浅草キッド ギリギリの綱渡りの美学

(※ちょっとだけ追記しました)

6月3日、NHK総合『スタジオパークからこんにちは』に、あの浅草キッドがゲストとして出演した。NHKのお昼の生放送に浅草キッドが二人揃って映ると、それだけで「ざわ…ざわ…」という擬音が、画面の背景に描かれているような不穏な空気を醸し出していた。
水道橋博士もオープニングで「今日(スタッフに)『ギリギリの球投げて下さい』って言われたんで」と宣言。Twitterでも以下のように内幕を明かしている。

まずは自己紹介。最初からの綱渡り。いきなり胸元への内角攻め。

玉袋: わたくし、あの、訳あって「玉ちゃん」っていうふうに。訳あって。元々の名前は……、いいんですね? いいんですよね、やっちゃって。玉袋筋太郎でございます

博士も「10年くらい前、NHKでは『知恵袋賢太郎』という名前があてがわれた」という“浅草キッドあるある”をまぶしていく。
しかし、何度となく聞いた“浅草キッドあるある”もNHKというフィルターで語られるとより深い味わいを醸し出す。


そして、鉄板中の鉄板、浅草フランス座時代のエピソードに。
「楽屋でジュウシマツ飼ってたんですけど、最終的には食用になった」というほどひもじい生活を送っていたという修業時代。それは師であるビートたけしも同様だった。

博士: たけしさんは浅草のフランス座時代、鳩を食べてたって話がありますから。嘘でしょ?ってこのあいだ訊いたんですよ。
玉袋: 「ホントに食ってたよ、バカヤロー」って。
博士: 網戸の網を、エサやった後、バサって倒すんですよ。それで捕まえた後、羽をむしって茹でる。凄いでしょ? サバイバルなんですよ!


そこでライブでネタの鍛錬をしていたんですね、と問われると博士はやんわり否定する。

博士: ライブ活動っていうかね、「芸人修業」ですよ。ここで生きるか死ぬか、みたいなことをやってるわけです。ギリギリのところで。
今はね、お笑い学校っていうのがあって、授業料払って、お笑いを教えてもらうって感じですけど、25年くらい前は、師匠のところに弟子入りしていなければ、芸人っていうのはなれないし、だったら、師匠が「ここで修業してこい。ここ3年いたら、お前ら、芸人の匂いがつくから」って言われて、それをまた信じ込んで我々、ホント家出同然でここで暮らしているっていう。

この辺りから、二人はいよいよ肩が暖まったのか、さらに内角をえぐるような危険球スレスレの球を投げ始める。

玉袋: 博士の親なんか岡山から連れ帰りに来たんですから。返す、返さないの押し問答ですよ。
博士: 三日間連続で来て。浅草の安ホテルに泊まりながらですよ。毎日毎日来て。僕は屋上に逃げるんですよ。そしたらそこの社長が「もう成人ですから、本人の自由です」って。
玉袋: どっかで見た映像っぽいけど(笑)。
博士: しかも、その安ホテルが、浅草の男性が好きな方が集まるホテルだったんですよ。まあ、有名なハッテン場なんですよ
玉袋: それを両親知らないから。
博士: 毎晩、その声が聞こえてくるんですよ。それで、あまりにも呆れて帰っていったっていう。
玉袋: 東京は怖いところじゃ、って(笑)。
博士: これを俺、「ゲイは身を助く」って(笑)。


その後も、“21世紀に残したい映像”日テレ『スーパーJOCKEY』の「人間サイコロ」の映像が流れたり、「君はコマネチかもしれないけど、我々はタニマチだ」と言って、たけしと浅草キッドが戯れる極上の大人の遊び「社長会」の話(玉袋が「社長会のために働いてますから」という言葉が*1たけしへの溺愛ぶりを現していて印象的だった。)、さらに、博士が『龍馬伝』を息子たけしくんと見ている写真を見て「あんまり(奥の)本棚は映さないで下さい。TENGAが映っちゃうんでね」とぶっこんだり、と見所満載。
そして最後まで内角球を投げ続けるキッド。豪速球で。

博士: 僕、3日前に殿といっしょにお食事して、コマンドール芸術最高章、フランスの勲章もらって、そのお祝いをしてたんですけど、そしたら殿が「俺もこの芸術章貰ってよ、今、俺、ソープに凝ってるんだよな」って言ったんですよ。すごいこれ、僕印象に残るっていうか。凄いなーと思って(振り幅が)。

ちなみにTwitterでは、この後日談が語られていた。

まさにこの師匠にしてこの弟子あり! 最高!


(追記)
さらに後日談。
上記ツイートで「もっと言え」とたけしさんに言われた博士は、この後、たけしさんに誘われ、半強制的に長らく守ってきた、ある「童貞」を失うことに。その顛末がラジオ『キラ☆キラ』で語られていた。
その時のポッドキャストこちら

*1:他にも本を苦労して出す理由を問われたとき、博士につぶやいた「(殿に)褒められたいよなぁ」もグッときた。