いよいよ12月26日に今年のドラマを代表する作品『ゴンゾウ』のDVDボックスが発売になります。
「異様なほど充実の特典」
この作品の脚本家古沢良太の日記にその充実の特典が紹介されています。
時間の都合上カットされた膨大なシーンが日の目を見てます。
「なんでここをカットするかなあ」という僕の愚痴もコメンタリーで聞けます。
そして、東映の須藤Pに「じゃあ、おまけでゴンゾウの新作シナリオ書いてよ」と言われ、一体なにが「じゃあ」なのかよく分からないまま書いた『ゴンゾウ MISSING PIECES』が付録のブックレットに内野さんや筒井さんのインタビューとともに収められてます。
短編集みたいな小品です。
シナリオという形態は読みなれてない人には読みにくいものかもしれませんが、監督や俳優になった気分で、このシーンはこう撮ろう、このセリフはこう言おうとか思いながら読んでみては。
異様なほど充実の特典。
ゴンゾウ〜伝説の刑事 DVD-BOXposted with amazlet at 08.12.24
「あのころの僕に対してちゃんと作ってあげたい」
ところで、この作品を観た人の多くは絶賛するのだけど、その称賛の方向がこちらのように「テレ朝の刑事ものは手堅い」とか「いつも手堅くおもしろくて、裏切らない」みたいな感じで褒めているのを見るとがっかりします。
そういう「手堅い」作品とは真逆の挑戦的な作品だったはずなのに。
そこで、古沢がいかに新しい視点のドラマを模索していったのかを語ったインタビューを「ドラマ 2008年10月号 」より引用したいと思います。
この作品を観ている時に、このドラマの数少ない欠点だと思ったところがことごとく意図的に作られていたことがよく分かります。
以下、軽いネタばれを含みますのでたたみます。
いろいろ考えて事件を書くのはやめちゃおうと。いわゆる刑事物とか事件物とかのスタイルは借りるけれども、そこに出てくる人間たちの心のドラマにしたい。それと一話完結ドラマにしないで、一つの殺人事件をずっと追っていく中で、成長していく主人公たちの人間ドラマにしたい。
連続(ドラマ)で事件物というと、よくあるのは連続殺人です。お客さんが飽きてきた頃に次の殺人が起きて、どんどん興味を持続させようとする。それは嫌だった。そうすると、作り手とお客さんとの裏のかきあいのゲームになっていって、もう人間ドラマじゃなくなっていく。
(刑事ドラマは)事件が解決するというのがクライマックスだから、そこに直結する話は物語の中で作れるんだけど、そこに結びつかない人たちの話は作れないわけです。入れる余地がない。被害にあった家族とか友だちとか、犯人を知ってる人とか犯人の情報を持ってる人とか、犯罪に関わってってしまった人とか、ドラマに出てくるんだけど、犯人のヒントを与えたら去るだけの役割しかない。でも、その人たちだって、身内が殺されたり殺したり、犯罪に関わったら、その人の人生も劇的に変わったりするはず。そこに絶対ドラマはあるので、そこを描いていきたいなあと。
従来の刑事ドラマって、犯人の側に大体ドラマがあって、主人公側の刑事たちにはあんまりドラマがないんですね。事件を解決していくだけで。そうじゃなくて、これは主人公たち刑事のほうにそれぞれドラマがあって、事件解決は二の次なんです。
ダメ警官がいざとなったら大活躍みたいな話を想像してた人が多かったと思います。全く事件が進展しないから本気で怒る視聴者もいたりして。怒らせようと思ってやってる部分もあるんですけど(笑)。普通、事件を扱ったドラマだと、犯人はなるべく最初のほうに出しておかないとルール違反じゃないですか。後あと出て来て、こいつが犯人ですといっても。手がかりをなるべく最初に散りばめておいて、お客さんが推理する。でもこれはそういうドラマじゃない。人間ドラマだから推理物のルールは守らない。それで事件物のファンを自称している人は怒ったりするんでしょうけど。
ほんとは最終回まで犯人出さないようにしようとも思ってたんです。突然出てきた人が犯人で。でも、前に出せるんなら出したほうがいいだろうと。バレてしまってもいいから。
それから最後まで結局事件が解決しないというのも真剣に考えていたんです。現実にはよくあるから。
僕がシナリオを勉強している頃は、映画とテレビドラマはどこが違うかって、よく言われました。テレビドラマは映画みたいに集中して観てない、"ながら観"をしている。だから、"ながら観"をしても分かるように書きなさい、と。(略)それは正しいと思うけど、一方でそれは違うんじゃないかという思いがずっとある。だって、"ながら観"してて分かるんだったら真剣に観る必要はないわけで、それは真剣に観てる人に失礼です。僕ら、子供の頃や十代、二十代前半の頃は、ほんとうに好きなドラマは"ながら観"なんてしなかった。食い入るように観ていたわけで、あのころの僕に対してちゃんと作ってあげたいという思いがある。