タモリたちの同窓会

本日放送された『題名のない音楽会』では「山下洋輔トリオ〜40年目の同窓会〜」と題して山下洋輔坂田明、森山威男が集まり旧交を温めていた。
そして、彼らが生み出した最高傑作であるタモリもゲストとして登場した。

山下さんは同じような年代なんですけど、これ前の年代と線が隔絶されてるんですよ。僕がお笑いの世界に入ったときに僕より上の世代の人は一人として私を認めなかった。「わからない」っていうのもあるんでしょうけど。だから、必然的に俺たちの世代は、自分たちので何かを考えだして、楽しむしかないんですよ。

それがどういうわけか、我々以下の世代にはすごいうけたんですよ。

と、タモリは当時の状況を述懐した。
そして、話題は、あの有名な「タモリが発見される」エピソードに移る。
これは何度となく色々なところで、色々な人が語っていることであるが、まさに当事者であるタモリ山下洋輔トリオが揃って、それを語るという場面は貴重だし、とっても生々しかったので記録しておきたい。

渡辺貞夫さんのマネージャーの人と呑んでたんですよ。たしか2時前だと思うんですけども、「俺、帰りますから」って言って、廊下を歩いてたら一つの部屋から、なんかドンチャン騒ぎして笑い声が聞こえるんですよ。
その当時は中村誠一っていうサックスの人がいて、この人は芸達者の人で、無茶苦茶な歌舞伎をやってるんですね。「おぉぅおぉぉ(歌舞伎の口調)」とか言ってるんですよ。それで、こうやって(ドアごしに)聞いてて「俺はこの人たちとは気が合うな」と思ったんですよ(笑)。気が合うんだから入ってもいいだろうと。
で、ドアを開けようと思ったら鍵が掛ってないんですよ。ドアが開いて、僕のところからは山下さん達は見えない。で、中村誠一が無茶苦茶歌舞伎をやってるのが、ドアを入って正面に見えた。こうやって(無茶苦茶に歌舞伎を)やってるんですよ。浴衣にゴミ箱被って「おぉぉー」って。当然、(開いた)ドアの方を見たんですね、中村誠一が。(そこに)知らない男が立ってるんで、一瞬「おぉ?」ってなったんですよ。そん時に神様が降りてきて、「今、お前の出番だ」って言ったんです。そのまま「このよの〜(歌舞伎口調)」って(入っていった)。
山下さんの方から見ると中村誠一が独りでやってるんですよね。一瞬止まった。なんで止まったのかと思うと、そっから俺が相手役として出てくる(笑)。
それで、もうドンチャン騒ぎになりまして、夜明けまでやって「あ、いけね、帰ります」って言ったら山下さんが「ちょっと待て。あんた、一体誰なんだ?」って。「あ、森田と申します」って帰ったんです。


森山:で、あの後山下さんに「山下さんも不思議なお友達がいるんですね」って言ったら、「お前の友達じゃないの?」って(笑)。


それから1年もしないうちに山下さんが博多に来たんです。それで、森田っていう男に逢いたい、と。でも、博多って百何十万人いますからね、それで(山下が)考えたのはあのフロアはジャズ関係者ばっかりだったんですよ。で、博多で一番古いジャズ喫茶に行けばわかるんじゃないかと思って、そこに行ったんですね。「森田という男を知らないか」って言ったら、俺そこに行ってたんですよ、(だから、店員は)「知ってるよ、電話しようか」って言って、電話かかってきて、山下さんが「逢いたい」って。あれがけうける人を見たことがないんですよ。だいたい僕がやる当時の芸は、笑わないんですよ、みんな。私、今こうやってテレビ出てますけど、ホントに最初の頃は、テレビに出れるような男じゃないんですよね。今でいうと、江頭……、あんな感じでしたよね(笑)。で、あ、これいけるんだな、と。ホントに坂田さんが言うように(山下は)持ち上げるんですよね。

そのタモリの最初のマネージャーを山下洋輔が買って出る。

山下:九州にこんなに凄い面白い奴がいるって散々、新宿の酒場で吹聴しましたから、そいつを呼べって言うわけですよ。筒井(康隆)さんや赤塚(不二夫)さん達が呑んでるわけですから。で、一晩その場を席巻したんですね。赤塚さんも筒井さんも度肝を抜かれて。
(名刺まで)作りました。オフィス・ゴスミダって書いてね(笑)。
色々なテレビ局に回って、それでディレクターに見せたんですよ。そしたらディレクターがみんなうけましてね、もう転げまわって笑うんですよ。でもその後に「ダメだよ、これはテレビでは出来ねえよ」って泣くんですよ(笑)。

なお、来週もこの「同窓会」の続きが放送されます。