『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由
しつこいようですが、いよいよ明日『1989年のテレビっ子』が発売されます。
都市部の大型書店では既に書店に並んでいるようです。
1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記posted with amazlet at 16.02.16
繰り返しになりますが本書は「1989年」を中心(70年代の終わり~90年代のはじめ頃)としたテレビバラエティについて書いたものです。
といっても、どんなことが書いてあるのかイメージ出来ないかと思いますので、その一部を箇条書きにしてみたいと思います。
僕がこの本をイチ読者として読んで何か記事にするとしたらこんなタイトルにするなぁというイメージで。あえてネットニュース風に。
『オレたちひょうきん族』を終了させる決断を誰がくだしたのか。そしてその理由は何か
ビートたけしが「あいつには頭あがんねえよ」と語った“マンザイブームを作った男”とは誰か
『THE MANZAI』のほとんどが吉本芸人で占められていた理由とは
明石家さんまが「自分がキテる」と感じた意外な瞬間とは
『ビートたけしのオールナイトニッポン』はなぜツービートではなく、たけしひとりだったのか
『ひょうきん族』でディレクター陣を喜ばせた「一番良かった」システムとは
『ひょうきん族』の『全員集合』以外の意外な障壁
「女性アナウンサー」から「女子アナ」が生まれた瞬間
「マッチ、セットを壊しながら歌い続け、最後に死ぬ」という台本
「志村けん」という芸名にこめられた思いとは
萩本欽一が「コメディアン」以外に思い描いた職業
ほぼすべて“新ネタ”“アドリブ”コントだったコント55号。なぜそんなことができたのか
『ひょうきん族』の撮影法を可能にした技術革新
落ちこぼれテレビマンだった石田弘が一発逆転を果たした番組
とんねるず「カメラ破壊事件」の思わぬ影響
『みなさんのおかげです』は石橋貴明の“一番偉い人へ”の直談判から始まった
知られざるフジvsTBSの「東大・日大戦争」
いまだ果たされていない松本人志と大崎洋の“約束”
まったく同じ年にできた東西の若手芸人の聖地とは
なぜあのときダウンタウンは人目もはばからず「号泣」したのか
ダウンタウンでもウッチャンナンチャンでもない。『夢で逢えたら』のキーマンとは
ウッチャンナンチャン、ダウンタウンの“冬の時代”
東京芸人の真の“リーダー”とは誰か
全国放送に昇格した『夢で逢えたら』のテーマとはなんだったのか
瀕死の日本テレビバラエティを救った男
『ガキの使いやあらへんで!!』というタイトルの意外な由来
日テレ・土屋敏男とフジ・吉田正樹とのウッチャンナンチャンをめぐる因縁
明石家さんまの数少ない「低迷期」にはなにが起きていたのか
「日テレには出ない」と言っていたさんまの心を溶かした策略
フライデー事件によってもたらされた思わぬ副産物とは何か
「1989年」を契機にはじまった現在もテレビ界に続く“ブーム”とは
『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由
と、挙げていけばキリがないのでこれくらいにしておきますが、こんな感じのことがたっぷりと書かれています。
おそらくお笑いやテレビが好きな人は、ひとつひとつのことについては「知ってるよ、そんなこと」と思うかもしれません。が、この点と点が「線」につなげていき、さらに青春群像として「面」にしていくのその風景がまた違って見えてくるはずです。それが『1989年のテレビっ子』なのです!
そんなわけでぜひともお買い求めください!
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