「嫌なんだ、こんな負けばかりの人生…」若林正恭のクーデター

10月18日深夜に放送された『オードリーのオールナイトニッポン』。
ここ最近、プロレス観戦にハマっている若林正恭
その流れもあって、スポーツ観戦熱が高まったそうで、先輩芸人であるTAIGAと野球観戦にたびたび行くようになったそうです。若林は子供の頃から親の影響で阪神タイガースファン。
今年は、阪神がまさかの展開でクライマックスシリーズを勝ち進み、日本シリーズに進出したこともあって、若林のフリートークコーナーでは野球の話が何週か続いていました。

野球の話なんですけど、阪神タイガースが9年ぶりに日本シリーズに進出したということで。
私、春日さんの西武ファンほどではないんですけど、ウチの親父が熱狂的な阪神ファンで、子供の頃はオヤジと一緒にお風呂入ると、阪神の打順を1番から9番まで言わないと出れないっていう。3番バース、4番掛布……って汗だくで。

と、子供の頃の思い出話を少しした後、初めて甲子園球場日本シリーズを生観戦したという話を熱っぽく話していました。
http://www.allnightnippon.com/kw/?line=1
15分近くにわたって饒舌に語ったあと、話は急展開します。

若林: でさあ、ちょっと話は戻るんだけど、1990年に。
春日: だいぶ戻るね!(笑) 昨日今日じゃなくて!?

“本題”らしき話を長々した後で、いきなり「ちょっと話は戻るんだけど」と言って、20年以上前の話を、本当の“本題”としてし始める話の進め方も見事ですが、その“本題”も実に若林らしいものだったので書き起こしたいと思います。

親父との話、俺が小6の頃の。
85年のタイガース優勝が小学校1年生でした。で、86年、87年、88年と阪神は低迷していくんですよ。
で、私の小学校・明石小は生徒の数が60人。少年野球チームも60人くらい、いろんな学校から集まったチームで。その中で阪神ファンっていうのは僕と西村くん、二人しかいなかったわけですよ。(他の人たちは)巨人ファンなんですよ、東京の下町だから。でね、巨人ファンの人たちに毎年阪神弱いなってバカにされて、6位、6位、6位って。
俺は小6のときに遂にね、阪神以外、巨人の選手のことを出そうもんなら親父が怒ってくる、そんな家庭でクーデターを起こしたんです。
こんな弱いチーム嫌だ、クラスメートにバカにされるの嫌だ」って近鉄ファンになってやろうって。

万年最下位でバカにされて嫌になって近鉄ファンに。
ここで巨人ファンとかに行かないところがまた若林らしい。

ブライアントがいて、野茂が入団した年ですよ。俺はひとりで近鉄デパートまで行って、近鉄の帽子とメガホンを自分のお小遣いで買って、親父にクーデターですよ!
「こんな弱いチームを応援するのは嫌だ」
俺はメガホンとキャップを姉ちゃんと一緒の自分の部屋に飾ったわけです。
それを見て親父がね、「おい、正恭。お前これとんでもないことしてるんだぞ!」って(笑)。
お前、自分がなにしてるか解ってるんだな?
俺は解ってる。もうみんなに馬鹿にされるのは嫌なんだ、チケットを取った。近鉄を応援しに行く
で、親父がね、「分かった、俺も一緒についていく」って。
日ハムvs近鉄をドームに観に行ったんですよ。

1990年4月25日。東京ドームで行われた近鉄vs日本ハム戦。
名将・仰木彬監督率いる当時の近鉄は、ブライアント、トレーバーを擁する猛牛打線が売り。
対する日本ハムは開幕以来2連勝と好調な柴田保光が先発。エース西崎幸広と並び投手陣を支える技巧派だ。
この試合は、若林が想像していたものとはまったく違う展開になってしまう。

俺はね、弱い阪神は嫌なんだ。強い近鉄ファンになるんだって。
初めて近鉄を間近で見る試合の相手の日ハムのピッチャーがノーヒットノーランをやったんですよ。
近鉄のヒットを一本も見ないまま水道橋駅から渋谷で井の頭線乗り換えて、久我山に帰るわけですよ。俺、水道橋から久我山駅まで一言も会話しなかったですよ。悔しくて!悔しくて!
こんっな、負けばっかりの人生なのか!」って。
でね、俺は久我山から家への帰り道、あまりにも寂しくなって泣いちゃったんですよ(苦笑)。
「正恭、なんで泣いてるんだ」って親父が言ったんですよ。
嫌なんだ、こんな負けばかりの人生…」って言って。
「正恭、お前は阪神ファンに戻れ」と。「俺たちは、阪神ファンでいて、勝つっていうのはホントに難しいんだっていうのを学ぶんだよ」って(笑)。
「分かった、俺、阪神ファンに戻る」って部屋に帰って近鉄のメガホンと帽子捨てたんですよ。