『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由

しつこいようですが、いよいよ明日『1989年のテレビっ子』が発売されます。
都市部の大型書店では既に書店に並んでいるようです。

繰り返しになりますが本書は「1989年」を中心(70年代の終わり~90年代のはじめ頃)としたテレビバラエティについて書いたものです。
といっても、どんなことが書いてあるのかイメージ出来ないかと思いますので、その一部を箇条書きにしてみたいと思います。
僕がこの本をイチ読者として読んで何か記事にするとしたらこんなタイトルにするなぁというイメージで。あえてネットニュース風に。

オレたちひょうきん族』を終了させる決断を誰がくだしたのか。そしてその理由は何か
ビートたけしが「あいつには頭あがんねえよ」と語った“マンザイブームを作った男”とは誰か
「西の郷ひろみ」と言われた明石家さんまの大阪時代
B&Bの漫才を“パックった”島田紳助の戦略とその勝算とは何だったのか
花王名人劇場』は元祖『エンタの神様』だった? 澤田隆治が使った演出法とは
横澤彪を変えた出版業界の大物「ベストセラーづくりの神様」神吉晴夫との出会いとその言葉
THE MANZAI』のほとんどが吉本芸人で占められていた理由とは
明石家さんまが「自分がキテる」と感じた意外な瞬間とは
ビートたけしオールナイトニッポン』はなぜツービートではなく、たけしひとりだったのか
ひょうきん族』でディレクター陣を喜ばせた「一番良かった」システムとは
ひょうきん族』の『全員集合』以外の意外な障壁
「女性アナウンサー」から「女子アナ」が生まれた瞬間
「マッチ、セットを壊しながら歌い続け、最後に死ぬ」という台本
志村けん」という芸名にこめられた思いとは
志村けんドリフターズ“脱走”事件の真相
ビートたけしが「フランス座」に入った理由
萩本欽一が「コメディアン」以外に思い描いた職業
ほぼすべて“新ネタ”“アドリブ”コントだったコント55号。なぜそんなことができたのか
志村けんが“殺した”ドリフターズの笑いの形
ひょうきん族』の撮影法を可能にした技術革新
とんねるずが起こした『ザ・ベストテン』乱闘事件の真相
なぜ石橋貴明木梨憲武を選んだのか
とんねるず」の命名をした井原高忠とんねるずに果たしたもうひとつの大きな役割
「キミたち、つかこうへい好きでしょう?」秋元康とんねるずの出会い
落ちこぼれテレビマンだった石田弘が一発逆転を果たした番組
とんねるず「カメラ破壊事件」の思わぬ影響
オリコン初登場121位で「お祝い」をする秋元康の尖すぎるヒットの嗅覚
『みなさんのおかげです』は石橋貴明の“一番偉い人へ”の直談判から始まった
知られざるフジvsTBSの「東大・日大戦争」
“お嬢”“タカ”“ノリ”と呼び合うとんねるず美空ひばりの“友情”
ダウンタウンって誰やねん?」松本人志が自らツッコミを入れた日
島田紳助が初めて会ったNSC生時代のダウンタウンにかけた一言
松本人志浜田雅功をくっつけた“運命の壁”
いまだ果たされていない松本人志と大崎洋の“約束”
まったく同じ年にできた東西の若手芸人の聖地とは
なぜあのときダウンタウンは人目もはばからず「号泣」したのか
ダウンタウンでもウッチャンナンチャンでもない。『夢で逢えたら』のキーマンとは
東京芸人の真の“リーダー”とは誰か
全国放送に昇格した『夢で逢えたら』のテーマとはなんだったのか
瀕死の日本テレビバラエティを救った男
菅賢治土屋敏男ダウンタウンの衝撃的な出会い
ガキの使いやあらへんで!!』というタイトルの意外な由来
土屋敏男日本テレビが命じた『電波少年』ばりのムチャぶり
土屋敏男石橋貴明に渡した「名刺代わり」の一手
ダウンタウンのために浜田雅功高須光聖に頼んだこと
ダウンタウンが東京進出の際にくだした戦略とは何か
日テレ・土屋敏男とフジ・吉田正樹とのウッチャンナンチャンをめぐる因縁
明石家さんまの数少ない「低迷期」にはなにが起きていたのか
「日テレには出ない」と言っていたさんまの心を溶かした策略
テリー伊藤ビートたけしで撮りたい部分とは何か
ビートたけし松方弘樹に漏らした“本音”
フライデー事件によってもたらされた思わぬ副産物とは何か
「1989年」を契機にはじまった現在もテレビ界に続く“ブーム”とは
『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由


と、挙げていけばキリがないのでこれくらいにしておきますが、こんな感じのことがたっぷりと書かれています。
おそらくお笑いやテレビが好きな人は、ひとつひとつのことについては「知ってるよ、そんなこと」と思うかもしれません。が、この点と点が「線」につなげていき、さらに青春群像として「面」にしていくのその風景がまた違って見えてくるはずです。それが『1989年のテレビっ子』なのです!
そんなわけでぜひともお買い求めください!