田邊昭知を描いた“珍品”「実名小説・一匹狼は行く」

9月20日発売の『芸能界誕生』(新潮新書)を書くにあたって、膨大な資料を集めて読んだのですが、そんな中から以前の記事に続き、特に面白かった、変わったものを紹介してきたいと思います。
2本目は、田辺エージェンシー田邊昭知氏にかんする記事。

男同士で話し合おうぜ

田邊昭知はご存じのとおり元々は「ザ・スパーダース」などのドラマー。プレイヤーでした。従って表側に出る人。
ただ、バンドの中では一番後方に座るドラム。通常では目立つ存在ではありません。
しかし、田邊昭知は当時の雑誌記事でも「下手な歌手より人気」と書かれているとおり、とても人気がありました(ドラマーの人気投票では常に1位)。
だから、主婦と生活社の『ティーンルック』という週刊誌では、「男同士で話し合おうぜ」という対談連載も持っていました。
ゲストは、ブルー・コメッツの三原綱木ザ・ワイルドワンズ植田芳暁、同じ事務所の後輩だったザ・テンプターズの「ショーケン萩原健一ザ・スパイダースの同僚・井上順、そしてザ・タイガース沢田研二など豪華布陣。GSのスターたちが並んでいます。

ティーンルック』「田辺昭知対談 第4回 沢田研二」(1968年11月22日)

ジュリーに向かって「オレ、きみのファンなんだぜ」と語りかけ、終始、ジュリーが照れくさそうにしている対談も興味深い(ちなみに『芸能界誕生』でも書いているとおり、元々、沢田らタイガース=当時・ファニーズの面々はスパイダースの大ファンでライブに通っており、田邊が最初に立ち上げたスパイダクションにスカウトしようとしていたが、渡辺プロに先を越された)ですが、今回、紹介するのは、その田邊昭知を題材にした「小説」。

一匹狼は行く

なんと、田邊昭知を主人公にした「実名小説」なる、なかなか見たことのないものがありました。

『ジュニア文芸』泉健太郎:著「一匹狼は行く」(1968年1月)

それは『ジュニア文芸』という雑誌に掲載された一遍。「実名小説特集・1 小説・田辺昭知 努力で栄光をつかんだグループ・サウンズの王者」と銘打たれ「一匹狼は行く」というタイトルで泉健太郎という方が書いています。
『ジュニア文芸』は、小学館の少女向け月刊誌『女学生の友』から派生した季刊『別冊女学生の友』が改称した文芸誌。この雑誌でこの「実名小説」シリーズで赤木圭一郎なども題材になっています。

物語は田辺がステージ上でドラムを叩いているところから始まる。

(これはおれのつくったサウンドだ。日本にグループ・サウンズの道を開いたのは、このおれだ)

と、胸がいっぱいになっている。

ふと、一つの顔が客席に浮かび上がった。昭知はその顔をはっきりと見た。(略)そんなはずはない。

そこから、塩原由紀という名の少女との中学1年生のときの出会いの話へと展開していく。
さらに、昭知は自分の複雑な出生(タモリ並みに数奇な生い立ち。これは他の雑誌で自らの手記で書いてある内容に近いのでほぼ事実だろう。それを知る経緯は脚色されていそうだが)を知り、昭知は変わっていく。

(早く金をもうけ、有名になって、堂々とじぶんを主張できるようになりたい)

昭知は早く自立したいと思うようになり、由紀や幼なじみの明子に相談する。

「ここに、金もバックも学歴もない人間がいたとしてさ、そいつがデッカイことをやって成功するには、どんな方法があるだろう?」
「まず成功の望みなしだわね」
明子がからかうようにいった。
「ただ一つ、芸能界なら望みなきにしもあらず、ね。ただし、スターになれるのは千に一つのチャンスをつかまなければだめだけど」
「やっぱり芸能界しかないだろうな。芸能界だったら、何か可能性がありそうだものな。人生はカケだ。イチかバチか、いっちょう、やったるか」

そんな風にバンドボーイになったと描かれているが、これはもちろん脚色だろう(『芸能界誕生』では本人の証言によるバンドボーイになるまでの経緯を記載している)。バンドボーイの過酷な生活を続けながら、久々に由紀と再会すると、“不良の巣窟”ジャズ喫茶に入り浸り雰囲気の変わった昭知に由紀は後ずさりする。

「どうしたんだよ、おれがこわいのか」
「……」

それでも付き合うようになった2人。
しかし、いよいよ本気で“売れる”ための道を邁進しようというときに昭知は由紀との別れを決意する。
一流のミュージシャンになるためには「恋は邪魔」だと。

「あなたは強い人だわ。でも、あなたは心の底では寂しがり屋なのよ。一匹狼みたいに、やりたいことをやってるけど、ほんとうはあたたかいものを求めている寂しがり屋なんだわ。でもそれに負けては、あなたの目的は達成されないのね。だから私を切り捨てるってわけね」

そうして昭知は大スターになっていく――という虚実入り乱れた物語。

ドラムを始める経緯など明らかな事実との違いもあり、残念ながらノンフィクションを書くときの「資料」としては使えなかったけれど、読み物として、いま読むとなかなか味わい深い記事でした。