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「リ、リアルプロレス、、、知ってるか?」(美濃輪育久)

ジャンクスポーツ」に美濃輪育久が登場!
期待通りの活躍で浜田雅功らをヘブンしてくれていた。
では、彼はいかにしてヘブンにたどり着いたのか、その軌跡を追ってみよう。


子供の頃はプロレスに親しみ「キン肉マン」に強い憧れを持つ。
キン肉マン」ファンの例に漏れず、「キン消し」をコレクションしていた彼は
ある日、「ひょっとして」と思い立ちキン肉マンの素顔を
知りたくて、消しゴムの顔(マスク)をナイフで削った
また「プロレススーパースター列伝」にも影響を受け
腕を柱にぶつけて鍛えたり、柱にヘッドバットして額を鍛えたりしていた。
プロレスラーになるために学校の授業、部活全てがそれを意識してやってた。
マラソン大会も「この試合はプロレスラーになるための練習なんだ」と思っていた。


成人するとかねてより憧れていたパンクラスへの入門を決意。
96年、第6回パンクラス入門テストを受験する。
合格レベルの成績だったが、当時弟子が多すぎて、入る部屋がなかったため不合格に。
帰りの新幹線で同席したリング職人*1諸岡秀克の誘いで
諸岡主宰の愛知県岡崎市の誠ジムへ入門。
諸岡氏の工場で働きながら、工場脇のリングで練習をしていた。
が、工場は隣にあるのに、なぜか美濃輪は毎日のように遅刻


97年7月、誠ジム所属で、第3回ネオ・ブラッド・トーナメントに出場*2
準決勝で敗れるも、試合内容が評価され翌月、パンクラス東京道場に入門する。
99年、山崎戦頃から頭角を現し、00〜01年頃がパンクラスにおける美濃輪の全盛だった。
翌02年、連敗を重ねると体重差や試合スタイルからくるスタミナ切れがとりざたされ*3
階級を下げることを促されるも、拒否。
この頃、何で自分ばかり疲労困憊になるんだろう?と疑問に思い他の選手の試合を観察。
「あっ、みんなあんま動いてないじゃん!」*4と初めて気付く。


03年5月、パンクラスを離れて単身海外修行へ。
「心の鎖国・脱藩するなら今しかねえ!!」*5とブラジル、タイ、韓国などに放浪。
03年大晦日「男祭り」にてPRIDEデビュー。
04年5月、ハイアン・グレイシー戦では、無意味に相手をコーナーに押し込んだり
(これを「ミレニアム・コーナー」と自ら命名)、殴りながら
「ヴぁー!!俺はプロレスラーだぁ!!」と叫んだりして相手を引かせる。
この試合により、美濃輪=バカという方程式が広く格闘技界に拡がった。
勝利の後は、拳を突き上げファンとともに「オイ!オイ!オイ!」と掛け声をかけ合う。
ちなみにこれは「S.R.F.8回」と本人が命名
「スタンディング・リアル・フィスト8回」の略だが、エイトじゃなく8回なのは
「日本人だから」!(キッパリ) 
しかも拳を突き上げる回数も8回じゃなくても「S.R.F.8回」。
                              ヘブン。<参考リンク>
公認公式サイト 「BEAUTIFUL DARK RING!」
This is 美濃輪ールド!!「美濃輪育久語録」
見えない道場本舗(id:gryphon)


ジャンクスポーツ」で取り上げられていた「特訓」の記事はこちら
  http://www.nikkansports.com/ns/battle/p-bt-tp0-050712-0002.html

*1:パンクラス・PRIDE等のリングを制作。現在美濃輪のマネージャーも勤めている

*2:当時、パンクラス所属以外の日本人の出場は異例だった

*3:今と全く変わってない

*4:総合格闘技の場合、普通仕掛けるときは展開があるが、それ以外のときは様子を窺う

*5:意味不明