光浦靖子のジャイ子への祈り

「ドラ泣き」なるキャッチフレーズを引っさげ公開された映画『STAND BY ME ドラえもん』が現在大ヒットしています。
ドラえもん藤子・F・不二雄が大好きな人の本」を標榜する『Fライフ』も第2号は公開時期と発売時期が重なっているため、当然この映画の大特集が組まれています。
この本には何人かの著名人*1がコラムを寄せていますが、その中で、オアシズ光浦靖子さんが「ドラえもん』で一番乙女な生きものへ」という文章を書かれていて、それがあまりも素晴らしいので紹介します。
その「一番乙女な生きもの」はもちろんジャイアンの妹「ジャイ子」です。
光浦さんは「私はジャイ子のことが心配です」と書き始めるのです。
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私はジャイ子のことが心配です。だって、だって、ジャイ子は誰よりも美しいものを愛する心を持っているんですよ。ジャイ子はそのうち、自分が美しくないことに気づくでしょう。そして、そんな自分を許せなくなるんじゃないかって。

光浦さんらしい繊細な切り口で「ジャイ子」について語っていきます。
自分の自信作の少女漫画を、それを否定されたら絶望するしかないと新人賞に応募するのを躊躇するジャイ子を例に挙げ、「ジャイ子は自分に厳しいです。だってジャイ子には漫画という才能があんなにあるのに、自己評価が低い」と光浦さんは分析します。

そんじょそこらの、絵がちょっと上手いからとって有頂天になる小学生とは訳が違うんです。傷つきやすいのに、ハードル設定が常に高すぎるんです。
そんな性格なんですよ。美に対してもきっとそうでしょうジャイ子はまだ子供です。ジャイ子が合格点を出せる美しさをジャイ子自身が持っていないことに、ジャイ子は立ち向かってゆけるでしょうか? 世間一般のくだらない美の基準に飲み込まれないでしょうか? 美の基準そのものが違うと、美しさはそんなとこにないと気づけるでしょうか?


今でこそ「ブスと言われる度に銭が懐に入るシステムで生きている」(『不細工な友情』より)などとうそぶく光浦さんですが、中学3年までは「上の下」だと信じて生きてきたそうです。
小学校の頃、光浦さんは彼女の洋服選びの全権を持っている母親から服を着る度に「可愛い」と連発され「やっちゃんは他の子と違って、生まれもっての品の良さがあるよね」「やっちゃんは他の子と違って、隠しても清潔感があふれちゃうんだよね」と繰り返し言われていました。高学年になると、クラスのリーダー格が気に入らない子を無視するという“ブーム”が始まりました。光浦さんはできるだけ目立たないようにと、周りの友だちと同じような服を買うよう母に頼み込みますが、母はそれを買ってはくれませんでした。
そのとき、光浦さんは「ただでさえ可愛くて目立ってしまうのだから、せめて格好だけでは下々の人間と同じにしなきゃいけないのに!」と本気で思っていました。
自分は他の子と違って、清楚で、品があって、可愛い。他の子たちって……可哀相」と。(同前)
けれど、中3の祭りの夜、その思いは砕け散ります。
光浦さんの地元の祭では最終日に中学3年生にだけ特別なイベントがあったそうです。それは、広場に集まり男子が好きな女子を誘って踊るというものです。
彼女は、「正直、私のほうが勝ちだな」という女友達と一緒に「誰かが誘いに来るだろう」と立っていました。しかし、誰も誘いに来ません。挙句、一緒にいた女友達が先に誘われていきました。そして、時間が経ち女子の数もぐんと減った頃、1人の男子がヤケ気味で彼女の手を引っ張りました。その男子は、自分がずっと「ブサイク」だと半ばバカにしていた大久保さんのイトコでした。
「私の容姿は思うほど良くない」。光浦さんはそう確信したのです。(『傷なめクラブ』より)
光浦さんは『Q わたしの思考探究』という番組で「人を好きになってしまう片思いみたいなことはあるんですけど、互いに惹かれ合うなんて確率はものすごく低いんじゃないかと思ってしまう」と言っています。「自分が好きじゃない人から好きになられることはあるけど、自分がいいなと思う人から好きになられることは、ほとんどありませんでした」と。極端に言えば、「自分を好いてくる人を見ると『うわっ、気持ち悪い』と思ってしまう」のだと。
つまり「私は自分のルックスが嫌いなのに、『かわいいじゃん』と言われると、『この人、変態かも』」と思ってしまうということです。
それが「ブス」を自覚し、それを許せないままでいる人の十字架なのです。
きっとジャイ子もそんな哀しく残酷な十字架にいずれ苦しむときが来てしまうでしょう。


光浦さんは前述のコラムの中で『ドラえもん』という作品のある側面を「ジャイ子と結婚するという未来を、しずかちゃんと結婚するという未来へ書き換える、がこの漫画の軸といっても過言ではありません」と看破しています。確かに、セワシは、その目的のためにのび太の元へドラえもんを送り込みました。考えてみれば、ジャイ子に対してあまりにも残酷すぎる物語です。
このことについては、ブルボン小林さんも「漫画におけるブス」というコラム(『マンガホニャララ ロワイヤル』収録)の中で書いています。

記念すべき第一話で未来からやってきたドラえもんは、のび太少年の悲劇的将来を示してみせる。学校は落第、興した会社は火事で倒産とその不遇ぶりをみせつけるが、不幸の最たるものとしてページを多く割かれるのは結婚相手がジャイ子ってことだのび太が期待して唯一、自ら放った質問も結婚相手のことで、それを打ち砕く形でジャイ子の名は告げられる。(略)
ドラえもん』を大河漫画としてみたとき、のび太の最大の敵はジャイアンスネ夫ではなくジャイ子ということになる。

この残酷な設定を生かすため、ジャイ子は徹底して「ひどく」描かれます。

ジャイ子に対する作者の扱いはほぼ徹底してひどい。第一話から心底、嫌がられている。
造形も遠慮なくブスに描かれる。だいいち、名前(あだ名)がひどい。ひどくて、とても強い名だ。僕の小学生時代、クラスの女子への最大の蔑称がジャイ子だったが、同世代に聞けば、あちこちでそうだったらしい。

と、ブルボン小林さんが書いているような現象が起きたことが引き金となって、ジャイ子の本名は“不明”とされています。以前、「ジャイ子の本名が「不明」である理由」でも書きましたが、改めてアニメスタッフの一人、別紙壮一氏の証言を再掲します。

「(ジャイ子の)本名、何か作りましょう」と話をしたときにしばらく(藤子・F・不二雄)先生は考えられて
「やっぱりやめましょう」
「え? どうしてやめるんですか? 先生」と聞いたら先生は、
もし、名前を決めて、今それが、幼稚園、小学校に行ってる女の子の誰かと同じ名前の子がいたらきっといじめられるだろう。ジャイ子とお前、同じ名前だなあ、といじめられるだろう。それは可哀そうだから、やめましょう」って。

一方で「作中で彼女がたたえている不機嫌な表情と兄譲りの強気さ」は、「確固たるキャラクターを獲得」し、人気も出て行くのです。そして、ジャイ子が準主役となった短編映画『がんばれジャイアン』のポスターに彼女が「かわいらしく」描かれたことに対し「これまで築かれたジャイ子というイメージに対して愛がないやり方ではないか」と酷評した上でブルボン小林さんは言います。

読者は、ジャイ子がブスであることを額面通りに受け止めながら(結婚したくない!)、同時にそのブス性を愛していた(?)のだ。


光浦さんはコラム「『ドラえもん』で一番乙女な生きものへ」の終盤で、あるエピソードを引き合いに出し、しずかちゃん特有の正義感とポジティブシンキングと対比させる形で、ジャイ子の真の優しさを指摘します。「ブス」という十字架を背負いながら、『男子がもらって困るブローチ集 (Switch library)』などでも分かる通り、ジャイ子同様、乙女チックな美を愛している光浦さん。彼女ならではの繊細な視点で優しくジャイ子を見守っているのです。

ジャイ子ジャイアンの妹で本当によかった。

と最後にその理由を併せて綴り、祈りにも似た思いを込めて美しい文章を締めくくっています。
その思いは実際に『Fライフ 2号』を読んで*2お確かめください。

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*1:伊集院光の「欲しいひみつ道具は?」というインタビューも良かったです。それを欲しいと思わなくなった時は「そもそも自分には才能がなかった」と気づくときだろうっていうのが実に伊集院さんらしい視点でした。

*2:ハッキリ言って、この文章だけでこの本の価格分の価値はあります。というか、実際に僕はこのコラムを手元に置きたいというだけでこの本を買いました。