内村光良バラエティ番組年表

しつこいようですが、本日6月3日、コアマガジンより『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』が発売になりました!

繰り返しになりますが、これは「水道橋博士のメルマ旬報」連載「芸人ミステリーズ」の中から厳選したものをまとめたものです。ラインナップは以下のとおり。

序章 内村光良「怒り。」前編(書き下ろし)
一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
三章 タモリ少年期
四章 中居正広SMAPの時計
五章 早見あかりももクロの背中
六章 博多華丸・大吉の“来世”
七章 レイザーラモンの人生すごろく
八章 キャイ~ンが泣いた日
終章 内村光良「怒り。」後編(書き下ろし)

書き下ろしは、ウッチャンです!


昨日のエントリでは「内村光良が子どもだった頃」の年表を紹介しましたが、今日はデビュー以後、ウッチャンが関わってきたレギュラー番組の変遷を紹介します。ドラマを除く地上波キー局のレギュラー番組を年代ごとにざっくりまとめてみました。(色分けは適当)
https://36.media.tumblr.com/6e41a5e80b3decb6eac0cf7d0865fd6a/tumblr_npcq11yfXH1qkivfoo1_540.png
(※小さくて見にくい場合はこちらで)


これを見ると、ウッチャンがほぼ途切れなく常に最前線で活躍していたことが分かります。が、そんな中でも、番組の種類には波があり、大好きなコント番組をやれている時代と、そうでない時代がハッキリしています。
その辺りに注目して見ていくと、なんらかのサイクル的なものが見えてきてとても興味深いです。


さらに告知です!
来たる6月20日(土)、福岡でイベントが開催されます!twipla.jp
に呼んでいただきました!
福岡です。
福岡周辺にお住みの方、あるいはたまたまその近辺に福岡を訪れる方々、是非お越しください!

日時:6月20日土曜日18時~20時
会場:書斎りーぶる
   福岡県福岡市中央区 天神4-1-18 サンビル2階
参加費:1500円
参加希望の方は poprocker@outlook.jp まで


また当日はイベントにちなんだTシャツ販売も行います。
2000円で販売いたしますので此方もお楽しみに!
因みにTシャツ付イベントチケットは3000円で販売いたします。
ご希望の方はメールにその旨明記してサイズ(XS~XL)をお知らせください。

僕へのご質問や「この人について聞きたい!」等、ご要望がありましたら、お申込みの際などに添えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします!

内村光良が子どもだった頃

いよいよ、明日6月3日に『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』が発売されます!
これは、以前お伝えしたとおり、「水道橋博士のメルマ旬報」に掲載されている連載「芸人ミステリーズ」をまとめた『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』に続く第2弾です。

改めてそのラインナップを紹介すると以下のとおりです。

序章 内村光良「怒り。」前編(書き下ろし)
一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
三章 タモリ少年期
四章 中居正広SMAPの時計
五章 早見あかりももクロの背中
六章 博多華丸・大吉の“来世”
七章 レイザーラモンの人生すごろく
八章 キャイ~ンが泣いた日
終章 内村光良「怒り。」後編(書き下ろし)

というわけで、書き下ろしのテーマはウッチャンです!
もちろん、他の各章に比べ、数倍のボリュームで、詳細に内村光良の芸人人生を振り返っています。
このような、誰かをテーマに長めの原稿を書く際、僕はたいていその人の簡単な「年表」を作成します。
そこで今回は、その年表のうち、内村光良が子どもだった頃、つまりプロデビューするまでの年表を紹介したいと思います。

内村光良年表(1964年~1986年)

誕生

・1964年7月22日、誕生。

幼稚園

・笑いを取る快感を覚える。 
・目立つことが好きでお遊戯会で王子様役
・5歳 初めて女の子「ナオコちゃん」にラブレターを書くが、渡せなかった。

小学校

・1970年、あさぎり町立免田小学校に入学。
・“神童”と呼ばれる。勉強ができ、運動神経万能、学芸会でもいつも主役。
・3年の二学期のとき、人吉市立西瀬小学校に転校。
・3年のとき、成績がオール5
・3年か4年の頃、「日吉丸」を読んで感銘を受けクラス会で人形劇「豊臣秀吉物語」を上演
・クラスの発表会や遠足などチャンスを見つけては、『全員集合』やコント55号などありとあらゆるバラエティ番組のコピーをしていた。欽ちゃんの番組にネタはがきを送ってもいた。
・4年のころ、父親の勧めで剣道を始める。個人戦では3位が最高。団体戦ではチームの副将を務める。
ソフトボール部にも入部。「1番・センター」で市大会準優勝。
・水泳部にも入部。わずか2ヶ月の練習でバタフライの市の予選を突破。県大会に出場し8位に。
・水彩画を描いて入選
・6年生 児童会長を務める。

中学校

・1977年、人吉市立第二中学校入学。
・野球部に入部。セカンドを守っているときは全試合ノーエラーだったがサードにコンバートされると暴投エラーを繰り返す。
・いちばんモテた時期。学校で3~4番手くらいにはモテた。が、2年のとき、好きになった女の子「ジュンコちゃん」に手紙で告白。3年のとき直接告白するも失恋。
・1年のとき、テレビで映画『街の灯』を観て号泣。映画に目覚める。
・2年のとき、映画館に『ロッキー』を観に行き、映画監督を志す。
・2年のとき、文化祭のクラス劇で脚本・演出・主演を務め、チャップリンの『キッド』をモチーフにした作品を上演
・3年のとき、同じく文化祭のクラス劇で映画『自転車泥棒』をモチーフにした劇を上演。     

高校

・1980年、熊本県立人吉高等学校入学。
・映画同好会に入会。
・夏休み・冬休みには実家の酒屋でバイトして、編集機材などを買い揃える。
・1年のとき、自主映画『飛んでやる』を制作、上映
・2年のとき、自主映画『戦争愛してます』を制作、上映
・3年のとき、自主映画『男物語』を制作、上映
・2年のとき、付き合い始めた彼女と春休みに映画『伊豆の踊り子』を観た後、ファーストキス。3年の秋に別れる。

専門学校

・1983年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。
・既に上京していた「あんちゃん」こと従兄弟の内村宏幸東白楽駅前のアパートで同居。2駅先にある学校まで走って通った
・入学初日、出川哲朗に話しかけられる
・5月 農村実習のとき、南原清隆と話す仲になる。
出川哲朗らと「ぴあフィルム・フェスティバル」に応募するが、一次審査で敗退
・2年 『大熱狂・港だ!祭りだ!横浜どんたく!!』(テレ東)に素人として出演
・2年 漫才の授業で南原清隆とコンビを結成結成当時のコンビ名は「おあずけブラザーズ」
・漫才の特別発表会でコント「素晴らしきイングリッシュの世界」を発表内海好江に絶賛される。
内海好江の勧めで渋谷・円山町の「見番寄席」に出演。
・同じく内海好江の薦めで『お笑いスター誕生!!』のオーディションに参加。ここでダウンタウンを“目撃”
卒業公演「横須賀物語」で南原とともに「ナイトクラブの漫才師」役。エンディングのダンスシーンで真ん中に立ち止まったまま号泣

プロデビュー

●1985年
・5月11日~ 『お笑いスター誕生!!』第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年7月27日)出場。準優勝
・10月12日~ 『お笑いスター誕生!!』第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年1月18日)出場。第4位(敢闘賞)
・10月~ 『オールナイトフジ』にレギュラーとして出演(~86年4月)。
●1986年
・4月19日 『お笑いスター誕生!!』第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ(~86年7月5日)出場。3度目の挑戦で優勝。直後、番組終了。

この年表を見れば、内村光良は子どもだった頃からずっと「作品作り」への並々ならぬ情熱を持ち続けていたことが分かります。
コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』の書き下ろし「内村光良『怒り。』」では、そんなウッチャンの作品作りへの感動的なまでの強いこだわりについても詳しく書きました。
是非、ご一読ください!

6月3日、「メルマ旬報」連載の“「芸人ミステリーズ」傑作選”第2弾発売決定!

おかげ様で、6月3日に新刊を発売できることになりました!
水道橋博士のメルマ旬報」で連載している「芸人ミステリーズ」をまとめた本『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』に続く第2弾です。
タイトルは『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』。

ラインナップは以下のとおりです。

序章 内村光良「怒り。」前編(書き下ろし)
一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
三章 タモリ少年期
四章 中居正広SMAPの時計
五章 早見あかりももクロの背中
六章 博多華丸・大吉の“来世”
七章 レイザーラモンの人生すごろく
八章 キャイ~ンが泣いた日
終章 内村光良「怒り。」後編(書き下ろし)

このラインナップはほぼ僕の希望通りでした。さすがに「レイザーラモン」の回を入れるのは編集部から「ん?」と言われましたが(笑)、結果、書き下ろしを除けば、この章が一番長いといういい感じにおかしなラインナップになってます。
もちろん、章ごとに独立していますので、お好きな部分だけ読んでもらっても構わない形になっていますが、各章が微妙に繋がって相互に補完しあうような構成にしたつもりです。


書き下ろしのテーマは表題のとおり、ウッチャンナンチャン内村光良です!
今年でちょうど芸歴30年。常に第一線にいつづけながらも、その活躍に見合うほど語られているとは言えない状況だと思います。そんな中で、これまでウッチャンについて書かれたものの中でもっとも詳しい評伝になっていると自負しています。
是非、ご一読ください!


第1弾の『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』や『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(Kindle版もあります)ともどもよろしくお願いします!

あの頃みんなトガッてた。「お笑い第4世代」の青春時代

4月4日に放送された『もしもツアーズ』の特番では、『めちゃイケ』のメンバーが出演。『もしツアめちゃイケがやってきたから富士山で日本一のBBQやっちゃうぞSP』と題してコラボ企画が行われた。
番組終盤には、その中から、ほぼ同期であるキャイ~ン(1991年結成)、ナインティナインよゐこ(1990年結成)、極楽とんぼ(1989年結成)が集まり、ずんの飯尾、ホンジャマカ石塚とともに若手時代のエピソードを語り合っていた。いわゆる「第4世代」と呼ばれていた彼らの“青春時代”の葛藤が明かされた。

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名脇役たちそれぞれの演技論

2月13日に発売された洋泉社のムック『バイプレーヤー読本』。
そのタイトルのとおり、ドラマや映画、舞台で活躍する名脇役、渋くて味のある個性派俳優たちに焦点をあてた本です。

バイプレーヤー読本 (洋泉社MOOK)

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第1章の「バイプレイヤーファイル」では、戸次重幸、手塚とおる佐藤二朗小市慢太郎、川原和久、眞島秀和×山中崇大倉孝二緋田康人津田寛治という、僕を含めたある種の趣向の人たちにとっては垂涎の、錚々たる名脇役たちのロングインタビューが収録されています。
その中から、演技論を語っている部分の一部を抜粋してみました。

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24時間営業の不動産屋を営むマダムがステキすぎた。

『チマタの噺』は笑福亭鶴瓶がゲストを招くトーク番組です。
番組ではトークの合間に、街でちょっと気になる「チマタ」の人たちに話を聞くちょっとしたVTRが挟み込まれます。
毎回、このVTRが、魅力的な人々の人生模様が浮き彫りになって秀逸なのですが、2月17日深夜に放送されたVTRでは、小岩にある不動産屋を訪れていました。

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若林正恭と山里亮太の“ナナメの夜明け”

1月31日の『ミレニアムズ』は「カスママ」の店に来店したゲスト・柳原可奈子が、「絶対あいつら卑屈疲れしてると思う」とシュートな発言をしたことから、とても刺激的な放送となりました。
この回は、『ミレニアムズ』のひとつの分岐点になるんじゃないかと思い、日刊サイゾーの連載コラムにも書きました。

柳原の一言に南キャン山里大慌て - 日刊サイゾー


というわけで、ブログの方には、柳原とミレニアムズのメンバーとのトークを書き起こしてみたいと思います。
なお、コーナーの設定は、春日扮するカスママの店にお客さんとして柳原可奈子が訪れたというものです。その常連客が『ミレニアムズ』の番組ADの“3人娘”にゃんちゅう(山里)、なべこ(若林)、オーサワ(村本)。書き起こしはわかりやすく役名ではなく本人の名前で記しています。

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