やなせたかしの正義の見方

初期のアンパンマンが、5本指を持ち、今のような3頭身ではなく、もっとスマートな体型だったことはご存知の方も多いかもしれない。この頃のアンパンマン*1の物語は、砂漠の飢えに苦しむ人を見つけ、自らの顔を食べさせるというものだった。
しかし、今のように顔の端を自ら切って与えるのではなく、顔の半分以上をかじりつかせるというグロテスクなものであったことで、当時の読者は相当なショックを受け、大変な不評だったという。


ところで「自らの顔を食べさせる」という世界に類を見ないユニークなヒーローはどのような発想で生まれたのだろう? アンパンマンの作者やなせたかしはNHK教育テレビの「人生の歩き方」で以下のように語っている。

その時には非常にユニークなものを作ったという気持ちは全然なくって、ただこれはパンなんだから、パンが自分の顔を食べさせるのは当然だと思って描いたんだけれども……。

実は73年の「あんぱんまん」誕生前に、その元になった作品がある。
69年に描かれたそのヒーローは、丸い顔した太ったおじさん(普通の人間)。
あんぱんを持って飢えた子どもを助けに旅をしている。
子供たちには、アンパンよりもソフトクリームの方がいいと嫌われ、他のヒーローたち*2にはあんな薄汚い奴がいるから我々は悪口を言われるのだ、と非難さる始末。
それでも世界中の飢えた子どもたちにアンパンを届けようとしたアンパンマン。最後には許可なく国境を越えたため大砲で撃ち落とされてしまう。
やなせたかしは、一貫して「飢えに苦しむ人を助ける」というヒーロー像を描き続けている。
そのヒーロー観はどのように生まれたのだろうか?
それは戦争体験から生まれたのだと語っている。
日中戦争に出征したやなせ。

二晩くらい寝ないで行軍したりとか非常に重い40キロぐらいあるものを担いで夜も眠れずに歩いたりしたんですけどね、それはですね、実はさして辛くない。耐えられるんですよ。
一番辛いのは、食べられないってことなんですよ。もうホントにこれは我慢できないの。
世の中で一番辛いのは、やっぱり食べられないことなんだっていうことですね。

戦争が終わり、自分が信じていた「正義」が、一瞬にして「悪」になってしまうことを体験し、「正義」っていうのは、立場によって簡単に変わってしまうことを実感する。

帰ってきていろいろなスーパーマンものを見ているうちに、どうも嘘っぽいと思うのねぇ。
僕はちょっとこれは間違いだと思ったの。嘘っぽいって。そうじゃないものを描きたいって気持ちはずっとあったんですよ。

73年の「あんぱんまん」発表後、やなせは大人向けの「アンパンマン」として、「怪傑アンパンマン*3という作品を発表する。そこでアンパンマンは、殺人未遂で投獄されたりもする。正義は立場によって悪になるというやなせの考えを反映したものだろう。

正義っていうのは、そうカッコいいもんではないですよ。要するに、テレビだと例えばスパイダーマンにしろ、何にしろ、あるいは、日本だと鞍馬天狗とかね、いろいろあるんだけど、カッコ良いんですよね。しかしね、正義っていうのはそんなカッコいいもんじゃない、本当の正義っていうのは。
                (略)
つまり我々が求めている正義っていうのは、自分の生活が安定していること、あんまり酷いことはないこと、戦争やなんかない、そうして、とにかく食べる心配がない、ということを助けてくれる人が正義の味方であって、何もミサイルをぶちこんだり悪漢だからそれをやっつけるっていうことはですね、必ずしも正義の味方の第一義のものではないって僕は思ったわけ。

そうして誕生したのが現在子供たちに絶大な支持を受ける「アンパンマン」である。

正義の味方っていうのは、一番の正義は何かといえば、ひもじい人を助けることだと思ったわけ。つまり、悪いやつをやっつけるとか、怪獣を殴りつけるとか、そういうことじゃなくて、ひもじい人を助けることだと思ったんですね。
そうして、そのひもじい人を助けるためには、自分も犠牲にならないと、いくらか自分も傷つくってことを覚悟しないと出来ない、っていうのが、僕の中であってですね。ですから自分を捨てて相手を助ける、っていう、そういう気持ちを入れたいと思ったわけです。

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*1:当時の表記は「あんぱんまん」

*2:絵にはバットマンっぽいのとスーパーマンっぽい絵が描かれている

*3:※初期「あんぱんまん」や「怪傑アンパンマン」などを詳しく知りたい方はこちらの「[http://mrcn-tru.hp.infoseek.co.jp/anpan/index.html:title=アンパンマン学部?]」をお勧めします。