毒蝮三太夫の愛される理論

俺達の仕事っていうのはね、落語家でも芸人でもタレントでも、そうだろうけど、通り一遍というか真っ当じゃあ面白くないよね。
人が100円貰うところ、俺達は1000円貰ったりするわけだから、ちょっと毒があるとか、ちょっとひねくれてるとかちょっと曲がってるな、っていうところがないと費用対効果が生まれないよね。
そういう意味で、あの人と俺達は違うなっていうところが自然とあったんじゃないですか。

5月3日のTBSラジオ『キラ☆キラ』の3時のコラムコーナー「コラ☆コラ」にゲスト出演した毒蝮三太夫は自身の仕事のスタンスについてこう語った。
パーソナリティの小島慶子は毒蝮の毒舌が「不快になるよりも嬉しくなっちゃうのが不思議」と言うと、毒蝮は「それはね、俺の知性ですよ」と笑う。

あと生まれ持った生ですね。育ちと家庭環境と下町という土壌ですよ。(略)だから、みんな長屋で肩寄せあってじゃないと生きていけないようなトコだから、お互いに無いものを貰うためには、自分が魅力的じゃないとダメじゃないですか。お前がいると明るくて楽しいから連れていこうよってなると美味しい物が食べれるじゃない。相手が喜んでくれるようになるには、こっちが無から有を生むわけだから、自分は資産もなければ、知名度もないし、器量もないし、生まれも良くないわけだから、チャーミングじゃなきゃダメじゃないですか。そのチャーミングさって言うのがはわざとらしいのは良くないわけ。自分も飽きちゃうし。だから相手もわざとらしくなく、アイツに会うと気持ちいいな、ヨイショされるなっていうのがないと生き残れない。要するに嫌なことを言っても嫌われないっていう理論ですよ。
人から愛されるには自分がチャーミングになるしかないじゃない。
こいつは俺の味方してくれるな、とかこいつは敵に回すとこんなに始末の悪いものはない、だけどテメエの味方にすればこんなに有益なやつだと思わせることじゃない。
だから呼ばれたんじゃない、今日? なんかアイツは違うなって。


TV Bros.(11月13日号)』の「ウィキナオシ!」でも毒蝮は「若者向けにしゃべってない。ただ、若者が俺を気にしているのは感じる」と自分が愛される、受け入れられる秘訣を語っている。

俺はラジオでも“年寄り向け”にしゃべってるわけじゃないし、流行語なんて使わない。ただ“人間”に向かってしゃべってるだけ。それなのにテレビや雑誌はやたら若者に受けようって狙うから、作ってる本人達が歳をとってくると『おかしいなぁ』ってズレを感じるんだ。

そして毒蝮は「古いようで新しい」と思わせないといけないと言う。

俺は『歳をとったら古都になれ』って言ってんだよ。京都とか奈良とか鎌倉のことな。ああいう場所を『古くさい』って言う人いないだろ? 若者に向けて何かしてるわけじゃないのに、若者がみんな喜んで行くんだよ。

落語もそうだ。「江戸時代の話をしてるのに、今でも面白い。それは本質的に面白いからなんだ」と。


前述の『キラ☆キラ』でも毒蝮得意の「人を喩える」ことの素地を問われ、やはりそれは「落語にあるんじゃないか」と解説する。

やっぱりね、何百年と続いてる落語の語彙の豊富さ。人物描写。それから下世話な人までも主役になってドラマになりますよね。その落語が身に付いてるのかも知れない。

そして「出来損ないのじゃがいもみたいな顔」と喩えられたリスナーから「喜んでいいですか?」と質問され即座に「喜べよ!」と。

俺の目に止まったことを喜べよ一番生きてて寂しいことはね、バカにされることではないですよ。貶されることでもないですよ。無視されることですよ。無視されることが一番自分の存在価値を否定されることだから。

そして、毒蝮は繰り返す。

だから知性なんだよ。それと、へそ曲がりなんだよ。褒められようとして言うので褒められたって面白くないんだよ。よいしょして相手を気持よくさせるって言うのは当たり前じゃない。要するに人が嫌だなっていうことを言って好きになられるっていう多重層の屈折したやり方ができたら面白いなって思っただけ。


「ウィキナオシ!」では最後に毒蝮理論が詰まったメッセージを寄せている。

変わらない流行を見つければいいんだよ。現代に息をしながら、過去に学べばいい。世の中どうせ、しかめっ面してたってしょうがないんだから、楽しく生きないと。

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2011年05月03日(火)『キラ☆キラ』「コラ☆コラ」(毒蝮三太夫)ポッドキャスト
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