内村光良が子どもだった頃

いよいよ、明日6月3日に『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』が発売されます!
これは、以前お伝えしたとおり、「水道橋博士のメルマ旬報」に掲載されている連載「芸人ミステリーズ」をまとめた『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』に続く第2弾です。

改めてそのラインナップを紹介すると以下のとおりです。

序章 内村光良「怒り。」前編(書き下ろし)
一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
三章 タモリ少年期
四章 中居正広SMAPの時計
五章 早見あかりももクロの背中
六章 博多華丸・大吉の“来世”
七章 レイザーラモンの人生すごろく
八章 キャイ~ンが泣いた日
終章 内村光良「怒り。」後編(書き下ろし)

というわけで、書き下ろしのテーマはウッチャンです!
もちろん、他の各章に比べ、数倍のボリュームで、詳細に内村光良の芸人人生を振り返っています。
このような、誰かをテーマに長めの原稿を書く際、僕はたいていその人の簡単な「年表」を作成します。
そこで今回は、その年表のうち、内村光良が子どもだった頃、つまりプロデビューするまでの年表を紹介したいと思います。

内村光良年表(1964年~1986年)

誕生

・1964年7月22日、誕生。

幼稚園

・笑いを取る快感を覚える。 
・目立つことが好きでお遊戯会で王子様役
・5歳 初めて女の子「ナオコちゃん」にラブレターを書くが、渡せなかった。

小学校

・1970年、あさぎり町立免田小学校に入学。
・“神童”と呼ばれる。勉強ができ、運動神経万能、学芸会でもいつも主役。
・3年の二学期のとき、人吉市立西瀬小学校に転校。
・3年のとき、成績がオール5
・3年か4年の頃、「日吉丸」を読んで感銘を受けクラス会で人形劇「豊臣秀吉物語」を上演
・クラスの発表会や遠足などチャンスを見つけては、『全員集合』やコント55号などありとあらゆるバラエティ番組のコピーをしていた。欽ちゃんの番組にネタはがきを送ってもいた。
・4年のころ、父親の勧めで剣道を始める。個人戦では3位が最高。団体戦ではチームの副将を務める。
ソフトボール部にも入部。「1番・センター」で市大会準優勝。
・水泳部にも入部。わずか2ヶ月の練習でバタフライの市の予選を突破。県大会に出場し8位に。
・水彩画を描いて入選
・6年生 児童会長を務める。

中学校

・1977年、人吉市立第二中学校入学。
・野球部に入部。セカンドを守っているときは全試合ノーエラーだったがサードにコンバートされると暴投エラーを繰り返す。
・いちばんモテた時期。学校で3~4番手くらいにはモテた。が、2年のとき、好きになった女の子「ジュンコちゃん」に手紙で告白。3年のとき直接告白するも失恋。
・1年のとき、テレビで映画『街の灯』を観て号泣。映画に目覚める。
・2年のとき、映画館に『ロッキー』を観に行き、映画監督を志す。
・2年のとき、文化祭のクラス劇で脚本・演出・主演を務め、チャップリンの『キッド』をモチーフにした作品を上演
・3年のとき、同じく文化祭のクラス劇で映画『自転車泥棒』をモチーフにした劇を上演。     

高校

・1980年、熊本県立人吉高等学校入学。
・映画同好会に入会。
・夏休み・冬休みには実家の酒屋でバイトして、編集機材などを買い揃える。
・1年のとき、自主映画『飛んでやる』を制作、上映
・2年のとき、自主映画『戦争愛してます』を制作、上映
・3年のとき、自主映画『男物語』を制作、上映
・2年のとき、付き合い始めた彼女と春休みに映画『伊豆の踊り子』を観た後、ファーストキス。3年の秋に別れる。

専門学校

・1983年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。
・既に上京していた「あんちゃん」こと従兄弟の内村宏幸東白楽駅前のアパートで同居。2駅先にある学校まで走って通った
・入学初日、出川哲朗に話しかけられる
・5月 農村実習のとき、南原清隆と話す仲になる。
出川哲朗らと「ぴあフィルム・フェスティバル」に応募するが、一次審査で敗退
・2年 『大熱狂・港だ!祭りだ!横浜どんたく!!』(テレ東)に素人として出演
・2年 漫才の授業で南原清隆とコンビを結成結成当時のコンビ名は「おあずけブラザーズ」
・漫才の特別発表会でコント「素晴らしきイングリッシュの世界」を発表内海好江に絶賛される。
内海好江の勧めで渋谷・円山町の「見番寄席」に出演。
・同じく内海好江の薦めで『お笑いスター誕生!!』のオーディションに参加。ここでダウンタウンを“目撃”
卒業公演「横須賀物語」で南原とともに「ナイトクラブの漫才師」役。エンディングのダンスシーンで真ん中に立ち止まったまま号泣

プロデビュー

●1985年
・5月11日~ 『お笑いスター誕生!!』第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年7月27日)出場。準優勝
・10月12日~ 『お笑いスター誕生!!』第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年1月18日)出場。第4位(敢闘賞)
・10月~ 『オールナイトフジ』にレギュラーとして出演(~86年4月)。
●1986年
・4月19日 『お笑いスター誕生!!』第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年7月5日)出場。3度目の挑戦で優勝。直後、番組終了。

この年表を見れば、内村光良は子どもだった頃からずっと「作品作り」への並々ならぬ情熱を持ち続けていたことが分かります。
コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』の書き下ろし「内村光良『怒り。』」では、そんなウッチャンの作品作りへの感動的なまでの強いこだわりについても詳しく書きました。
是非、ご一読ください!

あの頃みんなトガッてた。「お笑い第4世代」の青春時代

4月4日に放送された『もしもツアーズ』の特番では、『めちゃイケ』のメンバーが出演。『もしツアめちゃイケがやってきたから富士山で日本一のBBQやっちゃうぞSP』と題してコラボ企画が行われた。
番組終盤には、その中から、ほぼ同期であるキャイ~ン(1991年結成)、ナインティナインよゐこ(1990年結成)、極楽とんぼ(1989年結成)が集まり、ずんの飯尾、ホンジャマカ石塚とともに若手時代のエピソードを語り合っていた。いわゆる「第4世代」と呼ばれていた彼らの“青春時代”の葛藤が明かされた。

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若林正恭と山里亮太の“ナナメの夜明け”

1月31日の『ミレニアムズ』は「カスママ」の店に来店したゲスト・柳原可奈子が、「絶対あいつら卑屈疲れしてると思う」とシュートな発言をしたことから、とても刺激的な放送となりました。
この回は、『ミレニアムズ』のひとつの分岐点になるんじゃないかと思い、日刊サイゾーの連載コラムにも書きました。

柳原の一言に南キャン山里大慌て - 日刊サイゾー


というわけで、ブログの方には、柳原とミレニアムズのメンバーとのトークを書き起こしてみたいと思います。
なお、コーナーの設定は、春日扮するカスママの店にお客さんとして柳原可奈子が訪れたというものです。その常連客が『ミレニアムズ』の番組ADの“3人娘”にゃんちゅう(山里)、なべこ(若林)、オーサワ(村本)。書き起こしはわかりやすく役名ではなく本人の名前で記しています。

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西加奈子という救い

1月15日、西加奈子が『サラバ!』で第152回の直木賞を受賞したことが発表されました。

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西加奈子といえば又吉直樹若林正恭光浦靖子といったお笑い芸人にもファンが多いことで知られています。
またテレビなどで見ると、たとえ小説を読んだことがなくても、その愛らしい人となりと語り口で一発でファンになってしまう魅力がある人です。
最近も、『SWITCHインタビュー達人達』で椎名林檎と対談し、その魅力を発散させていました。(こちらは、2月7日に直木賞受賞記念ということで再放送されるそうなので未見の方は是非!)
直木賞受賞直後の1月17日には「人生で一番チヤホヤされてます」と愛らしい笑顔で『王様のブランチ』に出演。

西: 猫と一緒に住んでて猫がいてくれることが凄くいい。リラックスもするし、何か厳しい目で見てる感じもするし(笑)。時々めっちゃ見てるんですよ、パソコンの画面。そういうのが凄く助かります。作家と猫は相性いいと思います。

と猫好きエピソードを披露しつつ、最後に祈りを込めた言葉で締めくくっています。

西: 『サラバ!』ももちろん読んでいただきたいんですけど、素晴らしい小説はいくらでもあって本屋さんにいけば絶対に大切な一冊に出会えると思うんで、どうかみなさん本屋さんに行って本を買ってください

ということで、『SWITCH』以外のここ最近のテレビ出演や雑誌などでの芸人との対談などを振り返ってみたいと思います。

絶望するな。僕達には西加奈子がいる。

ダ・ヴィンチ(2014年12月号)』の又吉直樹西加奈子の対談によると、二人の出会いは、2009年の「太宰ナイト」だったそうです。
それ以前から又吉は西の小説の読者でした。きっかけは又吉が『夕暮れひとりぼっち』*1という短編小説を書いたとき。その編集者から薦められたのです。

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又吉:「西さんのこと好きそうですね」って言われたんです。共通するところがあるって。で、読んだら、全然レベルちゃうわって。
西: いやいや。又吉さんのその短編『夕暮れひとりぼっち』、めちゃくちゃおもしろかった。知れば知るほど「こんなすごい人おんのや!」と。

いまや『文學界(2015年2月号)』に書いた中編純文学小説「火花」で大きな注目を浴びた又吉ですが、既にこの時からその片鱗を見せていたのです。

西は『炎上する君』を刊行すると、まだほとんどライブにしか出ていない、いわゆる“売れない若手芸人”だった又吉に帯文の執筆を依頼したのです。

又吉: もったいなくて「僕はブログに書きますから、帯はほかの方に頼んでください」みたいなお返事をしたら、「知名度とか関係ないねん」って。めっちゃ嬉しかった。
西: 「読者としての僕を満足させながら、芸人としての僕を不安にさせる」という言葉をいただいて。本当に嬉しかった。

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そして、その『炎上する君』が文庫化した際、又吉は解説を書いています。ちなみに『舞台』はこの解説文に触発されて書かれたそうです。

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また又吉は文庫化に際して解説と併せ、以前の帯文を改めています。それがこの言葉です。

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所ジョージの金言集 2014

2014年、所ジョージは例年以上にアグレッシブだった印象があります。
もちろん確固たるレギュラー番組があり、いずれも盤石。
それ以外に今年は、僕が見ただけでも4月2日の『ホンマでっか!?TV』を皮切りに、4月12日の『SWITCHインタビュー達人達』、10月8日の『ナカイの窓』、10月17日の『A-Studio』、10月30日の『櫻井有吉アブナイ夜会』、11月1日の『サワコの朝』、12月6日の『渡辺篤史の建もの探訪』、そして12月に数週にわたって放送された『ももクロchan』、さらにラジオでも8月27日の『大谷ノブ彦 キキマス』と数多くの番組にゲスト出演していました。

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『A-Studio』で笑福亭鶴瓶は、以下のように所ジョージを評しています。

アレ(所ジョージ)は「別モン」やね。「芸能人」とか、それから「タレント」とか「ミュージシャン」とかいうより「別モン」。アレはもう別モンです。こんなとこで語るのも何かおこがましい様な別モンですよね。不思議な男ですよ。だから、芸能人とか何とかじゃなく、「人生をホントに有意義に生きてる人」でしょうね。

そんな所ジョージがそれぞれの番組にゲスト出演した際は、やはり金言まみれ。それらの金言をひたすらまとめてみました。(当然、ほぼ同じ内容のものを別の番組でも語っていたりしてますがあえて重複を気にせず引用しています。)

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「嫌なんだ、こんな負けばかりの人生…」若林正恭のクーデター

10月18日深夜に放送された『オードリーのオールナイトニッポン』。
ここ最近、プロレス観戦にハマっている若林正恭
その流れもあって、スポーツ観戦熱が高まったそうで、先輩芸人であるTAIGAと野球観戦にたびたび行くようになったそうです。若林は子供の頃から親の影響で阪神タイガースファン。
今年は、阪神がまさかの展開でクライマックスシリーズを勝ち進み、日本シリーズに進出したこともあって、若林のフリートークコーナーでは野球の話が何週か続いていました。

野球の話なんですけど、阪神タイガースが9年ぶりに日本シリーズに進出したということで。
私、春日さんの西武ファンほどではないんですけど、ウチの親父が熱狂的な阪神ファンで、子供の頃はオヤジと一緒にお風呂入ると、阪神の打順を1番から9番まで言わないと出れないっていう。3番バース、4番掛布……って汗だくで。

と、子供の頃の思い出話を少しした後、初めて甲子園球場日本シリーズを生観戦したという話を熱っぽく話していました。
http://www.allnightnippon.com/kw/?line=1
15分近くにわたって饒舌に語ったあと、話は急展開します。

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タモリの生きる“コツ”

10月27日早朝(26日深夜)に放送されたNHKラジオ『ラジオ深夜便』「萩本欽一の人間塾」第7回のゲストはタモリでした。
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/shinnendo/chumoku22.jpg
萩本欽一タモリというなかなか見る(聴く)ことができない組み合わせ。この二人の接点というと、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(14/2/14)に出演した際、突然タモリが欽ちゃんの家を訪ねてきて驚いたという話をしています*1
ちなみに「大タモリ年表」では以下のように書きました。

▼1979年10月6日、『欽ちゃんのドンとやってみよう』(フジテレビ)にゲスト出演。
この頃、タモリは放送作家の大岩賞介に誘われて、萩本欽一パジャマ党の作家たちと仕事をしていた家に突然訪れている。タモリは萩本もいるとは知らなかったというが、突然の訪問に驚きつつも迎え入れた萩本や作家を前に数時間にわたり持ちギャグを繰り広げ、作家たちを笑わせ続けた。若い作家たちがタモリを絶賛し続けるのを聞いて萩本は「俺、あれからタモリが嫌いになったんだ(笑)」

今回もそんなエピソードを交えつつ、月曜の早朝に放送するのはあまりにももったいない話をしていました。

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