気になる本

日経エンタテインメント ! 2011年 10月号』

すっかり紹介が遅れましたが、「もとからコンビでやってきているのに、休養前は、一人でやっているような感覚があって(岡村)」などと赤裸々で濃厚なナインティナインのインタビューが必読です。彼らの“あの時”の心境が胸に迫ってきます。
あと、満島ひかりのインタビューなどもあります。

『モテ記 〜映画『モテキ』監督日記』(大根仁

モテ記 〜映画『モテキ』監督日記〜
大根 仁
扶桑社
売り上げランキング: 1840

あの伊丹十三の『「マルサの女」日記』に倣って書かれたという( http://www.tbsradio.jp/dig/2011/09/digtag-218.html )、『モテキ』撮影日記。

●大根監督による直筆撮影日記「モテ記」(準備篇&撮影篇)
●大根監督、川村元気プロデューサー、露木友規枝による「モテキ座談会(脚本地獄編)」
●大根監督、森山未來長澤まさみによる「モテキ座談会(撮影天国編)」
●シナリオ決定稿の転載
久保ミツロウ作「本編でカットされた幻のネーム集」

『伊藤Pのモヤモヤ仕事術』(伊藤隆行)

伊藤Pのモヤモヤ仕事術
伊藤 隆行
集英社 (2011-09-16)
売り上げランキング: 284

言わずと知れた『モヤモヤさまぁ~ず2』『やりすぎコージー』を手がけた伊藤プロデューサー初の著書。
さらにさまぁ~ずや大江麻理子アナ、大橋未歩アナなどの寄稿も。

『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(柳澤健

あのプロレス・格闘技ノンフィクションの金字塔『1976年のアントニオ猪木』の著者柳澤健による女子プロレスノンフィクション。

日本中を興奮の坩堝にまきこんだ長与千種ライオネス飛鳥。そして彼女らに涙した全ての少女たち。あのときとそれから。真実の物語。


あのとき少女だった
あのときを共に生きた


長与千種ライオネス飛鳥、そして彼女らに涙した全ての少女たち、その25年間の物語


もっと強くもっと自由に!
1985年8月28日、巨大な大阪城ホールを満員にしたのは、十代の少女たちだった。
少女たちの祈るような瞳がリング上の一点に注がれる。
二人は、私たちの苦しみを背負って闘っている。
あの二人のように、もっと強くもっと自由になりたい。
長与千種ライオネス飛鳥と、そして二人に熱狂した少女たちのあのときそれから、真実の物語


1985年のあの日、私はリングを一心に見つめる少女の一人だった。
「読み進めていくうちに体が熱くなり、読後も2時間ほど短パン姿になって、冷たい体を横たえなければならないほどだった。」(小説家・樋口毅宏


「面白すぎる。女子プロファンでもない私だが、途中で読むのを中断するのは不可能」(ノンフィクション作家・生島淳


「やはり面白い。これはもっと長く書きたいのだろう」(水道橋博士


雑誌「ロール読物」に元型となる100枚のルポが掲載されるやいなや熱く語られた「クラッシュ・ギャルズとその時代」を描いたノンフィクション300枚を加筆のうえ、堂々の単行本化!

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也

こちらも骨太プロレス・格闘技ノンフィクション。『ゴング格闘技』誌上において、2008年から2011年まで、約4年間にわたって書かれた大河巨編。とにかくゾクゾクしっぱなしの逸話の数々。

昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!