ペンギン村から おはこんばんちは


発売後1ヶ月もの間、まったく気付かなかった「文藝 05月号」高橋源一郎特集を慌てて購入。
愛娘橋本麻里との対談や、高校時代書いたという論文が掲載されていたりと、再び自分の中の高橋源一郎熱が沸きあがってきてしまった。


ペンギン村に陽は落ちて」という作品がある。89年に、集英社より刊行されたものである。漫画「Dr.スランプ」を中心に、キン肉マンケンシロウドラえもんなどが登場する小説である。こちらも傑作であるが、さらにこの作品が、97年に発表された「ゴーストバスターズ 冒険小説」*1にて、モチーフをペンギン村に限定させて、再編集(というか全篇書き直し)されている。この「ゴーストバスターズ」版「ペンギン村に陽は落ちて」*2が、とても素晴らしいので、ここに紹介したい。



ある朝、はるばあさんは胸の奥が裂けるような哀しみとともに目を覚ました。そして、ベッドに横たわったまま、そういえばずっと以前にもこんな朝を迎えたことがあると思った。それは、一隻の宇宙船がペンギン村に不時着した日のことで、その朝もはるばあさんは妙な胸騒ぎと共に目を覚ましたのだった。

平穏な日々が続いていたペンギン村に、ニコチャン大王がやってくるところから物語が始まる。
ニコチャン大王は近くの沼まで歩いていき、そこに腰掛けると、ただ釣り糸を垂らし続けた。

「そこには魚がいませんよ」
知ッテイル。ニコチャン大王は落ち着いた様子でそう答えた。
「なにをしてるんです?」
ナニモシテナイ。
村人は繁みに戻るとニコチャン大王との会見の様子を詳細に説明し、そしてあの宇宙人に危険なところはないような気がすると念をおした。そうかもしれん。じゃあ、あいつはいったいなにをしにペンギン村までやってきたんだ?


そして、静かに少しづつ、村に変化が起き始める。
始めに、その変化を敏感に感じ取ったのは、パーザンであった。
パーザンはそれを、誰よりも早くはるばあさんに伝えなければならないと思った。

「はるばあさん。お別れにきたよ」と答えた。
「お別れ? パーザン、いったいどうしたの。どこかへ行こうっていうの?」
「そうではない。わたしはどこへも行きはしないさ。わたしはここで生まれたのだし、この村以外のどこへも行ったことはないのだから」
「じゃあ、お別れの必要などないじゃありませんか」
「そうだとしたら、どんなにいいだろう。わたしだって、昨日の晩まではそう思っていた。ところが」パーザンの声が不意にやんだ。
(略)
「結局、はるばあさんになにもいう暇がなかった」パーザンは囁くような声でそう呟いた。
 いったい、ああいう時になにをいえばいいのか。パーザンはもがくようにはるばあさんの部屋の窓の外にたどりついた時、七十年もの間胸に秘めてきた彼女への思いを今夜こそ告げようと思い、それからいやそれはもういい、いましゃべらなければならないのは「さようなら」をいう理由だと考えなおし、しかし、その理由もほんとうのところはわからないということに気づくと、そのまま逃げるように戻ってきたのだ。パーザンは大事なことを言わねばならぬ時にあれやこれやと考えすぎたあげく、結局なにもいわずに終わってしまう種類の人物だった。

やがてパーザンは考え込んだ挙句、村一番の知識を持つ千兵衛博士の研究室を訪ねた。

「わたしにもうすぐ『死』がやってくるのだ」パーザンは小さいが、凛とした声でいった。「そのことを、あなたに伝えたくてここまでやってきた」
博士はパジャマの裾から出ている脛をぼりぼりかき、それから曲がったナイトキャップを真っ直ぐにした。そして、こんな夜中に冗談をいいにきたのかとパーザンの顔を覗きこんだ。
「しかし、どうしてもわからないことがある」パーザンは憂鬱そうな声でいった。
「『死』とはなんだろう。それがどういうことをさしているのかわからないのだ」

博士も、パーザンに訪れるという『死』というものについて調べるが、どんな文献にもそれは載っておらず「この世にはわたしの知らないことがたくさんある」と嘆くのだった。


パーザンの体は急速に衰えていった。博士は病室を作り、そこへ来るように提案するが「いや、わたしはここ以外のどこでも眠りたいとは思わないよ」と、森のハンモックから離れようとしなかった。
そうして、パーザンに『死』が訪れた。
やがて、ペンギン村に『死』が感染していく。

それはいつも例外なく、奇妙な夢の訪れにはじまるのだった。(略)共通していたのは、どの夢も、それまでに見たことがないほど鮮明に現実に近く、どこかでパタリと断ち切られたような部分があることだった。そして、その夢を見たものは例外なく、数日か数週間のうちに、(略)冷たく固くなっているのだった。

高橋源一郎の『死』の描写は、この作品に限らったことではないが、あまりにも深い哀しみに満ちている。この作品でもペンギン村の人びとを次々と襲う『死』を丁寧に切なく描いている。例えばこの少年*3のように。

少年は驚いたように目を覚ました。どうしたの? 
少女は微笑みながら、少年に囁いた。あれは夢ではなかった。ほんの少し前のことだった。(略)ふたりは並んでペンギン川の畔の土手に腰を下ろし、流れゆく川、そのきらめく水面をぼんやり見つめていた。みどり先生の口癖、栗頭先生のこっけいな失敗、たわいのない話は不意に途切れた。やらなければならないことがわかった。少年はそういった。なに? 少女は答えた。そんなことが自分にできるとは、その直前まで少年にも信じられなかった。少年はそっと唇を少女の唇に押し当てた。ほんの数秒のことに過ぎなかった。それは予想したより遥かに柔らかく、そして温かかった。少年は引き下がり、そのまま草に埋もれるように仰向けになった。少女の顔がおおいかぶさるように近づいてくるのを、少年は驚いたように見つめていた。やがて少女の顔とそこから流れ落ちる髪が視野のすべてを埋め尽くした。(略)これから先どんなことがあろうと。少年は思った。唇や舌ではなく、もっと柔らかい身体、その繊細な箇所のどこかに触れることがあっても、その先のどれほど、自分が未だ知らない世界が広がっていようと、この瞬間以上の喜びがあるとは思えなかった。しばらくしてようやく少年は両の手を少女の身体に回した。舌はいつまでもお互いを求め続けた。むげんの時が流れたように思えた頃、ふたりの顔は離れた。少年は少女の膝に頭を載せ、ほんの少しの間眠った。そして、夢を見たのだ。イヤだ! 少年はそのことばを呑み込んだまま、両の手で顔をおおた。世界ははじまったばかりなのに、もう終わろうとしていた。


やがて、はるばあさんにも『死』が近づいて来た頃、博士は長年の研究のすべてを駆使し、『死』からペンギン村を救う機械を完成させようとしていた。もう少しで。
果たして、千兵衛博士は、ペンギン村を救うことが出来るのか? ニコチャン大王の目的とは? そして『死』とはいったい何を意味するのか?

ゴーストバスターズ―冒険小説
高橋 源一郎
講談社 (1997/06)
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*1:この作品は高橋のそれまでの集大成として、彼自身の過去の作品をリミックスして構成されている。

*2:第7章。「ゴーストバスターズ」はアメリカを一応の舞台に、様々なエピソードが互いに関連しあうものだが、独立した作品としても十分楽しめる。

*3:漫画でいえばピー助&ヒヨコちゃんか、あるいはオボッチャマン&アラレのイメージか。