読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たこ八郎「巷に雨が降るごとく我が心にも雨が降る」

ひと ブログ


「R30」*1の今月のマンスリー企画は「芸人列伝〜笑いに命を賭けた男達〜」。

人を喜ばすことに命をかけ
笑いを生み出すために
人知れず努力を積む
そんな笑いの魅力にとりつかれた男達がいた。


芸の裏には本音、失意などが埋めき
なかには笑いを追い求めた末に
非業の死を遂げ
遂に伝説になった男も…。


果たして波乱に満ちた笑と悲しみの人生とは?

と、銘打たれたこの企画、第1回目は「たこ八郎」だった。
人気絶頂期に泥酔し海で真鶴海岸で溺死(享年44)。
「たこが溺れ死んだ」「たこが海に還った」などと、その死すらも笑へ昇華させてみせた、たこ八郎とは一体どんな人生を歩んできたのか?
番組で紹介されたエピソードを中心にネットで拾った情報で補完しつつ振り返ってみたい。


・小学生の頃、弁当を持ってこられない生活の苦しい友達のため米に不自由しない農家の息子である清作は、「弁当のない子にわけてあげよう」と母親に弁当を余分に作ってもらい学校へ。でも「弁当のない子は何十人もいる。このままでは足りない。わけてもらえない子が出たらもっとかわいそう」と悩んだ末、そのまま学校を休んでしまった
・小学生のたこ八郎は友達とどろんこ遊びの最中泥が目に入ってしまう。
そのまま治療せず放って置いた結果、左目の視力をほぼ失うことに。
・芸人デビュー前はプロボクサーとして活躍*2
左目の視力のないハンデを乗り越えるため彼が考えたのは「ノーガード戦法」
両手をだらりとぶら下げ顔面すきだらけで相手に打たせまくり疲れたところを反撃していった*3
・20歳で日本フライ級チャンピオンになった*4彼は迷わずず同郷宮城県出身由利徹に弟子入りを願い出る。「チャンピオンは弟子に取れない」と拒否されるも連日彼の元に足を運び再三に渡り懇願し由利徹が根負けし晴れて芸人の世界に入っていくことに。
・由利が飲み屋で客に馬鹿にされて暴力事件を起こし、留置場で3日間過ごすことに。その時、たこ八郎は寒空の下、3日間警察署の前で待っていた
・ボクシングの後遺症が残り、言語障害、健忘症、夜尿症に悩まされる
・28歳の時、新宿百人町で酔っ払いと喧嘩。耳をかじられ、右耳の一部を損傷
真ん中あたりが欠けた右耳の奇妙な容姿から「妖怪」と呼ばれることも。
・その突拍子もない言動から「放送禁止人間」と言われるようになる。
「たこの存在そのものが放送コードに触れる」そんな投書が番組に相次いだという。
たこはディレクターに「馬鹿じゃないことを証明するためにちょこっと利口そうな部分を出してくれ」といわれ「俺がテレビでやっていること演技だと思わない人もいるなんて」と嘆きつつも「巷に雨が降るごとく我が心にも雨が降る」とベルレーヌの詩をすらすらと暗唱。投書がピタリとこなくなったという。
・彼の死後、友人達がたこ八郎の死を悼み*5地蔵を作った。
そこに刻まれている文字は彼の座右の銘「迷惑かけてありがとう」


たこ八郎が、酒場のカウンターで酒を飲みながら記したメモの中にこんな一節があるという。

  バカでも自然から学ぶことができる。
  宇宙に対して質問したい。
  君はだれだ?

*1:国分太一、井ノ原快彦がMCを務めるトークバラエティ。この番組をただのジャニーズバラエティだと思って見逃していたらもの凄く勿体無い。公式ページhttp://www.tbs.co.jp/r30/のバックナンバーをいくつか見るだけで後悔することでしょう。

*2:「河童の清作」とよばれていた。同期にはファイティング原田がいた。

*3:ファイターぶりが漫画あしたのジョー」のモデルになったとも言われている

*4:パンチドランカーにもなってしまっていた

*5:弔問に訪れたたけし「みんなが集まってくれるというタレントで終わったことは同じ芸人としては非常に羨ましい」と声を震わせ、タモリは「たこが海で死んだ。何にも悲しい事はない」と語った。