電波少年的テレビ革命(電波少年が本当にパンクな番組だったのか確かめたーいっ!!!)#3

「この続きはサンデージャングルでご覧くださーい!」

松村邦洋が、他局の野球中継でこう「電波少年」の裏番組を宣伝したことが
発端となり「なんてこと言いやがる!」と番組激怒。(もちろんアングル
松村の処遇を決める「国民投票」が行われた。
その結果「降板するべき」という結論が出てしまう。


電波少年」の転機といえば何と言っても猿岩石の登場であることに
異論の余地は無いだろう。
いわば「アポなし」路線から「感動」路線*1への変動である。
実は、猿岩石登場の前年あたりから、アポなしが、その威力を失いつつあった。
それは、松本明子も松村も、スタッフも、そして視聴者も
アポなしということだけではドキドキしなくなってしまった
しかも、アポなしで押しかけると逆に歓迎されるという本末転倒の事態にも
陥っていた。
そんな時、「電波少年インターナショナル」でキャイ〜ンがやっていた*2
ヒッチハイク」の面白さが注目されていく。
そこで。
ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」という企画が土屋Pより持ち上がる。
当初はもちろん「アポなし」に変わるようなメイン企画になるとは誰も思っておらず
「つまんなきゃ5分でいいから」と準備されていった。
オーディションも行い最大の条件=「1年先までスケジュールが真っ白」な
猿岩石が選ばれ、極秘裏にその企画が進行されていった。
そしてその準備の間、登場したのが、初めて「下ネタをやらない」という禁を破った
「豪邸でウンコがしたい」シリーズだった。
そうして画面に「脱糞」という文字が躍っていたたとき
着々と準備が整っていった。


そして、猿岩石のヒッチハイクが成功を収め、ドロンズもそのゴールを大晦日に
達成させると、その日、松村邦洋が降板する。
そして、次の回からほとんど何の説明もないまま「進め!」が「進ぬ!」に変わり
松村のいない「電波少年」がスタートする。
アポなしからヒッチハイクへという流れはもう誰にも止められなかった。
ヒッチハイクをやればやるほど松村は「僕の出番が、僕の出番が」ということ以外
笑いが取れなくなってしまった。
土屋はなんとか松村を生かすすべはないかと模索したが
もう当時、知名度、人気ともに番組当初とは比べ物にならなくなった彼を
拘束できる時間も減ったことで「電波少年」内では困難だという結論に至ったのだ。


この後、「電波少年」は「電波少年的」と銘打ったなすびの「懸賞生活」、
坂本ちゃん+ケイコ先生の「東大一直線」、「箱男*3
矢部太郎の「○○人を笑わしに行こう」などの名企画を次々にヒットさせ
番組の顔を変えても番組が残るというバラエティ番組では異例のことを達成させる。
また、この「売れない芸人に過酷でヘンなことをさせて笑う(+感動)」
という手法*4はこの後のバラエティ番組に多大なる影響を与え、模倣されることになる。


<参考リンク>電波少年企画リスト(「進ぬ」以降)

*1:もちろん感動路線といってもタダで終わらないのが「電波少年」の電波たる所以である。例えば猿岩石のゴールでは、「とりあえず注射を」と予防接種をさせ、南北アメリカと日本へのチケットどちらを選ぶかという選択をさせた。

*2:「初めてのおつかい」シリーズ。天野、ウドの二人がそれぞれ隣国の端からスタートし国境で出会いダジャレを完成させるという企画

*3:川元文太(ダブル・ブッキング)

*4:他にも「ダン、ダン、ダー、ダ、ダ、ダー」とダースベイダーのテーマに乗ってTプロデューサー(後にT部長)の登場の仕方などもその手法が真似をされた