カンニングを作った男


現在発売中の「クイック・ジャパン Vol.70」では、「中島がなくなったことについてのインタビューは絶対に受けないと決めて」いたというカンニング竹山隆範だが、「QJ」にならということで、それを含めて今までのカンニングの歴史を語っている。
竹山隆範すべてを語る23,000字」と題されたそのロングインタビューで個人的に印象に残ったのは、彼らのターニングポイントとなった「虎の門」出演でのエピソード。


竹山は、初めて「めちゃイケ」に「笑わず嫌い王」で呼ばれた時、片岡飛鳥から言われた言葉が、いまだに頭に残っているという。
「お前らを最初にTVで使った人はすごい。一生感謝しろよ。俺じゃねえぞ」


それが「虎の門チーフディレクターの藤井智久だった。
そのネタ見せオーディションでの出会いを竹山が述懐する。

「どうせまた受かんねえんだろ」なんて中島と言いながら「おはよーざす」って会議室に入ったら、藤井さんがいきなり笑ってたんですよ。僕らが部屋に入るなり、「えっ、若手なの!?」って(笑)。で、ネタやったら藤井さんがきゃっきゃ笑ってるんですよ。「若手のネタじゃねえじゃん。俺ら売れねえって言っちゃってんじゃん。悪いけど使えねえよ」と。「若手探してんだもん。売れたくねえって言ってるヤツは使えねえよ(笑)」「ああそうなんですか」「今回は悪い。シニア大会とかやった時呼ぶわ、ごめんね」

しかし、程なくして藤井の「個人的な趣味で」呼ばれ「虎の門」出演が決まる。

最初の収録で、僕が本番前にハンチング被って出ようとしたら、ものすごく怒られたんですよ。衣装を買ってきたら怒られたし、メイクしたら怒られた。
「そんなきれいな衣装着てどうすんだ、小汚い二人がTV出てるから面白いんだろうが!」って。
「他のコンビはそれでいいけど、お前らなんでTVに出させてもれっているのか考えろ」って話が続くわけですよ。
「まずかっこいいのかかっこ悪いのかどっちだ?」「かっこ悪いです」
「おじさんか若手かどっちだ?」「おじさんです」
「不細工なのか気持ち悪いのか?」「どっちも兼ね備えてます」
「センスある漫才なのか、ない漫才か?」「ないです」
「怒鳴るのか?」「怒鳴ります」
「そうすればおのずと形は見えてくんだろ、そしたらこんなジャケット着れねえだろ!」って。
途中からどんどん変なことになって、私服の方がおしゃれみたいなことになっていた(笑)。


カンニングっていうのはこういうコンビだ、と。こういうことを言って、TVの視聴者にこういうものを与えるんだ、と。ネタの見せ方も、細かく全部言われました。藤井さんの言われたことを、他のTVに呼ばれた時も必死にやってましたね。

この番組の出演がきっかけになり、カンニングは独自のスタンスで「若手お笑いブーム」の中を駆け抜けていくことになる。


そして中島の死を迎える。
カンニングっていうお笑いコンビは、藤井さんに始まり藤井さんに終わっています」と竹山が言うように、中島の死の直後の「虎の門」では藤井自身の編集による追悼VTRが流され、「お笑い芸人」として追悼された。
その日も竹山は番組中、いつものようにフロアAD役としてそこにいた。出演者からは、特に触れられるわけではなく、本当にいつもどおり番組が進められている。
そして番組が終了すると、最後の最後にカメラが竹山を横から映す。
彼が持っているカンペには「VTRへ」。
そして流されたのは以前「虎の門」で披露された漫才の映像だった。
VTRがあけると、無音のまま中島への追悼のテロップが映し出され、そのまま番組が終了した。
その追悼の仕方はとても「虎の門」らしく、かつ愛に満ちたものだったと思う。


参考>YouTube「虎の門 カンニング中島追悼」