憎めないですねェ。あの人を、いろんなコメディアンが森繁病とかなんとか悪口いうんだけど、まァそれは自由なんだけど、オレは結構面白い人だと思ってるんですよ。

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ちなみに森繁久彌との交流については、岡村隆史との対談(『パピルス』08年10月号)でも触れています。
これは「この世界、“不真面目”じゃないと大変だよ」という話題から、例に挙げたものです。

以前ドラマをやったとき、俺はたいした役じゃないし、それほど真剣にやろうとは思ってなかったのね。台詞もまあ、直前に覚えればいいかという感じで。そのドラマの本読みのときに、偶然、森繁(久彌)さんの隣の席に座ることになった。俺が新しい台本をぽんと置いていたら、森繁さんが横に来て、俺の台本が全然開かれてないのをじーっと見て、「お前、台詞はちゃんと覚えてきたのか」って。もうウソをついてもしょうがないので、「あ、すいません、全然覚えてないです」って言ったら、「そうだよな、そうでなきゃテレビなんかできないよな」って言ったの。ええーって思ったけどね(笑)。

繰り返し話題が出るところを見ると、タモリにとって、森繁久彌との出会いはかなり大きな体験だったのではないでしょうか。


そして、遂に夢が叶い自らの船を持ったのが40歳をちょっと超えたくらいの時だったそうです。
年表」的に言うとハッキリした年が分からないのがもどかしいですが…。45歳のとき、「ヨットで怪我」*1をしてるので40~45歳の間に買ったのは確実です。

最初に持ったのは、ジャヌー(※参考)ですね。42フィートの。

辛坊治郎によると「1フィート30cmなので12mくらい。12mを超えると色んな(適用される)法律が変わるくらいでかい」そうです。

仲間がいましてね、そこのマリーナ*2がいいマリーナで、つけたその日から大変だってことは分かってるんで、どこからなく全部集まってきてやってくれたんですよ。
ところが、それをやってくれた連中が当時20代後半ですかね、それからずっと経ちますけど、それ以後若手が入ってきてないんですよ。若手がもう50代。53歳に使いっ走りできないでしょ(笑)。
それで「タモリカップ」でだましだまし人を集めようって。ヨットレースだけじゃつまらないんで、盛大にバーベキューパーティをやって。横浜で去年やったんですけど、バーベキューパーティをやって盛大に盛り上がった翌日がレースだったんですけど台風が来たんですよ。それでレースはなし。次、博多に行ったんですよ。博多もバーベキュー、サルサで盛り上がったんですけど、台風が来てレースはなし。結局全国回ってバーベキューパーティしかやってない(笑)。

その「タモリカップ」は、2008年から毎年開催しているヨットレースです。
ちなみに「年表」ではこう書いてます。

2008年(63歳)
▼ヨットレース「タモリカップ」(ヤマハマリーナ沼津)開催。13年からは場所を移し、横浜、福岡で開催(いずれも天候不良のためレースは中止。バーベキュー大会のみとなった)。現在では国内最大級のヨットレースに成長。特製のベーコンとビールも発売されている。なおタモリ沼津市にヨットを保有

なので「若い世代をヨット界に集めようとした」という動機を追記していきたいところです。


と、タモリのあまり語られない船遍歴が聴けた貴重な放送でした。(もう少し追記部分が増えたら正式に「大タモリ年表」にも追記していきたいと思います。)
最後にタモリはこう締めています。

このスタジオに入るまでホントに心配してたんですけどね。果たして何を喋るんだろう。何が言いたいことあるんだろうって。最近の俺は別に言いたいことなにもないなって。どうしようかと思ったんですけど、相当貯まってたのか、誰も聞いてくれなかった生活が2ヶ月続いたからか、そういえば走りながら自問自答してましたね。そうじゃねえだろ、とか。いや、精神衛生上、大変良い番組でした。私の番組全てに言えることですけど、自分の言いたいことを自分の立場を考えずに喋ってしましいました。あー、スッキリした。

いやー、月1回くらいのペースでやってほしい!
タモリさんと、そして僕らの精神衛生上絶対必要です!

*1:▼7月、ヨットの柱に額をぶつける事故。さんまから「ゴルフをやめてヨットを始めるからこんなことになるんや」などと揶揄されたこともあり、一時ヨットを辞めてしまったという。 http://matogrosso.jp/tamorigaku/tamorigaku-08.html

*2:おそらく「ヤマハマリーナ沼津」