テリー伊藤が看破した恋愛バラエティの弱点

8月2日の早朝に放送された『はい!テレビ朝日です!』はテリー伊藤をゲストに迎え、「これからのバラエティ番組」をテーマにしながらも、テリー伊藤がテレビの世界に入ったきっかけや『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』などの制作秘話を語っていた。
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テリー伊藤は1968年に日本大学・経済学部に入学。折しも学生運動が盛んだった頃。テリーもそこに身を投じた。
しかし、投石が左目を直撃し大怪我を負ったことがきっかけで、学生運動から遠ざかり、遊びまくっていたという。周囲が就職活動を始めても、遊んでいたテリーは、当然のように就職に失敗し、バイト生活を余儀なくされた。
目標が見つからず、自分の進路に迷っていたテリーは、これまでの人生を振り返る。

大学時代にコンサートを自分で開いたんです。色んな大学の連中に出てもらって自分が司会やって、演出もやったんです。『そうだ、あの時、幕が閉まる時泣いたよなぁ』って。自分の24歳までの人生の中で何か自分の行動で泣いたっていうのはあれっきりだったんですよ。自分が努力して泣いたっていうのは最初で最後だったんで、ああいう演出みたいな仕事ができるといいなって思って、知り合いをたどって、たまたまIVSテレビっていう当時は社員2,3人しかいなかった会社なんですけど、そこに強引に入らせてもらった。

そうして1973年、IVSテレビに就職。
するとすぐに頭角を現していく。

元気が出るテレビ

テリーの代表作といえば『元気が出るテレビ』だ。
この番組はどのように生まれたのだろう。
テリーはその発想の原点は「母」だという。母が通販番組でたくさんの商品を購入したのを見たのだ。

テレビって力があるんだなと思って。テレビで何か訴えることができればいいなと思ったんで『元気が出るテレビ』で「○月○日、ここに来いよ」とか原宿にタレントショップを作ったり、江ノ島に「元気が出るハウス」とか作ったのも、そういうテレビっていうのは力があるんだってことをみんなに見せつけようって。

元気が出るテレビ』といえば代名詞のようになっている「早朝バズーカ」などを筆頭に過激な企画が多い。
だが、一方で「失恋傷心バスツアー」や「勇気を出して初めての告白」など毛色の違う名企画もある。

例えばヘビメタバンドとかって音がうるさいって感じる人もいるかもしれないんですけど、アルバム聴くと16曲入ってるとしたら意外と2~3曲バラードが入ってる。だから、テリーさんは過激な番組ばっかり作ってるって言われるけど、人間っていうのはそっちばっかりじゃないじゃないですか。時にはメローなものも欲しくなる。じゃあ「失恋バスツアー」みたいなものをって。「初めての告白」みたいなものもそうですけど。自分の弱さとか、脆さみたいなものを見せていくのもやってみたいなって思ってましたね。

ねるとん紅鯨団

そして今や集団お見合いパーティを指す言葉になっている「ねるとん」も、元々はテリー伊藤が手がけた大ヒット番組だ。
毎回オールロケで、複数の男女が「フリータイム」で談笑し、「告白タイム」でカップルが成立するかまでを描いたとんねるず司会の恋愛バラエティである。
ちなみに「ツーショット」という言葉も、この番組で一般化したものだ。

パンチDEデート』とか『プロポーズ大作戦』とかの恋愛バラエティを見ていた時にこれの弱点は何かなって思ったんですよ。そうするとスタジオで撮っているのが弱点かなって思ったんですよ。スタジオだと、あなたの髪の毛乱れないでしょ? 外でロケをすると髪の毛乱れるから、女性が髪の毛触るじゃないですか。それは男性から見るとイイでしょ? 陽が落ちてくるじゃないですか。最初ロケは昼間からやってるんだけど、夕方になるとその人の顔が夕焼けで照らされる。これはスタジオにはない勝利の部分ですよ。

それまでの恋愛バラエティの弱点を分析した上で発想を転換することでヒット番組を生んだのだ。
さらにテリーは『ねるとん』が初めて導入した演出を明かしている。

ねるとん』ではカメラを近づけないってことを考えたんですよ。カップルが出来た時に、普通はカメラを近づけますよね。でもカメラが近寄ってきたら普通に喋れます? だったら遠くにカメラを置いて、あの時、とんねるずなんですけど、彼らはモニターで見よう、と。モニターを(バラエティ番組で)最初に使ったのは多分僕だと思います。