有吉の“どん底時代”とは何か? 「ミニ有吉弘行年表」

いよいよ本日『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』がコアマガジンから創刊されるコア新書として発売されました!

これはお伝えしているとおり「水道橋博士のメルマ旬報」連載の「芸人ミステリーズ」の傑作選です。
ただし、第1章と最終章は書き下ろしで、本書全体の4割近くを占めている長編です。
そのテーマは「猿岩石」と「有吉弘行」。つまり表題のとおり、「有吉弘行」を主題にしたものです。


書き下ろしのテーマに「有吉弘行」を選んだのは、もちろん現在のお笑い界にとって、もっとも重要な人物であるからに他なりません。そして彼の経歴の一つ一つは、「テレビ」、あるいは「お笑い」を考える上で、重要な示唆を与えてくれるものです。現在のテレビにとって「芸人」とは何なのか、という「芸人ミステリー」を解き明かすために、「有吉弘行」ほど最適な芸人はなかなかいないと思うのです。


そしてこの原稿を書くために改めて「有吉」を調べてみると意外な“事実”に気付きました。
我々は有吉弘行に巧妙に“騙されて”いたのです。
その“事実”を分かりやすくするため、僕は「年表」を作りました。
タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』のために作った「大タモリ年表」は膨大なものですが、今回のその“事実”を浮き彫りにするためには逆に詳細すぎると分かりにくい。
ということで作ったのが「ミニ有吉弘行年表」です。
猿岩石と有吉の『電波少年』出演~大ブレイク~どん底時代~再ブレイクまでの主な仕事を記した簡略的な年表です。
この年表が示すものは果たして何なのでしょうか。

ミニ有吉弘行年表

1996年(有吉弘行:22歳)

04月、『進め!電波少年』で「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」スタート
10月、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」ゴール、凱旋ライブ(西武球場
11月、『笑っていいとも!』テレフォンショッキング出演
12月、「白い雲のように」発売。ミリオンセラーに。

この年、「ヒッチハイク」の旅のゴールで空前の猿岩石ブームが興ります。

1997年(23歳)

04月、『笑っていいとも!』レギュラーに。(~98年9月)
04月、『中居くん温泉'S』レギュラーに(~同年9月)
06月、『猿岩石のオールナイトニッポン』放送
08月、『24時間テレビ』出演。深夜お笑いパートで居眠り。
12月、「白い雲のように」でレコード大賞新人賞受賞。

ブームは1年あまりで急速に下火に。

1998年(24歳)

01月、『さんまのまんま』新春SPに出演。
04月、『リングの魂』で猿岩石の持ち込み企画「J-1」開始。2000年番組終了まで続く人気企画に。
04月、朝ドラ『天うらら』にレギュラー出演。
05月、映画『一生、遊んで暮らしたい』公開。
09月、『KEN-JIN』(広島ローカル)にレギュラー出演(~2005年4月)

ブームはすっかりなくなりましたが、『週刊文春』でナンシー関も注目するなど「J-1」で有吉のふてぶてしさが一部で注目を浴びています。また朝ドラや映画出演など役者活動もしていて一時のブームの間とは差があるものの仕事は多くありました。

1999年(25歳)

04月、『特捜TV!!ガブリンチョ』(テレビ朝日)レギュラー出演(~2001年3月)
05月、『いろもん』出演
12月、『極楽とんぼとび蹴りゴッデス』出演。「津軽海峡横断部」開始。翌年4月まで全12回続いた。

『いろもん』では今田・東野を相手に有吉が今に通じる毒舌キャラを披露しています。

2000年(26歳)

07月、ミュージカル「シンドバットの大冒険」出演
09月、『ヤミツキ』(日本テレビ)に頻繁に出演
10月、『あの人は今?』出演
12月、『あの人は今?』出演

この年がもっとも仕事がなかった時期だと思われます。それでも『ガブリンチョ』やローカル番組『KEN-JIN』などレギュラー番組は途切れていません。

2001年(27歳)

01月、『プレゼンタイガー』で手裏剣トリオに改名
04月、『ウッチャンナンチャンウリナリ』のレギュラー予備選落選で暴言
05月、『内村プロデュース』初出演。
06月、『内村プロデュース』で「手裏剣トリオをプロデュース」。
07月、『内村プロデュース』で「劇団プロデョーヌ」に参加。
09月、手裏剣トリオから猿岩石にコンビ名を戻す。
10月、『ナイナイナ』で全裸でかくれんぼ

この頃、「竜兵会」(の原形)が結成され有吉も参加し始めます。さらに『内P』などで”裸”“リアクション芸”で活路を見出し始めています。

2002年(28歳)

01月、『あの人は今?』出演
04月、劇団ひとり有吉弘行のネット番組『最新J-POP情報局』開始。
10月、『虎の門』3時間スペシャル出演(有吉のみ)

『内P』はこの年も頻繁に出演。それぞれピンでの出演が多くなっていきます。ネット番組ではひとりと組んで後輩相手に好き放題暴れています。

2003年(29歳)

01月、マンクマン(有吉弘行劇団ひとり)としてCD発売
03月、『あの人は今?』出演。
04月、『YOU★遊★気分 土曜だ!ぴょん』(長野ローカル)コーナーレギュラーに。(~6月)
09月、『内村プロデュース』「すごろく家庭訪問(ふかわりょう宅)」で「猫男爵」誕生

この年誕生した「猫男爵」は『内P』に欠かせない名物キャラに成長していきます。もうこの頃になるとお笑いファンの間では認められた存在になってきていました。

2004年(30歳)

01月、『内村プロデュース』で「有吉弘行という男をプロデュース」
03月、猿岩石解散。

猿岩石解散のためピン芸人になりますが、引き続き『内P』では「猫男爵」や「笑わないキング」などで重用されています。

2005年(31歳)

04月、『アメトーーク』「竜人会(竜兵会)」に出演
09月、『ものまねバトル』出演。以降、哀川翔などのモノマネが注目される。
09月、『内村プロデュース』に最後の出演(10月番組最終回)

アサヒ芸能』の高田文夫の連載で竜兵会での有吉が絶賛され「再ブレイク」を予言されているとおり、竜兵会がらみの仕事や、モノマネ芸でも頭角を現していきます。

2006年(32歳)

08月、『アメトーーク』有吉プレゼン企画「一発屋芸人」出演
09月、『アメトーーク』「竜兵会」出演
10月、『アメトーーク』「元コンビ芸人」出演。森脇もEDに登場し「白い雲のように」を歌う。

アメトーーク』を中心に「一発屋芸人」、竜兵会の語り部として重宝されます。

2007年(33歳)

01月、CS『ダチョ・リブレ』開始。竜兵会の「ばっかス」にレギュラー出演。
05月、『アメトーーク』「竜兵会vs出川ファミリー」出演
06月、『アメトーーク』「ブログ芸人」出演
06月、『虎の門』でゲロを吐く
08月、『アメトーーク』で「おしゃクソ事変」勃発

おしゃクソ事変」で再ブレイクを果たします。


どうでしょうか。
有吉はよく「8年近く仕事がなかった」などと述懐します。
その結果、有吉は「一発屋」から「長いどん底時代」を経て「再ブレイク」したことで「苦労している」というストーリーを背負い、「毒舌」に対してある種の「免罪符」が与えられている側面があります。
でも、この年表を見て気付くのではないかと思います。
仕事がない時期なんてほとんどないじゃないか! と。
しかも、ほぼ毎年のように、各番組に爪痕を残すような活躍を見せています。


仕事がもっともなかったであろう2000年でもレギュラー番組は途絶えず、簡易版ということで記していませんがゲスト出演などは多数あります。よく有吉がネタにするファンクラブイベントなどを含めると結構な仕事量はあったのです。猿岩石を解散した直後も苦しい時期だったとは思いますが、程なくして『内P』や竜兵会に助けられています。(改めて見ると「J-1」がヒッチハイクからわずか2年後だったり、「猫男爵」の誕生が猿岩石解散前というのに驚かされます)
もちろん一度、大スターとなった経験があるため、その落差でいえばその精神的な絶望の深さは時間では計り知れない深いものだったに違いありませんが。


僕がここで強調したいのは「有吉は僕らが思ってるほど仕事がなくて苦労した時間は長くない」という“事実”ではありません。
その“事実”に気付くと、有吉のイメージを巧みに操るプロデュース力やプレゼン力のずば抜けた高さ、そして底知れなさが垣間見えるのではないか、ということです。
この“騙される”快感こそ有吉弘行のひとつの魅力ではないでしょうか。


そんなことを踏まえて読んでいただくとより楽しめるのではないかと思います。是非!


なお、「マトグロッソ」で短期集中連載している「大タモリ年表」第4弾は本日更新されますのでこちらもよろしくお願いします。

『タモリ学』特別付録 大タモリ年表#4


タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』増刷が決まりました!ありがとうございます!引き続きよろしくお願いします!