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三谷少年期


映画「ザ・マジックアワー」のプロモーションで、怒涛の「三谷幸喜祭り」の様相を呈していた、ここ数週間のテレビ*1、雑誌界。
テレビに出るために、映画を作っている」と清水ミチコに言わしめたように、鼻で笛を吹いたり、鼻にワサビをつめられたり、全身タイツを身にまとってみたり、絶叫に似た「ロマンスの神様」の歌声を披露したりと大活躍*2
そんな中で、個人的に面白いなと思ったのは、彼の少年時代からデビューまでの話だ。明日放送の「古畑中学生」では古畑任三郎の少年時代が明かされるようだが、この三谷祭り*3の中で明かされた三谷幸喜の少年時代をピックアップしてみたい。


裕福な家庭に育ち、母親らから溺愛され「笑わせたいというのと驚かせたいというのが、自分の中では一緒」という自身の言葉どおり、イタズラ好きで自由奔放な少年だった三谷。

・人が凄い混んでる道を歩くとき、自転車のベルをポケットに忍ばせ、チリンチリンと鳴らし、「モーゼの十戒」のように人が避けさせるイタズラをしていた。
・職員室に行き「先生!」と呼んで、みんなを一斉に振り返させた。
・駅のホームで、朝のラッシュ時に「お父さん!」と叫び、一斉にサラリーマンを振り返させた。
・一番前の席になった際、テストで先生から答案用紙を渡され後ろの席に回す時に、違うテスト問題を事前に作ってそれを回した
・「クイズタイムショック」を見るときは、回答者が高い位置で答えるのに倣って、お茶の間のテーブルの上に椅子を置き、その上に家族で順番に椅子に座らせて見ていた。3問答えられなかったら、家族みんなで椅子を回していた。
・遊びといえば近所の友達を従えて扮装して歩くようなことだった。
・中学1年の夏休み、海水浴に行き人気のない岩場で全裸になって泳いだ。その時、その高揚感から初めての射精してしまう。
・歴史上の人物に扮装してなりきり、写真を撮るのが趣味だった。

こんな三谷が小学3年の通知書のコメントにはあまりのも的確で、その人となりがよく分かる担任の先生からの三谷評が書かれていた。

二学期は自分の力を過信している点が見受けられました。ですから人に負けるような空気を感じると、その場からすっと消えていったような態度も取りました。


しかし、その秀でた才能はやはり幼少期から飛び抜けていたようだ。

・2歳の頃から寝る前は「お話の時間」。本を読むのではなく母が「作り話」を聞かせる時間だったが、途中から、三谷幸喜自身が「作り話」を作る側に。
・小学1年の父親参観で発表した作文は、原稿用紙3枚に及ぶ「僕には怒らず、なぜ会社の人に怒るのか」と題された父親批判
小学4年で初めて脚本を執筆。クリスマスのお楽しみ会で披露された『雪男現わる』
・小学5年のころ、大好きだったチャップリンの家へ旅行に。その旅行計画も自分でたてた。チャップリンがそこにいないことは分かっていたが、万が一、会えるようなことが失礼にあたると考え、スーツを着て行った。その時、旅行先でビデオを撮影・演出・編集。
・父が役者をやっている同級生から譲ってもらった早坂暁の「天下堂々」の台本で脚本の書き方を学ぶ。
・卒業記念謝恩会の時、NHK時代劇に影響されて書かれた時代劇『国定忠治物語』を制作。劇団名(劇団いざこ座)の他、役者の立ち位置や、必要経費まで書き込まれていた
・中学に入ると演劇部を自ら創設。
・中1の終わり頃にはアガサ・クリスティのパロディ『そして誰もいなくなりかけた』上演。
・中学の頃から8ミリカメラに凝り始め、翻訳ミステリーを題材に短編映画を制作。
・高校でサスペンス映画『ハッシャ バイ ベイビーを返せ』や、『古畑任三郎』の原点という『チンプルハウスの怪事件』を制作。

*1:めざましテレビ」によると96番組

*2:多くの人が、食傷気味で辟易だ、というような感想を書かれていたが、個人的には主要な番組しか見なかったせいか、あるいは大ファンだからか、それほどウザくはなかった。それは、三谷さんの積極的にその番組に参加する姿勢であったり、出来るだけ同じ話をしないようにしている事が要因だと思う。

*3:今回取り上げるのは主に「ウチくる!?」、「メントレG」、雑誌「BRUTUS 2008年 6/15号」より